第12話 徹底抗戦
西区、中央通り。
阿久津と別れた東堂は、行くあてもなく西区を彷徨っていた。風俗街で取り立て屋の仕事を貰うため、わざわざ西区にまで出向いた彼だが、阿久津の息のかかった店はどこも取り合ってはくれず、今に至る。
すぐに帰ってもよかったのだが、今は少し島が荒れており、タワー近辺はある種の戦場と化していた。
激しい喧騒が轟き、ガラス製品と思われる瓶やら何やらが割れる音、何か硬いものが勢いよく叩きつけれたような鈍い音などが鳴り響いていた。
東堂ほどの人間であれば、その程度のことは何の問題もないのだが、自分からわざわざ首を突っ込むのは嫌だった。
しかし借りているアパートのある東区に行くには、どうしても西区と東区の境界線を通る必要がある。それ以外のルートは、この島だと外側の港を経由するか、地下を利用するしかない。
だが今、西区から東区に移動するのは簡単ではない。東堂も、面倒ごとに巻き込まれるのは勘弁なのだ。
「はぁ、どうしたもんかねぇ」
大人しく地下を目指すべきなのだろうが、東堂は地下街を通ったことが一度もない。故に、その土地鑑はゼロに等しかった。無法地帯と名高い地下街に、そんな状態で踏み込むのは怪物と称される彼にですら抵抗があった。
頭をくしゃくしゃとかきながら、東堂は喫煙所へと向かった。普段からカルシウムが不足している彼にとって、ヤニ補給こそがイライラを回復させる唯一の手段なのだ。
ちなみに紙タバコ派で、電子は一度も吸ったことがない。吸ってみれば、もしかしたら自身に合っているかもしれないが、いちいち試すことすら彼には面倒くさかった。
タバコは、何も考えずに適当に吸うのが一番美味しい。
東堂は喫煙所の上方に向けて、勢いよく紫煙を吐き出した。
「ったく、どうして連中は、あーも面倒なのかねぇ。もっとこう、あれだ、自由に生きてりゃいいのによぉ」
独り言ちながら、クールダウンに浸る東堂。
彼は昔から、ウエストグールやボトムが好きではなかった。集団で行動し、自分たちが強くなったと勝手に勘違いする。一人じゃ何もできない、居場所も作れない。そんな、愚かで悲しい人種。
気づけば、タバコのフィルターだけが残っていた。
箱に目を向けるが、どうやら最後の一本だったらしい。
「ちっ、しけてんなぁ」
苛立ちが深まり、東堂は激しく舌を鳴らした。
不満を残したまま喫煙所を後にしようと外に出た、その時だった。
「あ、あの!」
どこからか、声が聞こえた。
それは、聞き覚えのある声だった。
声のする方に顔を向けると、そこには数日前に己と死闘を繰り広げた少年の姿があった。僅かに記憶に残るその名は、佐々木。
「な、なんでてめぇが……ここに」
「はぁ……はぁ……お願いが……あ、あります!」
時を遡ること、数時間。
東区、繁華街の外れにある人気のない路地裏。そこに数人の男女が集まり、地面に転がっている生き物ではない肉の塊に目を落としていた。正確には、少し前までは生き物だった人間の死体である。それも二つ。
「レインコートの仕業か?」
「手口はまんま同じっすね。ただ、模倣犯ってこともあるとは思うっすけど」
キャップ棒を被った、フード付きパーカーの少女が、取り巻きの男と話していた。可愛らしい服装、髪型といったような独自のこだわりがなく、どことなくボーイッシュな雰囲気を漂わせている。
全身はまさに黒を己の象徴としていおり、帽子もパーカーも髪も全てがブラックで統一されている。
彼女の名は新渡戸。地下街のチンピラを束ねるボトムのリーダーだ。ある目的を果たすため、珍しく地上へと足を運んでいた。
「久しぶりに地上に出てみれば、ここも平和とは言えなくなってきてるみたいね。しかし、レインコートってのはよそ者か何かか? この島で私の仲間に手を出すなんて、命知らずにもほどがある。まあ、この島にわざわざ移住してくるやつなんて、今時いないとは思うが」
「よそ者かどうかはわかりません、そもそもやつは目的すら不明っす。無差別なのか、それとも明確な殺意があるのか、サツの連中も掴めてないみたいで」
「なるほど。完全に謎の存在、というわけか。どうやら余程、重症な中二病を拗らせているみたいね」
「けど何でうちの連中が、しかも片方はまだ新入りっすよ?」
「さぁね。私的には、レインコートを真似た西区の誰かって方が、正直しっくり来るんだけどさ」
「ま、まさか、ウエストの連中がレインコートに仕業に見せかけて、俺たちの仲間を?」
