イベントクラッシャー(5)

「アンリ様――」

「アンリ! 来てくれたのね!!」


 私がなにか言うよりも先に、オレリア様の興奮した声が響いた。

 先ほどまで癇癪を起こしていたとは思えないほど、上機嫌な声だ。


「やっぱり私を助けてくれるのね! ひどいのよ、あの方、私を平民だからって、よってたかっていじめて……!」


 ――よってたかって……いじめて!?


 オレリア様の言葉に、私は落ち込んでいたことも忘れて目を見開いた。

 悲しそうに目を伏せ、瞳に涙まで浮かべる彼女は、どう見ても被害者だ。

 少し前まで、私を見下して鼻で笑っていた人物と同じとは思えない。


「……いいえ、でも、私が悪いのね。私はただの平民だもの。アンリの婚約者には相応しくないって、みんな思っているわ。私が悪いの、あの方たちを責めないであげて」


 ――私が悪い!? 責めないであげて!?


 小さく頭を振り、涙を拭って顔を上げるオレリア様に絶句する。

 傷つきながらも、気丈に笑みを浮かべる心優しい聖女――とでも言いたげな彼女の様子に、再び頭が熱を持つ。


 ――アデライトを一方的に中傷したのはそっちでしょう!?


 あまりに腹が立ち、聖女を睨みつければ、彼女は怯えたように悲鳴を上げる。

 目に再び涙を浮かべ、縋るようにアンリにすり寄る、が。


「ミシェル様が睨んでくるの! アンリ、怖いわ! やっぱりあの方は、犯罪――」

「口にするな、と言っただろう」


 短いアンリの声が、彼女の言葉を切り捨てた。

 同時に、アンリを取り巻く風――感情に揺れ、体から漏れ出した魔力が強くなる。


 私はアンリの背中を見上げた。

 こちらに振り返らないアンリが、今どんな顔をしているかわからない。

 だけど、アンリと正面から向き合っているオレリア様は、今度は本当に怯えたように、びくり肩を強張らせた。


「アンリ、お、怒っているの?」


 オレリア様の顔が、みるみる青ざめていく。

 信じられない、と言いたげにアンリを見つめ、彼女は表情を歪めた。


「なんで……? なんで私に怒るの……!? だって相手は悪役じゃない! そんな女をかばって――い、痛っ!? アンリ、痛いわ! 離して!」


 オレリア様は顔をしかめ、アンリに掴まれた腕を引く。

 だけどアンリは離さない。

 無言のまま、ぐっと手に力を込めているのがわかった。


「どうして!? ちゃんと好感度上げたじゃない! やっぱり、途中のイベントがこなせなかったからなの!?」


 聖女はそう叫びながら、助けを求めるように周囲を見回す。

 その視線が私――の背後のアデライトを見つけたとき、彼女の瞳に強い怒りの色が宿った。


「イベント通りにできなかったのは、あんたのせいよ! 私は悪くないわ! 悪役のくせに余計なことして!!」

「――オレリア」


 風が一瞬、ぴたりと止む。

 アンリの声だけが、中庭に静かに響いた。


「もう、黙ってくれ」


 彼の言葉には、もはや怒りすらも感じられない。

 一切の感情のない、ぞくりとするほど冷たい声だ。


「……な、なによ」


 オレリア様は顔に恐怖を浮かべていた。

 慌ててアンリの腕を振りほどき、逃げるように距離を取る。


「こんなイベント知らないわ! 私はヒロインなのよ! 陛下だって味方なのよ!!」


 聖女は叫びながら、私やアデライトに指を突きつけた。

 表情は恐怖から、今度は憎悪に代わっている。


「今に見てなさい! どんなにずるい手を使ったって、あんたたちは悪役なんだから! 卑怯者にヒロインが負けないってこと、思い知らせてやるわ!!」


 そう叫び終えると、彼女は身を翻し、どこかへ走り去って行ってしまった。




 ――な、なんだったの……。


 嵐のような聖女が去り、静けさを取り戻した中庭で、私は息を吐き出した。

 なんだか、どっと疲れてしまった。

 だけど聖女の最後の言葉からして、きっと懲りてはくれないのだろう。


 ――お父様のことも知っているみたいだし……。


 父の罪を知っているのは、きっと彼女もアデライトと同じ――前世で乙女ゲームを遊んだことがあるからだ。

 このことを今後も言われ続けるのだろうかと思うと気が重かった。


 ――い、いいえ。それは後から考えればいいわ。


 今はそれよりも――。


「アンリ様」


 私はアンリの背中に向け、感謝を込めて呼びかけた。


「ありがとうございました。おかげで助かりました」


 そう言いながら、私は彼に一歩足を踏み出す、が――。


「ミシェル」


 アンリの声は、冷たいままだ。

 近付こうとした足が止まる。

 思わず立ち尽くす私に、アンリは低く、こう続けた。


「今の俺に、それ以上近づかないでくれ」


 その言葉には、強い拒絶の響きが宿る。

 アンリは最後まで、私に振り返ってくれることはなかった。

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