第18話 動き出した時間
人工島、中央公園。
怪物の咆哮が、公園内に轟いた。
「ああ、面倒くせぇ。マジ、ほんと面倒くせぇな、お前ら」
腹部から血を垂らしながら、怪物はゆっくりと歩んだ。
ボトムとウエストグールの間を隔てるように立ち、新渡戸と阿久津に睨みを利かせる。
「本当にバカだな、お前ら。いいように操られやがってよぉ。おかげで、俺がわざわざ来るはめになったじゃねぇか。ったく、腹が痛ぇってのによぉ」
阿久津はゴクリと唾を飲み、額から冷や汗を流した。
「おいおい、どうしたんだよその怪我。すぐ病院行ったほうがいいんじゃねぇか? まあ、俺らからしたら憎いてめぇを殺す、これ以上ないくらいのチャンスだけどよぉ」
「来る途中、居候のバカに撃たれちまったんだよ。どうやら、あいつも連中の仲間だったみたいだ。はは、もうこりゃ誰も信用できねぇな」
「いや、撃たれて平気って、てめぇどんだけイカれた体してやがんだよ」
「はっ! クソメッキ、殺すなら殺せよ。だけどよぉ、俺はただじゃ死なねぇ。いや、死ねねぇんだよ。お前らに勘違いさせたまま、俺が生まれたこの島で暴れてほしくねぇんだよ!」
激痛に耐えながら、東堂は声を絞り出す。
「教えてやるぜクソメッキ。てめぇ、いいように利用されてるぜ、例の動画のガキによぉ」
「あ? そりゃどういう意味だ?」
「その面、ボトムのやつにやられたと思ってんだろ? それは間違いだ、そう見せかけるのが連中の手なんだよ。いいか、よく聞け。ボトムもウエストも、両方仲間が殺されてんだよ! しかもそれは、互いに殺し合った結果じゃねぇっ! 黒幕がてめぇら両方を潰し合わさせるために、わざと焚きつけたんだっ!」
東堂の叫びは、公園内にいる愚連隊全員の耳に届いた。
「なんだと?」
阿久津は動揺から声を漏らし、新渡戸は目を剥いて固まっていた。
「あぁ、クソ痛ぇなぁ。下痢の時より酷いぜ。思い出してみろ、自分の仲間が殺された時間を。ちょうど同じ頃、ボトムとウエストでは同様の手口の殺しがあったんだよ。それを仕組んだのは、別の勢力だ。お前らを蹴落としてやろうってやつが、裏でずっと暗躍してたんだよ。だからこの闘いは無意味だ、黒幕の思う壺なんだよ」
「おい女、本当か?」
ボトムのリーダー、新渡戸に阿久津が問いかけた。
「本当よ。私の部下が路地裏で殺された。でもまさか、そっちでも同じようにメンバーが殺されてたなんてね」
二人が口裏を合わせている可能性もあったが、阿久津はそんなことは考えなかった。何故なら彼は、例の動画を撮影した人物を既に知っている。この時点で何者かの暗躍が行われていたことを察していたのだ。何故、東堂と少年の喧嘩を撮影し、それを送りつけてきたのか。その理由がやっと繋がった。
全ては自分たちを裏から煽り、抗争へと発展させる策略、罠だったのだと。
「これでわかったろ、お前らが闘う理由なんてもうどこにもない。共通の敵が他にいんだよ。もしまだ、暴れ足りねぇって言うなら、俺がてめぇらの相手をしてやる。それで気が晴れんなら、拳の何発かなんて安いもんだぜ」
腹部から血を流している男のセリフではない。もう既にギリギリの状態だというのに、東堂は決して引かなかった。もはやそれは呆れるを通り越して、狂気すら覚えるほどだった。
「本当に単細胞だな、てめぇは」
阿久津は小さく息を吐き、苛立ちげに言葉を紡いだ。
「そんなことで、俺たちの闘いが止められると思ったのか? バカが、甘すぎる。遅かれ早かれなぁ、どうせこうなってたんだよ。俺たちはいつかこうやって、そこにしかねぇ小さな縄張り求めて、殺し合ってたんだよ。それが他人の横槍で、ちょっと早くなったってだけだ。そもそも理由なんていらねぇんだよ、クソ単細胞が」
「んだとぉ、クソメッキ野郎が」
東堂が噛み付くと、阿久津は柔らかな笑みをこぼした。
