教室に忘れたのは君の面影

 卒業式が終わった。

 校庭で写真を撮り終えた仲間たちは、校舎に手を振り、笑顔で帰っていった。


 ――僕は一人、教室を目指して走っていた。

 忘れ物をしていたことを思い出したからだ。


 教室についた僕は、呼吸を整えてから、後ろの扉を開けた。

 ――もちろん教室には誰もいなかった。


 黒板にみんながチョークで書いたメッセージが残っている。

 机も椅子も、もう誰もこないのに、名残惜しいようにきちんと並んでいる。

 教室の前の方の、わずかに開いた窓のそばで、カーテンが風に揺れている。


 誰もいない教室の風景を見ていた僕に、眩しく輝く白昼夢のような光景が重なり始めた

 ――休み時間に友達と笑っていたあいつ。

 ――机の間を走りまわっていたあいつ。

 ――失恋して泣いていたあいつ。

 ――そして、窓辺で物憂げに外を見ていた君。


 懐かしい面影が溢れ出してくる……


 もう僕はこれ以上、ここにはいられない。

 長くいると未練が僕をとどめてしまう。


 僕は自分の席に向かい、忘れ物を探した。

 卒業式の日に忘れちゃいけない忘れ物……「卒業証書」が見つかった。

 ……もう忘れ物はない。さぁ帰ろう。

「三年間、ありがとな」

 僕は机に頭を下げた。


 すると突然、教室の前の扉が開き、一人の女子生徒が入ってきた。

 僕に気が付くと、ゆっくりと近づいてきた。

「……あなたも忘れ物?」

「うん……卒業証書を忘れちゃってさ」

「ふふっ、せっかく卒業したのに?」

「また三年生やるところだったよ」

「危なかったね」

 僕らは二人で笑った。


「もしかして、君も忘れ物?」

「うん。最後にもう一度だけ、この教室を覚えておきたくて」

「そっか。だったら僕は邪魔だね」

「ううん、いいよ。いてくれていいよ」


 そう言って君は、窓際の自分の席に座った。

 もっと俯瞰で教室を見るのかと思ったら、何の迷いもなく自分の席に座った。

「……自分の席からでいいの?」

「うん、私が覚えておきたいのはこの風景だから」

 そう言うと君は、ずっと教室を見続けていた。

 ――もしかしたら僕と同じ幻が見えていたのかもしれない。

 ――誰もいない教室が見えていたのかもしれない。

 その表情からは、うかがい知ることはできなかった。


 再びカーテンが風で揺れた。

 君はふと窓の外を見た。

 それは僕がこれからもずっと忘れることができない、あの思い出の風景だった。

 僕はこの最後の瞬間に、もう一度見られた奇跡に心が震えた。


 しばらくして君は静かに立ち上がった。

「ありがとう。もう大丈夫だよ」

 そう言って僕に微笑んだ。

 ――そして君は教室を出ていった。


 ……ああ、僕は本当に、この風景が好きだったんだ。

 ……そしてこの風景はもう見ることができないんだ……

 僕はたまらず駆け出していた。

 ――本当の忘れ物が何か、今わかった。


 僕は君を思い出にしたくなかった。

 必死になって君を追いかけた。

 ――幻じゃない、面影にしたくない君を。

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