第14話 侵食
同日、同時刻。西区倉庫街。
「はぁ……はぁ……ちょ、ちょっと、待ってくださいよ。なんですか? ストーカーですか? 警察呼びますよ?」
息を切らした十代半ばの少女が、倉庫の壁に背を預けながら、苦しそうに言った。
倉庫街にある狭い道の最奥。少女は追跡者から逃げ、その場所に追い詰められていた。
「警察ねぇ、あんたはそんなもん呼べる立場にあるのかい?」
少女、雨生美久留の目の前で薄い笑みを浮かべる黒髪の少年は、ふてぶてしく答えた。
「それはあなたも同じじゃないですか。絶対、裏で悪いことしてますもんね。ていうか、実際に今してるし」
「人殺しに言われたくないなぁ。君、東区の路地裏で、愚連隊を二人殺してたろ?」
「二人も殺してません。ていうか、そもそも殺したのはあなたの仲間でしょう?」
雨生は目を細め、少年を睨んだ。
「ふ、ふふ……二人もって、一人を殺したことは認めるんだね」
「あれは正当防衛です。向こうから私に切り掛かってきたんですよ。変な言いがかりはやめてください」
「じゃあ殺したことは事実ってことになるじゃないな。嫌だなぁ、こんなどこにでもいそうな女の子ですら、簡単に人を殺しちゃうなんて。この島は、本当に物騒だ」
「その言葉、そっくりそのまま返しますよ。私よりも、あなたの方が量産型フェイスじゃないですか」
「これは仕様だよ。簡単にどこにでも溶け込めるよう、目立つようなことはしないんだ。まさに黒衣ってね」
少年は己の頬をペタペタと触りながら、気味の悪い笑みを浮かべた。まるで存在感がないことを、誇らしげに感じているようだった。
「さて、携帯電話を返して貰おうか。あれが誰かの手に渡ることは、決してあってはならないことなんだ。早く渡せ」
「このたくさん数字の入った、気持ちの悪い携帯ですか? お友達のことを番号で呼ぶのは、あまり関心しませんね。あ、もしかして家族ですか? そうですよね、お友達が全員同姓同名だなんて、普通に考えておかしいですもんね」
「それ以上喋るな。残念ながら、君は知りすぎたよ。我らの存在が何なのか、ってことにね。どうやら、もう殺すしかないみたいだ」
少年はゆっくりと、手に馴染む黒い物体を取り出し、雨生へと向けた。
それはよくテレビドラマなどで刑事や犯人が手にしている、万人には見慣れた物だった。子供から老人まで、誰もが知っている武器。ただ、本物を見ることがないだけで。
黒く艶消しされた、小型の拳銃。偽物かと思ったが、この島なら手に入ってもおかしくない代物である。
この島に支部を置く九龍会からなら、互いの利益次第で簡単に流してもらえる。
「見たくないなぁ、君みたいな可愛い女の子の頭が弾ける瞬間は」
「あはは、大丈夫ですよ。散弾銃じゃないんですから、拳銃なんかで人の頭は吹っ飛びませんって。せいぜい風通しのいい穴ができるくらいです」
銃口を向けられているというのに、何故か雨生は冷静だった。それどころか、余裕をあらわにするかのような茶化してくる。
さすがに、その姿は不気味なものだった。普通の少女であれば、銃口を向けられて平然としてはいられない。むしろ、焦ったり泣き喚いたりするものだ。最悪、失禁しても不思議ではない。
なのに彼女は、笑っていた。
偽物だと思っているというようにも見えなかった。本物だとわかってなお、笑みを浮かべている。
「あれ、どうしたんですか? 撃たないんですか?」
「う……撃つさ。ただちょっと、君が気持ち悪くてね。死ぬの、怖くないの?」
「怖いですよ。私、死ぬのが一番嫌なんです。生きることに、この上なく快感を覚えるタイプなんですよ。正直、誰よりも生に貪欲な自信があります!」
