敗走(1)

 華やかな披露宴は、今はまったく様相を変えていた。


「――さあ、ともに行きましょう魔王様! その器とともに!」


 男の哄笑がこだまする。

 その笑い声を合図として、客人だったはずの人々の影が揺らぐ。

 もはや、隠す必要はないとでも言うように、本来の姿に戻っていく。


「ひ、ひいいいいいいい!!?」


 陛下の悲鳴の中、私は正体を現した客たちの姿に息を呑んだ。


 青白い肌に、長くとがった耳。明らかに人と異なる、額から伸びた長い角。

 肌に感じる圧倒的な魔力量に、知らず体が震えていた。


 ――魔族……!


 それは、魔王を信奉する、人に似て人ならざる存在だ。

 性質は残虐、非道。血と悲鳴を好み、人を虐げることを喜びとする。

 高い知性と強靭な肉体、そして圧倒的な魔力を持つ彼らは、人間にとっての天敵と言って間違いない。


 魔族が人間の前に姿を現すのは、人々を侵略するときだけだ。

 人間との交流はなく、魔族たちの国も、文化も、私たち人間には知る由もない。


 ――どうりで……見覚えがないと……!


 呼吸も止まる恐怖の中、私はくしゃりと顔を歪ませた。

 見たこともない数の魔族を前にして、ようやく自分たちが『なに』に誘い出されたのかを理解する。


 ――魔族が、アンリをおびき寄せたんだわ。魔王に憑りつかれたアンリを……きっと、連れていくために!


「アンリ様……」


 私は震える手で、アンリの服を掴む。

 アンリを連れて行かせたくない。まだ頭は混乱しているけれど、それだけは私の中で、揺るぎのない事実だった。


「……ミシェル」


 アンリは青ざめる私を見下ろすと、ゆっくりと瞬いた。

 それから、迷いを払うかのように、大きく息を吐く。


「大丈夫。必ず守るから、俺から離れないで」

「は、はい……!」


 混乱も不安も呑み込み、どうにか私はうなずいてみせる。

 アンリはかすかに目を細め――覚悟を決めたように、顔を上げた。


「叔父上」

「うん? なんだいアンリ?」


 この状況下で突然水を向けられても、平然と答えるコンラート様はさすがである。

 緊張感のない様子で肩を竦めて、アンリの視線に口を曲げる。


「この状況を切り抜ける良い案でも浮かんだかい?」

「良い案は浮かんでいません。でも切り抜けるしかない。――叔父上、父上をお願いできますか」

「ふむ?」


 と言いながら、コンラート様は悲鳴を上げ続ける陛下に目を向ける。

 姿を変え、アンリを見据える魔族たちは、陛下に見向きもしない。

 だけど陛下はそんな様子など見えてもいないらしく、腰を抜かしたままどこかへ逃れようと床を這っていた。


「厄介な人ですが、おそらくは一番内情を知っているはずです。置いていくわけにはいきません」

「なるほどね」


 コンラート様はうなずくと、しばしじっとアンリの顔を見つめた。

 思いがけない視線にたじろぐアンリは、先ほどまでの冷たさも暗さもない。

 いつもの澄んだ青い瞳を覗き込み、コンラート様はニッと笑った。


「いいだろう、かわいい甥の頼みだ。少し重たそうだけども」

「ありがとうございます」


 アンリの礼に、コンラート様は返事がわりに「ふふん」と鼻を鳴らした。

 それをたしかめると、彼の視線は続けて護衛の一人に向かう。


「アデライト」

「なんです、お兄様! ――いえ、私はアデライトではありませんわ!」

「お前の魔法の力を借りたい。みんなを安全に逃がすために」


 アデライトの必死のごまかしを聞き流し、アンリは険しい目で大広間を見回した。

 正面には、薄ら笑いを浮かべてこちらの反応を待つ魔族たち。

 両脇には、魔族に洗脳され、剣を構える多数のグロワール兵。

 背後にある、ここへ来るときに通った扉を一瞥し、アンリは声を潜める。


「扉は罠だ。ここよりもさらに濃い魔力の気配がする。逃げるなら正面の方がまだ可能性がある」


 でも、正面は魔族たちが待ち構えている。

 それに、この大広間の出入り口は、背後の扉の他にないはずだ。


 そんな疑問も心得ていたように、アンリは視線を魔族――のその先。

 青空の広がるバルコニーに向けた。


「お前には、まず魔族の気を逸らしてほしい。この中でそれだけの魔法が使えるのはお前だけだ。なんでもいい、派手な魔法を使って気を逸らしたあとは――」

「みんなをあそこから突き落とすのね!」


 言い方!


「了解! 落ちても死なないよう、魔法でクッションでも敷いておくわね、お兄様――じゃなくて、アンリ殿下!」


 今さら過ぎる言い直しをして、アデライトは指で丸を作る。

 きっと鉄仮面の奥には、自慢げな笑みが浮かんでいることだろう。


 アンリはアデライトに頷いてみせ、最後に周囲の護衛たちに視線を向けた。


「アデライトが隙を作る間に、お前たちはグロワール兵から剣を奪え。だけど魔族と戦おうとは思うな。剣はあくまで身を守るために使い、逃げることだけを考えるんだ」


 護衛たちは少し戸惑った様子で強張り、だけどすぐに顔を見合わせ、互いに頷き合う。

 胸に手を当てて敬礼するのは、アンリの作戦を理解し、承諾した証だ。


 良い案はないと言ったけど、アンリの作戦は的確で、明快だ。

 待ち構える魔族に向かって走り、地面のはるか遠いバルコニーから飛び降りるなんて、実に単純で――なんてとんでもない作戦なのだろう。


 ――でも、覚悟はしていたわ!


 離宮を出たときから、フロランス様が護衛を付けさせたときから、危険があることは予想していた。

 恐怖も不安も今は頭から追い払い、私はぐっと奥歯を噛む。


 アンリが私の手を握りしめる。

 顔を上げ、まっすぐに魔族たちと――その先のバルコニーを見据え、彼は口を開いた。


「――行くぞ!」


 その声と同時に、目も眩むようなアデライトの魔法が大広間で弾けた。

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