エンディングイベント終了

 頬を赤くする私とは裏腹に、アンリは冷静だった。

 私を抱き寄せても、人々の視線を集めても、険しい表情で陛下を見据えるだけだ。


「父上。この婚約披露宴は無効にしてください。俺はオレリアと結婚するつもりはありません。婚約の宣言も撤回をお願いします」

「て、撤回だと!?」


 アンリの言葉に、呆然としていた陛下も我に返ったらしい。

 ぎょっと目を剥くと、すぐに大きくかぶりを振った。


「できるものか! そんなことをしたら、他国の連中になにを言われるかわからん! だいたい国民だって、そなたとオレリアの結婚を望んでいるのだぞ!」

「他国からなにを言われても構いません。民には俺から説明をします」

「そんな簡単に済むものか!」


 陛下は声を張り上げる。


「そなたは構わぬだろうが、国王として認めるわけにはいかん! これだけ知れ渡った婚約を撤回などすれば、この国の信頼が失墜するのだぞ! 王太子として、それはそなたにもわかっておるだろう!」

「そもそもこの婚約自体、俺は承諾した記憶がありません。父上が勝手に推し進めたものです」

「だからどうした! そんなもの、周りの連中は知らんだろうが! これはもはやわしだけの問題ではない、国全体の問題なのだぞ!」


 無茶苦茶な陛下の言葉に、アンリの表情は変わらない。

 ただ、腰に回された腕に力がこもり、風が強さを増していく。

 それだけで、苛立っているのはよくわかった。


 ――……無理もないわ。


 勘違いで勝手に婚約しておきながら、「もう宣言したから今さら無理だ」なんて、あまりにも横暴すぎる。

 そのうえ反省するどころか、悪いとも思っていないような陛下の態度は、聞いている私も良い気がしなかった。


 ――アンリの結婚なのに、アンリが止めても聞かなくて、勝手にどんどん進めて……!


 恐れ多くも腹立たしい。

 相手が陛下でなければ、私だって一言くらいは言ってやりたい。


 だけど、相手は陛下なのだ。

 この場には貴族たちや、外国からの客もいる。

 アンリの怒りで、彼らを傷つけさせたくはなかった。


 自分の力で他人を傷つけてしまえば、悲しむのはアンリ自身なのだから。


「……アンリ様」


 小声で呼びかけ、私はためらいがちに、アンリの手を握り返す。

 それからそっと視線を持ち上げ、アンリの顔を窺い見た。


 眉間にしわを寄せ、奥歯を噛んで魔力を抑える姿に、私は少し目を細める。

 小さいころに大暴走を起こし、私を死なせかけて以降、アンリは感情を殺してでも魔力を抑えるようになった。

 それを痛ましいと思うこともあるけど――人を傷つけたくないと思う、アンリの優しさを、私は尊重したかった。


「落ち着いて。あとで愚痴を聞きますから」


 アンリは私を一瞥する。

 私の言葉のせいか、それとも握り返したことなのか、少し驚いた顔をして、それからすぐに息を吐く。

 苛立たしげな眉間のしわが消え、口が音もなく動いた。


「ありがとう」


 同時に、魔力の風が少しだけ弱まる。

 そのことに、ほっと胸をなでおろした――のは、一瞬だけだった。


 風が弱まったのを好機と見てしまったのか、陛下が勢いづいて立ち上がる。


「そなたは王太子として、この国のために努める義務がある! オレリアとの婚約は確定事項であり、撤回はまかりならん! ――そもそも、そもそもだ!」


 言いながら陛下が目を向けるのは、アンリ――の隣に立つ私だ。

 性格はあまり似ていないのに、こればっかりはアンリによく似た凛々しい美貌を歪ませ、私を忌々し気に睨みつける。


「そもそも、なんだその娘は! マルティナだと? そなたの話では絶世の美女だったはずなのに、まるで貧相な町娘ではないか!」

「父上」

「本当にそんな娘が大切なのか!? 生まれも下級貴族で、顔も十人並みの間抜け面、体つきも痩せていて、これなら金で買った女の方がよほどましだろう!」

「……父上」


 アンリの静かな声に、陛下は一向に反応しない。

 弱まったはずの風は再び強まり、腰に回された腕は、赤くなるどころか、もはや青くなるほどの力が込められる。

 これはまずい、とアンリに呼び掛けても、もう声も届いていない様子だ。

 これはまずい……。


「そんな平凡な娘、オレリアとは比較にもならん! まさか、偽物ではないだろうな!? あの生意気な王妃にそそのかされたか!」


 強さを増し続ける風の中、見上げたアンリの表情は消えていた。

 眉間にしわを寄せてすらもいない。

 むしろ、目元はかすかに、笑むように細められていた。


 ――笑み……?



 意外さに瞬いた次の瞬間には、アンリの表情は消えていた。

 頬だけが、なにかをこらえるように、ひくひくと痙攣をしているだけだ。


 陛下は気が付かず、喚き声を上げ続ける。


「偽物を立てるとは、小賢しいあの女の考えそうなことよ。それでつまらぬ娘を掴まされるなど、そなた、騙されているぞ! わしならもっとそなたに相応しい、美しく高貴な娘を用意してやるというのに!」

「父上、いい加減に」

「やはりわしが女遊びを手ほどきしてやるべきだった! 今からでも遅くない。父として、わしがもっと良い娘を紹介してやろう。一人でなくても良いぞ。愛人くらい、甲斐性というもので――」


「――いい加減にしてください」


 ひやりと空気が凍る。

 陛下は次の言葉を発せなかった。

 陛下だけではない。この場にいる誰もが声を出せないままに、息を呑む。


 アンリの言葉には、それだけの気迫と――底知れない冷たさがあった。


「これ以上彼女を侮辱するのをやめてください。俺に他の女性は必要ありません」


 嘘みたいな静寂の中、アンリだけが声を上げる。

 決して大きい声ではないのに、決して遮ることはできない。

 震えるほどに支配的で、威圧的な声が響き渡る。


「俺の愛する人は、マルティナだけです。彼女を傷つけるのであれば、誰であろうと許しません。たとえ、父上であっても」


 今、この場を圧倒しているのはアンリだ。

 だけどその手だけは――なぜだか、縋るように私を握りしめていた。


 ――……って。あれ?


 今の言葉、どこかで聞いたことがあるような……?


「それ――」


 思い出すよりも早く、静寂を破る場違いな声が上がった。

 思わず目を向けてしまえば――見えるのは、鬼の形相でこちらを睨みつけるオレリア様だ。


「エンディングで、私がアンリに言われるセリフよ! なにを勝手に、ヒロインの座を乗っ取ろうとしているのよ!!!」


 激怒するオレリア様に、たじろぐ私のすぐ傍で、アンリがくしゃりと顔を歪めた。

 それから。


「ヒロインを乗っ取ろうとしていたのは悪役令嬢だけじゃなかったの!? あなた、どこの転生者よ! どうせそこらの無名モブのくせに、ヒロインを差し置いて図々しい! エンディングでいきなり出てきて私の努力を横取りしようなんて、卑怯だと思わないの!?」

「…………は」

「アンリ、騙されないで! こんなぽっと出の女より、ずっと旅してきた私の方が大切でしょう!? 魔王を倒すだけの絆がちゃんとあったでしょう!?」


 それから――。


「は――ははは、あはははははは!!」


 アンリは暗い目をしたまま、こらえきれないというように声を上げて笑った。

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