「その可能性もゼロじゃないってことだ。とにかく、ここまでされて黙ってるわけにはいかないな。お前、もうラディッシュには連絡したんだろう?」
「というより、少し前に向こうからかかってきたんすよ?なんか、例の化け物みたいな学生を見つけたとかって話だったみたいっす」
「そういえば、わざわざ地上に出向いたのはその学生を探すためだったな。しかし、まさかこんな事態になるとは。ラディッシュと合流したら、すぐ西区に向かうぞ。連中が一番怪しいからな」
「そ、それは………いいっすけど、行ったら間違いなく血を見ることになるっすよね?」
その瞬間、一気に空気が重くなる。西区を縄張りにしている愚連隊、ウエストグールと地下街の愚連隊、ボトムの小競り合いは今に始まったことではない。
僅かなことで因縁が生まれ、溝は日を増して深くなっていった。
「だから確実に一人ずつ仕留めていくぞ。向こうが個々の力なら、私たちは集団の力だ。真正面から闘うより、相手の戦力を削り取ることを重視すればいい。私たちはそうやって、ボトムをここまで大きくしたんだからな」
ボトムは少し前まで、ウエストグールには到底敵わない、弱いチームだった。
敵対勢力、ウエストグールのリーダーは非常に用意周到な人物だ。名は阿久津、西区の風俗店などを支配下に置き、数多くのコンサルタント業を務める金の亡者。まるで人間を使って錬金術を行うかのごとく、何人もの部下を見捨てて勢力を伸ばしてきた。そんな彼が隠れ蓑として使っているのが西区の愚連隊、ウエストグールである。
今までも知略では上回ることができず、阿久津のスパルタ教育の中で生き残った選りすぐりの強者たちを相手にしてきた。そんな劣勢から脱却するため、ボトムが取った行動は集団による暴力だった。
人数で力の差があったボトムは、一人で行動しているウエストの構成員を集団で攻撃し、確実な勝利を手にしてきたのだ。
今までも、そして、これからも。
新渡戸の計画としては、今から仲間を集めて西区へ向かい、ウエストグールに奇襲を仕掛けるというものだった。
しかし、事態はそれほど単純ではなかった。この段階で、彼女の思考では届かない領域にまで変化していたのだ。
同日、同時刻。西区、廃ビル。
己が密かに身を置いている九龍会の力を使い、阿久津は死体の処理を行っていた。暴力団として都内を中心に活動する九龍会には、そういった裏の仕事に大きなパイプがあったからだ。
白装束の老男性たちが、その真っ白な服に赤い飛沫をつけながら死体を車に運び込んでいく。
死体を退かした後は、事件があったことすら隠蔽するため、徹底的に廃ビルの裏手を清掃し始めた。
さすがは九龍会と繋がるプロの死体処理屋である。その手際の良さに、裏の業界に詳しい阿久津でさえ目を丸くしていた。
その隣に立つ百瀬は、まるでごくごく普通の日常を過ごすかのように落ち着いている。
白装束が仕事を終えて出払うと、百瀬は廃ビル内にある革張りのイスに腰を下ろした。
おもむろに、タバコを口に咥える。
「で、あれはいったい誰の仕業だ? まさか例のレインコートとかいう、妙な通り魔じゃねぇだろうなぁ」
その隣の席に座る阿久津が、百瀬のタバコに火を渡した。
「正直、それはありえないと思ってます。うちの構成員は、地下街にいる量産型のバカとは違いますから。ただの通り魔ごときに殺されるほど弱くないですよ。現場を見ましたが、ほとんど争った形跡はなく、正面からうちの仲間を刺殺してます。こりゃその手のプロか、あるいは相当対人戦慣れしてる野郎の仕業です」
「なるほど。となると、ボトムの幹部のうちの誰かか」
「そう考えるのが自然かと。恐らく、いま流行ってるレインコートの犯行に見せかけようとしたんでしょう。あの低学歴のバカが考えそうな浅知恵ですよ」
阿久津は顎を突き出し、呆れたように肩をすくめた。
「だが、そもそもレインコートが流れ者の賊ってことはねぇか? こんな島だ、海の向こうで海賊やってた野郎の一人や二人、いてもおかしくないとは思うが」
「たしかに、百瀬さんとかまさにその部類ですよね。わざわざ、都内で飯の種を探さずにこんな島に来てんだから」
それは半ば嫌味に近い発言だった。百瀬は都内の本部にいた頃、ある重要な仕事でミスを犯してしまったのだ。それが原因で、今はこの人工島に飛ばされる形でやって来ている。
百瀬の阿久津を見る目が、やや鋭くなる。
