バス車中
異球志秋
バスと君
ある夏の日だった。
蝉が鳴き散らし、もう日も傾いて薄紫色の空が広がっていた。
そんな時、私は手紙を持ち、彼の家へと向かっていた。その家につくと同時に表の門が開いた。
「ようこそお越しくださいました。」
夢見心地のまま、召し使いが現れ、そして奥へと招待された。その召し使いに部屋へ招待されると、そこには年老いた彼がいた。
黒かった髪は白が混ざり、過去の革ジャケットの跡はなく、肩幅に合わないスーツを着て長さの合わないつえで体を支えていた。
彼は会っていなかった約十年間、作家として有名になり、僕は彼とは真逆の人生を送っていた。
中学の時は立場が逆だった俺はどんな態度で接すればいいかわからずにいた。
彼の横に用意された椅子に座ると何気ない会話を交わした。
しかし、彼の視線はどこか虚ろで、目を通して見える、かすかな命の火が今にも消えそうに揺れていた。
「久しぶりじゃないか。どうしたんだ?」
「いや何気ない事なんだが、君に伝えたくてな。」
彼は続けていった。
「そんなことより、疲れただろう?」
彼はかすかに笑いながら、まるで孫でも見るかのように柔らかい目で僕を眺めた。
僕は答えた。
「そうだな。なにぶん家が遠くてな。」
そして、僕は久しぶりに笑った。
彼が召し使いに指で合図をすると召し使いはもちろんというように頷いた。
そのあと、早速本題に移ろうとした。
しかし彼は「なに、時間は余っている」といって、小話を始めた。
そんな弱虫な僕が中学を出て、その人と別れたときのことだ。何時ものようにバスに乗り込むと、空いていた椅子に座った。
このバスは特別な形のバスだったようで向かい合って座るように作られていた。
今と言えば病気が蔓延し、正体の分からないそれに怯える人が多い。そしてこんなご時世だ。いつも満開の桜のようにみっちりとしたバスが、まるで袋を変えて少しのごみ箱みたいに空いていた。
「プー」といった、無機質な発車音が鳴り響く。あの頃は別れたばかりで、はっきり言って寂しかった。だから写真を見て感傷に浸っていたんだ。
そうしたら、「ドタドタ」といった慌ただしい足音が再びバスを騒がせた。そちらの方を見ると、いかにも腹に子がいるような女性が倒れていた。
どうやら急発進したバスに体が置いてかれ、無慈悲な慣性の法則によって倒れこんだようだ。
大丈夫だろうか、と思う。なかなか起き上がれない彼女。しかし、僕は思うだけで手は出さなかった。
そこに自然にひとつの手がさしのべられた。
「大丈夫ですか?」
僕も一応心配はしていたし、動けばすぐに行ける範囲だった。そして、僕は、誰よりも彼女に近かった。
ただ、あの人には手をさしのべる優しさと勇気があったのだ。僕にはそれがなかった。
そこの違いが人間性の違いなのだなと悟った。
嗚呼。僕は優しさの欠片もない人間だ。もしも僕が人を育てるのなら彼のように優しい人に育てたい。
「そんな優しい人間だったらあいつも救えたかな、、、。」
彼はそう語った。彼が中学の後の思い出話をしたから流れに乗って、僕も話そうと思って口を開いた。
そんな時、召し使いが線香を持って来た。彼が受け取ると、召し使いは下がっていった。僕は急に現れた線香にきょとんとした。
「それはどうしたんだい?」
「どうしたって?何でさ?」
彼は笑って言った。彼は本当にわからない様子でいた。そのまま、線香をもって近付いてきた。
そこから彼との言い合いになった。
「おい、いくら冗談でもひどすぎないか?」
「何でそんな変なことを言うんだ?」
「おかしいだろッ。まだ俺は生きてるぞ!」
少し大きな声で彼にそう伝えると彼はため息をついて黙った。
「分かった。」
そう一言だけ伝えると、耳元の補聴器を触った。そのあと彼は何も言わなくなった。
そして召し使いが持って来た線香に火をつけた。
そして僕の前に刺した。
「おい、何をやってるんだ?ふざけてるのか?」
彼に聞いたが彼はなにも言わなかった。
それどころか聞こえていないようだった。
そこで僕は後ろを見た。
そこには僕の写真と一緒に遺骨が置いてあった。
そして彼はこう言った。
「ごめんな。中学校の時、置いていってしまって。」
そして僕は気がついた。
自分が生きていないことに。
バス車中 異球志秋 @ikyuusiaki
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