バッドエンド

 大広間は水を打ったように静まり返った。

 オレリア様さえも驚きに口をつぐめば、アンリの笑い声だけが奇妙なくらいに反響する。


 すぐ近くで聞こえる笑い声は、少しも愉快そうではない。

 だけど肩を震わせながら、アンリは耐えがたい様子で笑い続けていた。


 その声は、ひたすらに無機質で、冷たく――嘲笑にさえ似ている。

 風は未だ、吹き止まなかった。


「ははは、ああ――なんて茶番だ」


 ひとしきり笑い終えると、アンリは私を抱いたまま、片手を自分の口元に当てた。

 笑みを隠し、どこか後悔するように眉をひそめるけれど、いびつな笑みの表情は戻らない。


「……そうやって、俺を怒らせたいんだろう?」

「なに……?」


 笑いをかみ殺すような声に、反応したのはオレリア様だった。

 彼女は怒りを思い出したように、肩を怒らせてアンリに詰め寄る。


「怒っているのは私の方よ、アンリ! そっちのモブ女も、いいかげんアンリから離れなさいよ! 身の程知らずなのよ!!」

「だから、父上とオレリアを残したんだろう? こいつらなら、お前たちの望むことをすると踏んだんだ。……ああ、たしかに見込み通りだよ」


 オレリア様に、アンリは見向きもしない。

 真っ赤になる彼女を差し置いて、彼が見据えるのは――海外から呼ばれてきたという、客人たちだ。


「誰が言い出したことだ」


 笑いと怒りのにじむ声に、私は体を強張らせた。

 反射的に身を引こうとしても、アンリの腕は私を捕らえて離さない。

 顔を上げれば、ぞっとするほど冷たい目をした、彼の横顔が目に入った。


「答えろ」


 端正な横顔が、底冷えのする声を吐く。

 震えるほどに怖いのに、目を離すことも許されない。

 今のアンリが纏う空気は、あまりにも威圧的で、支配的だった。


「俺に黙って、誰がこんなことをした! 答えろ!!」


「……あなたの許可は必要ありますまい」


 絶対的なその命令に、反応したのは低い声だった。

 声を発したのは、外国からの客の一人。無言で成り行きを見守っていた、異国の若い貴公子だ。


 同時に、他の客たちの空気が変わる。

 それまで無言で様子を見ていた人々が、かすかにざわめき出したのだ。

 ざわめき、くすくすと笑う彼らの姿で、私はようやくこの異常さに気が付いた。


 ――……無反応すぎだったわ。この騒ぎの中、誰も怒るどころか、呆れた様子さえ見せないなんて……!


 披露宴というこの場に招かれておきながら、披露宴そっちのけで騒ぎが始まれば、普通は腹を立てるはずだ。

 わざわざ海外から招かれて、グロワールの醜態を見せつけられ、呆れて帰ってしまってもおかしくない。


 だけどここまで、誰一人、言葉一つ発しなかった。

 その異常さに、今の今まで思い至らなかったことが、なによりも不気味だった。


 息を呑む私に、客人たちも、その貴公子も見向きもしない。

 アンリだけを見据えたまま、彼は仮面のような笑みを浮かべた。


「我らの行動は、すべて主のためだけに。あなたの許可は求めません。ただの器には、興味がありませんので」

「そうか」


 目を眇めて貴公子を見ると、アンリは冷たく答えた。

 いつものアンリからは考えられない、ひどく無情な声だ。


「ならば、器のままでいることを祈ることだな。記憶も感情も受け継がれるのは知っているだろう。俺が器でいられなくなれば、お前たち全員、命はないと思え」


 低く、静かで、だけどたしかなその言葉に、ぞくりと寒気が走った。

 ただの脅しではないことを、肌で理解させられる。


 貴族たちが震えあがる。

 オレリア様は立ち尽くし、陛下は「ひいっ」と悲鳴を上げて腰を抜かした。


 ただ、アンリの視線を真正面から受けた貴公子だけが、嬉しそうに目を細めた。


「ええ、ええ、構いませんとも!」


 先ほどまでの、仮面のような笑みとは違う。

 心からの喜びを浮かべ、貴公子は声を上げる。


「それであなたが戻ってきてくださるのならば! 我らの身などいくらでも差し出しましょう――魔王様!!」


 響き渡る声に、アンリは肯定も否定も返さない。

 無表情すぎるくらい無表情な彼の横顔に、私はくらりとした。




 卑怯者。

 自分をそう卑下した、アンリの暗い笑みを思い出す。


 アデライトは、魔王は実体のない存在だと言っていた。

 聖女との絆がなければ倒せない存在なのだ、と。


 だけどアンリは聖女と恋仲にはならなかった。

 魔王の肉体は倒せても、その本体は倒せない。ならば魔王は、その場にいた誰かに再び憑りついたことだろう。


 ――どうして、オレリア様だと思い込んでしまったの。


 アンリだって、その場にいたはずなのに。

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