「実は一人、その手の野郎に心当たりはあるんです。ただ、そいつがボトムと繋がっていないって証拠がない。ウエストグールに手を出そうなんて輩、連中以外じゃ普通にありえないんですよ」
「つまり、この島には俺たちの他に別の勢力がある。てめぇはそう言いたいのか?」
阿久津は指をパチンッと鳴らした。
「そう! それがまさに、俺たちに例の動画を流した犯人、ってことになりませんか?」
未だに謎に包まれたままの、動画の送り主。その目的も何もかもが不明だ。ただ阿久津は、何か動画の送り主に関する情報を仕入れている様子だった。
阿久津は、小一時間ほど前の東堂との会話を百瀬にも話した。東堂も誰かに操られていたかもしれないこと、そして動画の撮影者と思われる学生のこと。
少しずつ、島で起きている事件が繋がっていった。
「となると、そのガキは例の化け物のことを初めから知ってたのかもしれねぇなぁ」
「え? どういうことですか?」
「動画を見たすぐ後に、九龍会の若い奴らに調べさせたんだよ。そしたらその化け物、どうやらこの島に来たばっかりの高校生らしい。もしかしたら本土にいた頃、何かでかい事件に巻き込まれてたかもしれない。これだけ強けりゃ、うちの界隈じゃすぐ尻尾が掴めるだろうよ」
「おー、そりゃ頼りになりますね。さすが九龍会、一味違うなぁ」
阿久津は懲りずに、煽るような態度を繰り返す。
「てめぇ、言い過ぎだ。それ以上その口を軽くするようなら塞ぐぞ」
「くく、怖いですねぇ。モノホンに言われちゃさすがの俺も撤退ですよ」
降参と言わんばかりに、阿久津は両手を上げた。
「本部の連中にはもう伝わってるから、今日か明日あたりには情報が入ってくるはずだ。それがわかり次第連絡する。若造どもの管理は、てめぇに一任してんだからな」
「了解しましたよ。もしこれで何か事件に関わってれば、多分ビンゴですね」
「ああ、例の化け物みてぇなガキは、恐らくこの動画を撮った野郎にはめられたんだ。東堂のバカと一緒にな」
「そして、そのガキを餌に俺たちを釣り上げようとしたってところですか。はぁ、これがマジなら、そいつはとんだ自殺願望者ですね。若いってのに、もう人生に飽きちまってるとは」
「なら、望み通り叶えてやればいい。それがてめぇの仕事だろ。俺たちのせいにされちゃ敵われねぇしな」
九龍会は時に愚連隊を利用する。それは、クスリのシノギとして利用し、この島で一稼ぎしているからだ。しかし、万人の目とは単純なもので、暴力団など単なる野蛮な集団としか思っていない。
地の利を活かしていない分、街の住民の反感を必要以上に買ってしまっているのだ。
多く稼ぐという意味では、これは仕方のないことではある。
もし殺された愚連隊の構成員が麻薬の売人であれば、九龍会に潰されたと思われても仕方がないのだ。勝手に人のシマでクスリの売買などすれば、攫われて当然なのだ。
しかし、当たり前だがそれで殺して路地裏に放置などしない。ましてや片方は、息のかかった傘下だ。
ある意味、これは九龍会への宣戦布告とも取れる。
百瀬がタバコの灰を灰皿に落とすと、ウエストグールの構成員が一人、血相を変えて走って来た。
膝を曲げ、酷く息を切らしている。
おもむろに、阿久津がミネラルウォーターを手渡した。男はそれを一口飲み、ゆっくり息を整えた。
「で、どうした?」
「あ、阿久津さん……そ、それが……ですね。ボトムの連中が、西区に攻めてきたんです! もう二人も、うちのメンバーが襲撃されて、大変なことになってます!」
「あ? なんだと?」
阿久津の声が、軽薄なものから重苦しいものへと変化する。
「百瀬さん、例のガキは任せましたよ。どうやら、俺は先に最下層の豚どもから処理しなきゃならないみたいなんで」
ロッカーの扉を開けると、中から敷き詰められていた数多の武器が床に転がった。
その一つ、最も己が至高とする物を拾い、阿久津は戦争の準備をし始める。
瞬間、廃ビルの中に何かが投げ込まれた。カランカランという硬質な物体の接触音が響き、阿久津たちの視線が集中する。
オレンジ色に揺らめく光、それはよく見ると小さな炎だった。
阿久津はその正体をすぐに看破する。
「……火炎瓶だと!」
刹那、炎はガラスの破砕音と共に、巨大な赤い怪物へと変貌した。
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