第13話 共闘

 小一時間前、地下街。


「お前なぁ、いい加減にしろっ! しつけぇんだよ、さっきから!」

 照明の当たるリングの中央で、ドレッドヘアの男が、腕に張り付く少年を必死に振り解こうとしている。

「行かせるもんか! だってあんたら、今から西区の連中と徹底抗戦する気なんだろ!」

「それがどうしたってんだよ!」

 暴れるドレッドヘアの大男、ラディッシュは声を張り上げた。しかし、それでも彼の腕を掴んでいる少年、佐々木は怯まない。

 事態は、最悪な方向へと向かっていた。

「連中はレインコートの仕業に見せかけて、俺たちの仲間を殺した。なら、その制裁を与えるのは当然だろ! 奴らがその気なら、こっちだって受けて立つだけだ! やられっぱなしで、舐められたまま終わらねぇんだよ!」

 ラディッシュは先刻、仲間が二人路地裏で刺殺されたと報告を受けていた。もしその犯人がウエストグールであるなら、それは宣戦布告と同義である。

「ならお前が、俺をぶっ潰してでも止めるか? あぁ? んなことして、結果が変わるのか! どうなんだよっ!」

「そ、それは……」

 佐々木は言葉を詰まらせる。そう、ここでもしラディッシュを力ずくで止めたとしても、ウエストグールとボトムの抗争が収まるわけではない。むしろ、劣勢となったボトムが敗北するだけだ。それでは、佐々木がいま全力で彼を止めている意味が無くなってしまう。彼はただ、幼馴染かもしれないボトムのリーダーを守りたいだけなのだ。

 ウエストグールとの抗争が始まれば、当然無事では済まない。最悪、死ぬこともある。

「レインコートがウエストグールだとしても、模倣犯だとしても、やったのが連中だってことは間違いねぇんだ! ウエストの奴ら以外に、俺たちに喧嘩を売る馬鹿はこの島にはいねぇんだからなぁ!」

 ラディッシュの腕に見える、彼らのパーソナルマーク。これはボトムのメンバーである証だ。そのことを知らない人間は、この島にはほとんどいない。もはや常識であり、生活していくために必要は知識だ。

「お前だって、玄野って新入りのこと知ってるんだろ? そいつが殺されたんだぞ! もう、単なるガキの遊びじゃなくなってんだっ! 今ここで潰さねぇと、被害は拡大する一方だ。やられる前に、やらなきゃならねぇんだよ!」

「いや、それがむしろおかしいんだよ!」

「はぁ? 何言ってやがんだ」

 強気に言い返す佐々木を見て、眉根を寄せるラディッシュ。

「玄野は、俺のクラスメイトだ。あいつは、愚連隊のことを危険視していた。わざわざ、俺に忠告もしてくれた。なのに、それなのに、ボトムに入るなんてどう考えてもおかしい!」

「んなこと知るか! たしかに変わったガキだとは思ったが、この島じゃ愚連隊に入ることは別に変なことじゃない。お前に忠告したのも、自分のことを隠したかっただけじゃねぇのかぁ? タワーに通いながら愚連隊に入ってるガキなんて、いくらでもいるぞ!」

 本土と島で異なる価値観、常識。十年前から変化をやめてしまったこの島では、愚連隊やチーマーとして活動することが少年たちのステータスであり、そうして得る力こそが正義なのだ。

 当然、そうならない若者も多くいる。だが、大半がまだ変わらずにいるのだ。そこに、本土で育った佐々木の意見など通らない。いや、言っていることは正しくても、何故かラディッシュの意見の方が正論に聞こえてしまうのだ。それが例え、間違っていたとしても。