「へ、へぇ、とてもそうは見えないな。俺の目には、あんたが狂人のように映ってるよ。死ぬことなんて怖くない、生なんてそんなもの、くだらないって感じがする」
「えーっと……それは多分、勘違いです。でも、一つ的を射てるとするなら、くだらないって部分ですかね? たしかに私、惰性で生きている人たちを下らないって思って見てます。どうしてもっと、自由に生きないのかなって」
「……は、はぁ?」
少年が訝しげに顔を歪める。彼女の言っていることが、何と一つ理解できなかったのだ。
「ほら、早く撃ってみてくださいよ。あなたは私を、殺しに来たんですよね?」
「ああ……そうだ、そうだとも。我々の目的達成のため、君は殺さなくちゃならない。今すぐにね」
薄笑いを浮かべる雨生と違い、少年の目にはいよいよ殺気がこもり始める。
「……さよなら」
「ふふ、同じ展開は嫌ですよ」
瞬間、倉庫街に銃声が響き渡った。
「がっ! あ、ああっ! ああ、あああぁっ! あ、足が、足がぁっ!」
太ももを抑えながら倒れたのは、銃を構えていたはずの少年だった。左足の太腿部分に赤い穴が開けられ、緋色の液体が湧き出ている。
痛みに耐えながら、少年は雨生へと視線をずらす。その手には、少年が持っていた物と形も種類も同じタイプの拳銃が握られていた。その銃口から、薄い硝煙が天へと向かって伸びている。
「これ、あなたの仲間から拝借したの。使ってみると、結構な反動が腕にくるんだね。ちょっと痺れちゃった」
一瞬だった。少年が引き金に手をかける寸前、雨生は隠していた拳銃を取り出し、少年の足を撃ち抜いた。とても素人とは思えない、プロ顔負けの早業で。
「あはは、驚いた? 拳銃……初めて使ったけど、案外呆気ないね。ナイフの方が肉の感触もわかって、使ってて楽しいのにな」
「は、初めてだと? う、嘘だろ……お前いったい、何者なんだよ?」
「芝居がかったセリフだね。うーん、何て答えたらいいかなぁ。あっ、これなんていいかも」
雨生は足を抑えながら倒れる少年の頭に、拳銃を押し当てた。
「私はただの不登校児だよ」
再び、銃声が轟いた。
脳天に大きな吹き抜けの穴を作った少年は、どくどくと健康的で赤い血を流しながら、その場に転がっていた。
「いいことを教えてあげます。拳銃は、構えた瞬間に撃つものですよ。銃口を向けているだけでは、決して相手には勝てない。発砲のタイミングがバレバレです。構えるなら、撃つ寸前ですよ」
雨生は少年の体を物色すると、拳銃と携帯電話を奪い、拳銃は懐へとしまった。
携帯電話を開き、自身の持っているもう一つの携帯電話と見比べる。
「へぇ、あなたは九番なんですか。もしかしてこれ、序列ですか?」
西区、中央通り。喫煙所前。
まるで何かを告げる合図かのように、西区に銃声が轟いた。それも連続で二つ。
「おい! 今のって、銃声だよな?」
「は、はい……俺も聞きました」
東堂と佐々木は、互いに顔を見合わせた。街の中に轟いたのは、二つの大きな花火、銃声だ。
「多分、この先の倉庫街からだ。おかしいな、あの辺りには今は誰もいないはずだぞ。ウエストの連中、ほとんどがタワー周辺に向かってるはずだ」
倉庫街は、西区からやや外れたところにある。昔は不良少年の溜まり場だったが、次第にウエストグールが頭角を現し、今は特に誰も利用していない。
人工島が栄えていた十年前はよく使われていたらしいが、寂れていった今では無人となっている。
「何かあったのかもしれません。俺、行ってきます!」
「おいおい、一人で大丈夫か? まだ爆竹ってこともあるかもしれねぇが、ガチの拳銃だったらどうすんだ!」