「まったく、本当にイライラするよ。てめぇに助けられるなんて、人生の中で一番最悪だ。反吐が出るぜ」
普段から他人の神経を逆撫でしてばかりいる男には、その表情はあまりにも似合わなかった。
「てめぇら、今すぐ持ってる得物捨てろ。今、俺たちが潰さなきゃいけない敵はボトムじゃない。もちろん、そこにいる死にかけの怪物でもな」
阿久津が手に持っていたスタン警棒を投げ捨てると、仲間たちがいっせいに武器を捨て始めた。カランカラン、アスファルトと金属の接触音が鳴り響く。
「あーあー、敵の前で武器捨てるとか、なに考えるんだか。敵意のない相手と喧嘩なんて、それこそできないっての」
すると今度はボトムのメンバーが次々に武器を投げ捨てていった。誰かが言ったわけでもなく、自然に。
「は、はは、ははは。てめぇら……わかんじゃ……ねぇか……よぉ」
途切れ途切れに言葉を漏らしながら、無敗の怪物が地面に倒れ込んだ。
「おいラディッシュ、バンを出せ。すぐに地下の闇医者のところまで運ぶぞ。この男に、借りは作りたくないからな」
「わかりました!」
若者たちが東堂をバンに乗せると、車は地下街に向かって走り出した。
二人のリーダーは走り行くバンの背中を眺めながら、互いに違う方向へと歩み出した。
愚連隊同士の抗争は、こうして幕を閉じたのである。一人の男の、血と熱意によって。
抗争の収束は、すぐに暗躍者の元へと届いた。しかしながら、当然吉報とは呼ばなかった。
玄野は怒りに任せて携帯を切ると、歯をギリギリと鳴らし出した。
「はは、どうやら、東堂さんが間に合ったみたいだね」
佐々木は勝ち誇ったように微笑む。まるで先ほどとは立場が逆だ。
「何でだよ、どうして怪物の説得なんかで、抗争が止まっちまうんだよ! 愚連隊ごときが、なに一丁前にカッコつけてんだよ!ふざけんじゃねぇっ!」
怒りのままに、玄野は声を張り上げた。
「そうやって、見下してるからだよ」
「あぁ?」
「お前は愚連隊を、ボトムやウエストを舐めすぎた。簡単に潰せるとか、いきがってるからそうなるんだ。もっと連中の掲げる信念は、お前じゃ理解できないくらいに深いんだよ」
「黙れっ!」
再び銃声。己のそばを銃弾がすれ違っていくというのに、佐々木は微動だにしなかった。まるで銃弾など、恐れるに値しないかのように。怯む様子はどこにもなかった。
真剣な眼差しで、目の前にいる玄野をただじっと見つめていた。
「お前、怖くねぇのか? チャカが」
「怖いさ、怖くないわけないだろ」
「じゃあどうしてっ! どうして逃げないっ! 醜く生に抗えよっ、この狂人やろうがっ!」
玄野は息を荒くしながら、醜く叫んだ。
思い通りに行かないことに腹を立てるその姿は、まるでただの子供だった。玄野の平凡な容姿も合わさって、それは一層際立っている。
「もうやめろ、玄野。お前たちは計画は破綻したんだ。結局、ただ九龍会に喧嘩を売っただけだ。いずれ本土から仲間が来て、お前たちは消される。九龍会からしてみれば、お前のやってることは子供のママゴトと同じなんだよ」
「うるせぇっ! わかったように言ってんじゃねえよっ! 俺たちがどんな思いで、今まで積み重ねて来たと思ってんだっ! お前らみてぇな変態ストーカー野郎や、イカれた殺人鬼に説教なんかされたかねぇんだよっ!」
次の瞬間、乾いた銃声とともに小さな塊が発射され、佐々木の腹部を撃ち抜いた。
貫通した弾はコンテナへと減り込み、佐々木は口から僅かな血を吐き出す。
「もう死ね、そのまま」
玄野が銃口を雨生へと移行した、その時だった。一瞬のうちに、二人の仲間が首から血の狼煙を上げ、バタバタと地面に倒れた。
僅かな時間で、捉えらないほどのスピードで、雨生が二人の喉にナイフで切りつけたのだ。二人とも拳銃を持っていたが、そんなことはもはや関係なかった。殺しに対する技術が、圧倒的に違っていた。そして何より、目の前で愛しの人物を撃たれた少女の怒りに、勝ることなどできなかったのだ。