「俺たちを止めてぇなら、お前の手で証明してみるんだな! 俺たちの仲間を殺したのが、ウエストの連中じゃないってことをな」

「え? そ、そうすれば……戦いは止まるのか? 本当に、手を引いてくれるのか?」

 差し出された藁同然の条件に、佐々木は目を見開いた。

「可能性はゼロじゃないかもしれないな。俺も保証はできねぇけどよ。だからいい加減、その手を離せ」

 すると、ラディッシュの腕を掴む佐々木の力が徐々に弱くなり、やがて離れていった。

 ラディッシュはバンに乗り込むと、地上へ続く地下街の出口まで車を走らせた。

 リングにはただ一人、佐々木だけが残されていた。周りにはまだ気絶している者が何人かいたが、ほとんどの者が地上へと向かい、交戦の準備を始めていた。

 ただ一つ、残された可能性。玄野を殺した人物の正体。それがもし、レインコートによる一連の犯行だとすれば、ウエストとの抗争は一時的にだが収まる。

 幼馴染を守れるかもしれない、そんな僅かな希望が、佐々木の頭の中を巡っていた。

彼にとっての、この島での唯一の糧。それを失うことは、決してあってはならなかったのだ。


 俺が、この島で起きている事件を収束させて見せる。


 佐々木は心の中で独り言ちながら、地下街の出口、西区方面への歩みを進めた。





 そして、現在に至る。


「お願いって、いったい俺に何の頼みがあって来たんだよ、てめぇ」

 困惑する東堂を前に、佐々木は必死に息を整えた。

「あなたの力が、必要なんです! どうしても! だから、お願いします! ウエストグールとボトムの戦争を、止めてくださいっ!」

 地べたに手をつき、佐々木はアスファルトに額を擦り付ける。外では中々見られない光景、土下座だ。

 何の躊躇いも、見栄も、そこにはなかった。

 その必死さは、嫌でも東堂へと伝わる。ついこの間、本気で死闘を繰り広げたが故に、少し妙な気分だった。

 本気で拳を交えた男が、いま目の前で頭を下げている。それも、額と手と膝を地面につけて。

「おい、頭上げろ、クソガキ」

「無理です! 了承してくれるまで、絶対にあげませんっ!」

「んだそれ、調子狂うな。面倒くせぇ、これ以上イライラさせるんじゃねぇ! 藪から棒に妙な頼みごとしやがってよぉ。つうか、んなことして俺に何のメリットがあんだよ」

 東堂はくしゃくしゃと頭をかき、奥歯を鳴らした。若干、少年の行動に呆れていた。どうしてそこまでするのか、そんなことをして、そもそもこの少年には何の得があるのだろうか。

「たしかに、あなたには何のメリットもありません。けど、それでも、俺の頼みを聞いてください! この通りです!」

「ったく、話にならねぇな。てか、もう遅いだろ。タワーの前には、愚連隊のバカどもがわんさかいたぜ? 今更止めに入ったところで、何が変わるっていうんだよ」

 現在、西区と東区の境界線、主にタワーの前は十数人の愚連隊で溢れ返っていた。バットや鉄パイプを持った二十代未満と思われる少年たちと、二十代前後と見られるチンピラたちの睨み合い。少しでも隙があれば、互いが首に掴みかかる勢いだ。

 もう、戦争の火種は生まれてしまっている。仲間が何者かに殺され、それを互いが犯人だと思い込んでいるのだ。

 島で無敗の怪物と呼ばれる東堂が向かったところで、血が増えるだけである。

「つうかよぉ、てめぇがそこまでする理由くらい話したらどうなんだ? まさか、そんな時間もねぇってわけじゃねぇだろうに」

「お、俺の、大切な人かもしれないんです。その、ボトムのリーダーの人が。だから俺は、彼女を守りたいんです! 自分勝手なことだってのは承知です! でも、俺には頼れる人があなたしかいないんです!」

 実際、それは本当のことだった。佐々木はこの島に来てから日が浅く、まともな知り合いは玄野くらいしかいない。その玄野が殺された今となっては、もはやすがれる相手などいやしないのだ。その中では、まだ東堂が一番近い位置にいる。本気で拳を交えた、互いが唯一同類と呼べる存在。

 佐々木自身、既に東堂はタワーでの一件が勘違いだと気づいていると思っていた。当然、彼も己の過ちは理解している。そういう意味では、この少年に借りがあると言っても過言ではないのだ。

 つい、いつもの調子でキレてしまい、本気で殴ってしまったのだから。

「あのなぁ、そもそも先に手を出したのはボトムの連中だろ。それなのに何でわざわざ俺がてめぇのために、あの子娘を助けてやらなきゃなんねぇんだ?」

「え? な、何を言ってるんですか? ボトムはむしろ被害者でしょう? 仲間を二人も殺されてるんですから」

 そこで初めて佐々木は頭を上げ、訝しげな表情を浮かべた。

 どうも、話が食い違っている。

「あぁ? てめぇこそ何言ってやがんだ? ボトムの仲間が二人殺された? そりゃいったい何の話だよ。西区じゃ、ウエストのバカが殺されてたんだぞ。ありゃ、ボトムの仕業じゃねぇってのか?」