「はは、その時はその時ですよ。東堂さんは、すぐにタワーに向かってください! 早く抗争を止めないと、そっちだって手遅れになるかもしれない!」
「ちっ、カッコつけやがって。わかったよ、そっちはてめぇに任せた! 俺は、あの馬鹿どもを止めてくる! いいか、死ぬんじゃねぇぞ、クソガキッ!」
「誰に言ってんですか。拳銃の弾の一つや二つ、あなたの拳に比べたら豆鉄砲ですよ」
「くはっ! そうだな、忘れてたよ。てめぇは、俺の拳を何発も耐えた化け物だったな!」
互いに笑みを浮かべながら、東堂と佐々木はその場で別れた。一人は倉庫街に、もう一人はタワーに。この島で、最も恐るべき存在が、手を組んでしまった。
まさに、最強コンビの誕生の瞬間であった。
佐々木と別れた東堂は、その足で真っ直ぐ島の中心部、タワーへと向かった。
タワーへと近づくにつれ、喧騒が少しずつ大きくなっていく。
どうやら、もう既に闘いは始まってしまったらしい。まだ全面抗戦とはいかないが、下っ端たちによる小さな戦争は、絶えず行われていた。
東堂は途中、阿久津が根城にしている廃ビルへと入って行った。タワーに行く前に、まずはここにいないかどうかを確認しに来たのだ。
抗争は激化していたが、まだ頭同士の喧嘩は起きていないと予想できた。あくまで下の潰し合い、本番は互いのヘッドによるタイマンで決まる。
廃ビル内に足を踏み入れると、東堂は思わず顔をしかめた。
鼻腔を刺激する嫌な臭いが、ビルの中に充満していたのだ。
そこには原型を留めていない、二つの死体が転がっていた。黒焦げで、もはや生前の姿や形が想像できない。
「……な、なんなんだよ、こりゃ」
それが元々は阿久津だったのか、それとも全く別の誰かなのかは、東堂にはわからなかった。一つわかることは、この惨状を生み出した人物も、愚連隊の抗争を起こした人物も、同一人物だということだ。
無論、そんな証拠はどこにもない。ただ直感的に、同じ犯人の仕業だと感じたのだ。
恐らく、目的は火種の活性化。連中のアジトに火炎瓶を投げつけ、さらに抗争を悪化させようとしたのだ。
そして今度は二人、人がまた死んだ。
「くそっ! いったいどうなってやがんだ! ここまでする意味があんのかよっ!」
廃ビル内に、東堂の怒号が響いた。すぐにその場を後にしようとした彼だが、背後から人の気配を感じ、咄嗟に身構えた。
やがてその人物の姿を確認すると、東堂は構えるのをやめ、弛緩したように表情が緩んだ。
「あ? なんでてめぇがここにいんだよ。今日、仕事じゃなかったのか?」
目の前の人物は、ポケットに手を突っ込んだまま、微妙な笑みを浮かべながら答えた。
「仕事だよ、仕事でここまで来たんだ」
「はぁ? いったい何をいってやが……」
その時、彼は今日で三回目の銃声を耳にした。同時に、腹部から激痛を感じ、ゆっくりと膝を着いた。
「あ、ああ? な、なんだよ……これ」
そして四回、五回と、再び銃声が鳴り響いた。
東堂は血で真っ赤に染まった腹部を抑え、その場に倒れ込んだ。
「悪い、銃って撃つの初めてなんだ。一瞬で殺してやれなくて、ごめんな。おっと、あんまり長居すると、今の銃声を聞いた野次馬やらポリ公あたりが来ちまうな。痛いだろうけど、そのままここで死んでくれ。じゃあな、敦」
腹部を撃たれた東堂をその場に残し、その人物は廃ビルから姿を消した。
東堂はその人物の背中を見ながら、ゆっくりとその目を閉じた。
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