敗走(3)

 私は役立たずだ。

 これだけの魔力に立ち向かうすべを、私は持っていない。


 私がいなければ、アンリは生き残れるのかもしれない。

 私だって死にたくはないけれど――それがアンリのためで、それしか方法がないのなら、私はきっと迷わない。

 魔王になってでも、私はアンリに生きていてほしい。


 ――でも。


 悔いるようなアンリの横顔に、私は内心で否定する。

 私の抱き留める腕は、私を支えているようでいて――まるで縋るかのようだ。

 不安定に揺れる彼の姿に、私は大きく息を吸う。


 私が犠牲になるのは、きっと『アンリのため』にはならないのだ。


「――アンリ様」


 私はアンリの腕を引くと、覚悟を決めて呼びかけた。


「私を離してください」

「……ミシェル?」

「支えていただかなくても、私は大丈夫です」

「なにを言っているんだ、君は。また『先に行け』なんて言うつもりか」


 アンリの表情は険しい。

 苛立ったような視線にぐっと怯みそうになるけど、奥歯を噛んで首を振る。


「『先に行く』んじゃありません。一緒に逃げるんです。アンリ様に支えていただかなくても、私は自分で走れます!」

「自分で……って、そんな格好で、まともに動けないだろう」

「いいえ!」


 私はそう言うと、身をかがめて靴を脱ぎ捨てた。

 それからドレスの裾を掴み、力任せに思い切り裂く。

 重たい装飾を捨てる私を見て、アンリがぎょっと目を見開いた。


「ミシェル、なにを――」

「走れます! 一緒に行きましょう!」


 私を引き寄せていたアンリの腕を、今度は私が引っ張る。

 アンリは驚いた顔のまま、呆けたように瞬いた。


 私を見つめる目は、青空のように澄んでいる。

 抱き寄せる腕の力は緩み、脱力したようにすとんと落ちた。


 風はいつの間にか、止んでいた。


「……俺から離れないで、すぐ後ろを付いてきて」


 アンリは剣を両手で握りなおす。

 彼が前を見据えたとき、魔族たちが一瞬、怯んだのがわかった。


「道を拓く」


 そう言うと、アンリは走り出す。

 裸足のまま、私はその背中を追いかけた。


 逃げる私を狙い、渦を巻く魔法が落ちてくる。

 アンリはその魔法ごと、立ち向かう魔族を切り捨てる。

 圧倒的な力で道を切り拓く先――急かすように手を振る、アデライトの姿が見えた。


 〇


 バルコニーの下の広場には、婚約披露宴を見ようと王都の民が集まっていた。


 ざわめく人々の注目の中、私はバルコニーから飛び降りる。

 高さは、普通の建物の四階分くらいはあるだろうか。

 だけど、アデライトの魔法のおかげで見事に着地――。


 というわけには、いかなかった。


「――――痛っ!?」


 地上に落ちた瞬間、私は足の痛みに呻いた。

 受け身を取り損ねたからか、裸足だったせいかはわからない。

 立ち上がれないほどではないけれど、歩くたびにじわじわと痛みが広がっていく感覚があった。


 だけど、立ち止まっている時間はない。

 私に次いで、アンリとアデライトが飛び降りてきた、そのすぐあと。

 魔族たちが私たちを追いかけようと、バルコニーに身を乗り出しているのが見える。


 地上では、グロワール兵が剣を抜いていた。

 洗脳されているのは、城内の兵たちだけではないのだろう。

 今日のために城下に配備された兵たちが、アンリを見つけて一斉に向かってくる。


 見物に集まった人々は、アンリの姿に驚き戸惑っていた。

 今日の婚約披露宴の主役が、突然バルコニーから飛び降りてきたのだから無理もない。

 おまけに、手にしているのは抜き身の剣だ。魔族を切り伏せたため、血もついている。

 誰かがその血を見て、悲鳴を上げた。


 連鎖するように、悲鳴がいくつも響き渡る。

 剣を抜く兵に怯える人、バルコニーの魔族に気が付き、逃げ惑う人。

 恐怖と悲鳴に、周囲は目まぐるしいほどに混乱していた。


「――こっちだ! 馬を用意してある!」


 剣を構え、応戦しようとしていたアンリに、少し離れて鋭い声がかけられる。

 見れば、先に降りてきていたコンラート様だ。

 彼は人垣の外から、路地裏に向かうよう目配せをする。


「行こう!」


 アンリはアデライトを先に行くよう促し、私の手を引いた。

 その手に引かれて私も足を踏み出し――痛みに立ち竦む。走れない。


 ――最後の最後まで……足手まといだ、私……!


「アンリ様……私は置いて……」

「行くわけないだろう!」


 迷わずに言い切ると、アンリは剣を捨てた。

 空いた手で私の肩を掴むと、そのまま引き寄せて、私の膝の裏に手を差し込んだ。

 浮くような感覚に、私は目を見開いた。抱き上げられている!?


「アンリ様! な、なにを……!?」

「黙って。――叔父上、道を!」


 アンリの言葉に、コンラート様は片目をつぶってみせると、背を向けて走り出す。

 ついてこい、という意味だろう。

 人ごみを避け、路地裏へ走るコンラート様を、アンリは私を抱いたまま追いかけた。

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