 寝耳に水だった。西区でウエストグールのメンバーが殺されたことなど、佐々木は何も知らない。だが、東堂が嘘を言っているようにも見えなかった。

「で、でも、たしか東区じゃ、ボトムの仲間が二人殺されて、それでボトムはウエストと徹底抗戦するって」

「なんだと? そいつはおかしいな、別にウエストの奴らにそんな素振りはなかったぞ。向こうも、先に仕掛けたのはボトムの連中だって言ってたしな」

 今日東堂の前で阿久津が仲間の死を聞いた時、完全に心当たりなどないと言った感じだった。もし先に仕掛けていたのなら、あの反応はしないはずだ。

「……まさか」

「も、もしかして……」

 二人はそこで気づく、ボトムでもウエストでもない、別の勢力の存在に。

 しかもその勢力は裏で糸を引き、互いの組織を嗾け合い、共倒れを狙っている。

 東堂は、阿久津の話を思い出した。自分たちの喧嘩を盗撮していた人物がいたこと、そしてそれがいったい誰なのか、ということに。

 瞬間、東堂が怒りのあまり、近くにあったゴミ箱を蹴り壊した。

佐々木の体が、思わずびくっと跳ねる。

「そういうことかよ。あぁ、なるほどなぁ、全部わかったぜ。最初から、何もかも仕組まれてたってことかよ」

 さすがに単細胞な東堂であっても、誰が裏で糸を引いていたのか、すぐに見当がついた。

「え? そ、それってどういうことですか?」

 佐々木は立ち上がり、東堂へと詰め寄った。

「そうか、俺はあのクソメッキに聞いたから知ってたけど、お前は知らないのか。実は俺たちの喧嘩、盗撮されてたんだよ」

「なっ! ど、どうしてそんな!」

「多分、ボトムとウエストを吊り上げるためだろうな。この島じゃ、俺を潰したいって思ってる野郎は多い。てめぇを利用しようと動き出した二つのチームを、同時に潰そうって計画だったんだ。もしかしたら、ついでに俺やてめぇもってことかもなぁ」

「じゃあ、まさか最初タワーで起きたこと、全部……」

「同一犯だ。というより、連中の仲間って言った方がいいかもな。お前、この辺じゃ見ない顔だよな? 出身はどこだ?」

 意外な質問に、佐々木は目を丸くしながら答えた。

「えーっと、東京、ですけど」

「てめぇが喧嘩に強いって噂、少しでも広まったか?」

「あ、多分、割と有名だったかも。色々なところから喧嘩売られたし」

「なるほどな。んでてめぇが強いってこと、連中は最初から知ってたんだ。そんでもって、わざとこの俺と闘わせた。てめぇの実力を見るためになぁ」

 事の始まりは、佐々木がこの島に足を踏み入れた時。全て、何もかも、計画のうちだった。東堂と佐々木がぶつかることも、その噂を聞きつけた愚連隊が動き出すことも。そしてその黒幕は、傍観席から舞台に火を投げ入れた。決して簡単には燃えない、巨大な火種を。

「となると、レインコートは無関係だろうな。火種の原因が互いの組織によるものだと思わせるなら、むしろ邪魔でしかない。まあでも、世間的には通り魔の仕業に見せかけられるから、繋がってねぇとも言い切れねぇのか」

「は、早くこのことを伝えないと、本当に人が死んじゃう!」

 佐々木は額に青筋を立てた。化け物並みの強さを持っている彼だが、根は優しい。血を見ることなど、本当は怖いのだ。

「ふん、今更ガヤが何を言ったところで、連中は止まらねぇよ。まあ、止めるやつにもよるけどな」

「え? そ、それって」

 その言葉を聞いて、思わず期待の眼差しを向ける佐々木。

 東堂自身、あまりそういう視線を向けられることは得意じゃなかった。今まで、誰かのためにこの力を使ったことなど、一度たりともない。故に、人から頼られたことなど、当然ない。

 彼にとって、初めての経験だった。己の力を、誰かを守るための力として、期待されるということは。

 恥ずかしげに後頭部をかくと、東堂は軽く舌を鳴らした。

「あーあ、俺も焼きが回ったな。こんなしょんべん野郎に期待されて、柄にもなくそれに応えたくなるなんてよぉ」

「と、止めに行ってくれるんですか?」

「ふん。まあ、てめぇには借りがあるからな。俺に初めて、勝負ってもんで熱くさせてくれたしよ。それによぉ、全部が黒幕気取りの野郎の思い通りってんじゃ、ムカつくだろ?」

「あ、あ、ありがとうございますっ!」

 佐々木はこれ以上ないくらい、頭を深く下げた。

「やめろ。別にまだハッピーエンドじゃねぇんだ。それにてめぇには、てめぇのやることがあんだろ!」

 東堂は軽く、佐々木の額にデコピンを食らわせた。常人なら気絶するほど威力の高い彼のデコピンだが、佐々木は涙目になる程度で済んだ。

「黒幕気取りのクソ野郎に、その拳を振るってやれ」

「って言われても、俺はどうしたら?」

「あぁ? んなこと俺が知るわけねぇだろ」

「え、ええぇ。って、あれ、ちょっと待てよ。俺とあなたを闘わせたってことは、黒幕の正体って……」

 佐々木もやっと、その正体が誰なのかということに気づいた。

「今頃かよ。ったく、俺もあながち間違っちゃいなかったのになぁ……誰かさんが割って入ったせいで、仕留めそこなったぜ」

「いやいや、それはおかしいですよ! だ、だってあいつは……」

 佐々木は、東区で起きたボトム殺しに関して、東堂に詳しく聞かせた。その傍れが、自分の友人だったということを。

「たしかに繋がらねぇな。もしかしたら、本当にレインコートが現れたのかもしれねぇ」

「まさか現れた本物に、その場で返り討ちにあったってこと……ですか?」

「可能性としてはありえるな。となると、次の標的は必然的に」

「……レインコート」


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