敗走(2)
大広間に悲鳴が上がる。
人並み外れたアデライトの魔力に、さすがの魔族たちも笑みを消した。
一瞬の気が逸れた隙に、動き出したのは護衛兵たちだ。
離宮の精鋭に、並みのグロワール兵が太刀打ちできるはずがない。
取り囲むグロワール兵を素手で倒し、剣を奪うと、まっすぐバルコニーに駆けていく。
アデライトは、護衛兵たちに囲まれながらともにバルコニーへ。
コンラート様は、グロワール兵から奪った剣を手に、未だに叫び続ける陛下を探している。
「――魔法オッケーよ! 落ちても平気だけど、魔族は落とさないようにしてちょうだい!」
バルコニーに真っ先にたどり着いたアデライトが、大広間に向けて声を張り上げた。
「早い者順で逃げるのよ! でも最後にならないでね! 私が最後に降りないと、誰が逃げて誰が逃げてないのか、わからなくなっちゃうから!」
言った先から、アデライトが近くにいた護衛兵をバルコニーから下に突き落とす。
アデライトの護衛として傍に居たはずなのに、彼女はお構いなしだ。
「危険です!」とか「待ってください! おひとりでは……!」と説得する護衛たちの言葉を最後まで聞かず、容赦なく次々と突き飛ばしていく。
「は、は、早く逃げろ! なにをしている! 早くわしを逃がせ!!」
「いや、ははは、重たいですね陛下! せめて腰を抜かしていなければ、もっと早く動けるんですがね!」
片手で陛下を引きずりながら、コンラート様は笑った。
もう片方の手は剣を握りしめ、グロワール兵の攻撃をしのぐ。
護衛が数人ついているとはいえ、陛下の首根っこを掴んだまま軽く薙ぎ払うその姿に、やはり彼もアンリやアデライトの血縁なのだと実感させられる。
「う、うるさい! わしを離すんじゃないぞ! 絶対に生かして帰せ! そうしたらどんな褒美でもくれてやる!!」
「ははは、どんな褒美でもですか。玉座をくれって言ったらくれるんですかね」
「無礼な……い、いや、助かったならば考えてやる! とにかく、絶対にわしを離すんじゃないぞ!」
「いいこと聞いちゃった。玉座もらったらアンリにプレゼントしようかな――よっこいしょ!」
見た目だけはアンリに似て体格の良い陛下を、コンラート様は「よっこいしょ」の一言で担ぎ上げる。
陛下がぎょっと目を剥くが、彼は見向きもしない。
周囲の護衛兵に目配せをし、そのまま一気にバルコニーへ駆けだすと、重たい荷物でも放るように外に放り投げた。
「な、なにをする、貴様ぁああああああ!」
陛下の断末魔の悲鳴が響く中、「ああ重かった」と肩を回すコンラート様を、私は横目で見る。
アデライトもコンラート様も、護衛の兵たちも大丈夫そうだ。
大丈夫ではないのは――私たちだけだ。
慣れない靴に、足がよろめく。
出遅れた私たちを囲むのは、無数の魔族たちだ。
魔族たちは、アデライトにもコンラート様にも見向きもしなかった。
逃げていく今も振り向きもしない。
視線はただ、まっすぐにアンリに向かっていた。
きっと最初から――彼らの目的は、アンリ一人だけなのだ。
○
アンリは片手で剣を構え、もう一方の手で私の体を支える。
逃げ道がないかと油断なく探る彼の前に、私はどう考えても足手まといだった。
装飾の多いソレイユ式のドレスは重く、裾が邪魔をして走れない。
踵の高い靴は動きにくくて、アンリに支えさせてしまっていた。
――アンリ一人なら、きっと魔族から逃げられるのに……!
「……アンリ様」
私は震える唇を噛むと、アンリの体に手を当てた。
それから、体を押しのけるように、ぐっと力を込める。
「どうか先に行ってください。わ、私のことは構いませんから!」
アンリのために私がいるのに、私がアンリに守られては本末転倒だ。
せめてアンリだけでも、と体を押すけれど――どれほど強く押しても、アンリの体は離れない。
「君を残せるわけがないだろう」
でも!――と言う私を見ないまま、彼は警戒深く魔族たちに視線を向けた。
「そんなことをしたら、奴らの思うつぼだ」
「思うつぼ……?」
「奴らの狙いは、俺でさえない」
言葉を区切ると、アンリは私を一瞥した。
目が合ったのは一瞬。それだけで、彼の身の竦むほどの怒りを肌で理解した。
風が吹き抜ける。これまでよりも、さらに強い魔力の風が。
「狙いは最初から――君だ。それが、俺にとって一番『効く』のだから」
「その通りでございます」
最初に対峙した老魔族が、アンリの反応に満足げな笑みを浮かべた。
「その娘こそがあなたの枷。魔王としてあることを拒み、未だ御身を器のままに留めさせる元凶であります」
「…………」
「早く枷を断ち切って、そのお力をお見せください。闇に落ちた勇者の力――さぞや素晴らしいものでしょう。この私にも、その身の内にある魔力がひしひしと伝わってきておりますよ」
魔族はうっとりとした顔で息を吐く。
慇懃なその態度は、だけどアンリ本人を見ているようには思えない。
アンリを通して――きっとその中にある、魔王だけを見ているのだ。
「ああ、早くお心を闇に染め上げ、その偉大なお姿をお見せください。その娘がいなくなれば、きっとあなたは史上最高の魔王になることでしょう!」
ひときわ声を張り上げると、魔族の周囲の空間が歪んだ。
どこからともなく現れた氷の刃が、私に向かってくる。
――ひ。
避ける――なんて考える余裕すらもない。
瞬きをする間もなく、刃は私の体を貫く――寸前。
「彼女になにかしてみろ」
立ち尽くす私の目の前で、アンリが剣を払う。
魔法でできたはずの刃は、ただの剣であっさりと切り落とされ、地面に落ちて消えた。
生きているのが信じられない。
心臓が竦み上がり、早鐘を打っている。
怯えた私の体を抱き寄せ、アンリは冷たい目を魔族に向けた。
「傷一つ付けるたび、お前たちを一人殺してやる」
アンリは一歩足を踏み出す。
風が彼の髪を揺らし、その横顔を撫でる。
「命を奪えば、一人残らず殺してやる。心を壊すなら、同じだけ壊してやる」
静かに語る口元が、ゆっくりと歪んでいく。
目元はかすかに細められる。
太陽のようなアンリの顔に浮かぶのは――凄惨なまでの笑みだ。
「お前たちの大切なものから壊してやろう。恋人も、家族も、子も、俺が嬲り殺して――――」
言葉を止めたのは、その目が一瞬、私の姿を映したからだ。
彼ははっとしたように口に手を当て、悔いるように唇を噛む。
対照的に、満足げなのは魔族だった。
「なんと素晴らしい! それでこそ魔王様です!」
魔族は胸に手を当て、感嘆したように叫んだ。
「ああ、早く枷を解いて差し上げなければ! 今、すぐにでも!!」
魔族の声を合図に、大広間に魔力が満ちる。
視界が歪むほどの巨大な魔力が、私を狙って渦を巻いていた。
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