「佐々木くん、大丈夫?」
雨生はすぐに佐々木へと駆け寄る。弾は貫通していたが、出血が酷かった。
「はは、大丈夫だよ。やっぱり、鉛玉ってのは大したことないね。東堂さんの拳の方が、よっぽど痛かった」
佐々木はよろける足を必死に踏ん張らせ、ゆっくりと玄野へと歩み寄った。
「俺、お前に感謝してるんだぜ。実は東堂さんも殴り合ってる時、この上なく楽しかったんだよ。初めて、人とガチで喧嘩した。そして、初めて負けた。喧嘩って、あんなに楽しいもんなんだな。だからさ、今ここで、俺と喧嘩してくれよ。なぁ、玄野」
血を捨てるように流す狂人の言葉は、耳を疑うものだった。この状況で、何が喧嘩だろうか。もはや、その定義に収まるレベルの事態はとうに過ぎている。
玄野は拳銃を持つ手を震わせながら、化け物と距離を取るため後退りする。だがやがて退路は無くなり、コンテナへとその背中を預けた。
すると、佐々木の姿が目の前から消えた。玄野が首を左右に振るが、どこにも姿が確認できない。まるで幽霊のごとく、跡形もなく消えてしまったのだ。
だが、それも僅かな間だった。玄野は空から、赤い液体が降り注いでいることに気づいた。まさかと思い、おもむろに視線を上げる。
次の瞬間、銃を持った己の右手に衝撃が走った。
コンテナの上から降ってきた佐々木の足が、玄野の手を思い切り踏みつけたのだ。人間のできることではなかった。佐々木はあの一瞬でコンテナの上まで飛び、玄野にとって死角である上部から攻撃を仕掛けたのだ。腹部を撃たれている人間には、到底できることではない。奇襲という意味では、これほどなく最強と言えた。
玄野はその衝撃で足を滑らせ、バランスを失ったタイミングで腹部に佐々木の拳を受けた。言葉にならない声を漏らし、玄野は空中を指でかいた。
やがて玄野は意識を失い、その場に倒れた。辺りには佐々木の血が飛び散り、まるで惨劇の後のようだった。
その様子をただ見ていた雨生は感心したように呟いた。
「佐々木くん、あなたって強いのね」
「は、はは、唯一の取り柄かな、これが」
あまり嬉しくはなかったが、佐々木は苦笑いを浮かべた。せめて彼女には、もっと別のことで誇ってみたかった。
「君こそ、本当にすごいね。あの一瞬で、後ろにいた二人を殺しちゃうんだから」
「私にとって、これが唯一誇れる才能だよ。このおかげで、佐々木くんとの日をずっと思い出してたの。人を殺すたびに、君と出会った日が脳内で再生された。まるで昨日のことのように、鮮明に」
普通ならドン引きしてもおかしくないが、佐々木は本人が自覚している以上に、常人とは言い難い存在だった。故に、彼女の狂気を簡単に受け入れた。
そもそも、化け物だと言われ続けた自分が、今さら誰かを恐れることなど、それこそバカらしかった。
「でも本当に良かった。また君に会うことができて」
「私もだよ。まさか、こんな島まで会いに来てくれるなんて思わなかったけどね」
二人は全身を真っ赤な血で染め上げていた。違いはその量と、他人のものか自分のものかというほどしかなかった。
「これでもう二度と、私が人を殺す必要はないんだね。だって君と、これから先の未来を作っていける。もう過去に執着しなくても、君を感じられる」
雨生はうっすらと、その瞳に涙をこめていた。
「なら、そのためにも生きないとだね。この程度の傷で、止まってちゃ、ダメだよね。とりあえず、病院にでも行こうかな」
アバラが数本折れていたが、佐々木の意識は痛覚を感じていなかった。額からは脂汗が湧き出し、徐々に体を蝕んでいく。しかし何故か、意識は前よりずっとはっきりしていた。
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