第11話 崩壊する秩序

 地下街アンダーグラウンドファイト会場。


 照明の当たる中央のリングには、無数の男たちが横になっていた。倒れている男たちの中心には、一人の少年が立っていた。まるで彼を中心に嵐で巻き起こったかのような、異様な光景であった。

 リングの外から、ボトムサブリーダーの男、ラディッシュが目を丸くして眺めていた。

 目の前の光景が信じられないと言った感情が、その表情からは見て取れる。

「いやぁ、うちでも選りすぐりのメンツだってのに、こうもあっさり倒されちまうとはな。お前、本物だよ。間違いねぇ」

 ラディッシュの推測は、確信へと変わった。目の前に立つ高校生くらいの少年は、あの怪物のタイマンして生き残った、例の動画に映っていた化け物だと。

「おい、たしか佐々木とか言ったよな?お前、俺たちボトムの仲間にならねぇか?テストは十分に合格だぜ?」

「いきなり何でもありの喧嘩させられて、仲間になれとか、俺が承諾するとでも?」

「そりゃたしかに悪かったけどよ、別にお前にとっちゃ大したことじゃねぇだろ?なんたってあの、無敗の怪物と張り合えるんだからよ」

 嬉々として話すラディッシュに、佐々木は呆れたようにため息をついた。

 佐々木は、喧嘩があまり好きではない。あくまで防衛行為として、今まで売られた喧嘩を買ってきたに過ぎないのだ。

 そんな自分が、愚連隊メンバーになるなどありえない。それはつまり、自ら戦いの道に足を踏み入れるということなのだ。

「その力があれば、俺たちはこの島で天下を取れる! あの東堂敦も、ウエストグールのインテリ野郎も、お前とボトムが組めば敵じゃねぇんだ!」

 ラディッシュは興奮し、白い歯を覗かせる。しかし、佐々木は気乗りしない。たしかにタワーで東堂と戦った瞬間は、初めて喧嘩というものを楽しいと感じた。それは普段の防衛行為ではなく、純粋に己と対等に張り合える相手の存在に感動したからだ。今まで、誰一人としていなかった、自身の同類。だが、だからといって自ら進んで戦う気など毛頭ない。それに今度は、本当に死ぬかもしれないからだ。

 東堂と戦った時、佐々木は感動と同時に死への恐怖を初めて痛感した。

 今まで、喧嘩では一度として負けたことはない佐々木だが、当然怪我をすることはあった。相手が得物を所持していた時だ。ある時はナイフで切りつけられ、ある時はスタンガンを浴びせられ、ある時は鉄パイプで頭を殴られた。何度も痛みに対する恐怖はあれど、それで己の死を感じたことはなかった。

 しかし、東堂は違った。

 佐々木はタワーで、東堂の拳を真正面から受けた。その時、刃物や鈍器よりも強い恐怖を、全身に覚えさせられたのだ。

 あれはもはや、人間の拳ではない。まさに獣、怪物に相応しい一撃だった。

 恐らく、生き残れたのは運が良かったからである。東堂は我に返ると、それ以上の追い討ちはしてこなかった。

 もし、東堂が本気で殺そうとしてきていれば、いま自分はここにいないだろう。もう一度あの世界に身を落とすことは、せっかく拾った命を捨てるようなものである。

「でもお前、うちに入らなくても地上じゃウエストから勧誘されるぜ? あそこの胡散臭いリーダーなんかより、うちの方がよっぽどマシだ。悪い話じゃねぇと思うけどな」

「そう言われても、俺はそのウエストのことはよく知らないしな。あんたの言うことを全て鵜呑みにするのは簡単だが、それが正しいとも限らないだろ」

「ちっ、用心深いな。まあ、そういう奴は嫌いじゃねぇけどよ」

「別に、あんたに好かれても嬉しくないよ」

「つれねぇ野郎だな。にしても宝の持ち腐れだぜ、そんなすげぇ力ががあるのによぉ」

 ラディッシュはガッカリした様子で息を吐き、リングを囲っているフェンスの上に腰を下ろした。二メートル近い男の体重がのしかかり、金属網のフェンスがギシギシと軋み、悲鳴を上げている。

「つうか、お前は何でうちのリーダーに会いに来たんだ? 喧嘩が嫌なら、大人しくしてりゃいいじゃねぇか。頭おかしいぜ、わざわざこんな無法地帯に降りてくるなんてさ」

「そ、それは……理由があるんだよ」

 佐々木は言いにくそうに目を逸らし、足元の地面を見つめた。

「わからねぇな、お前ってやつはどうもわからなぇ。そもそもこの島の生まれじゃねぇだろ? なんでこんな旬の過ぎた島に来たんだ?」

「え? な、なんでそのことを……」

「ばぁか、うちにはお前くらいの歳のやつは何人かいる。だけど、誰もお前のことなんか知らないぜ? それに、あの怪物と張り合えるやつが島の出身なわけねぇだろうが」

「あ、それもそうか」

「話したくねぇのか?」

「そ、そういうわけじゃないけど」

 この男に己の目的を話していいのか、佐々木の中で迷いが生まれていた。もし話せば、それをネタに何かされるかもしれない。目的達成を条件に仲間に入れと強要されるかもしれない。最悪、幼馴染に危険が及ぶかもしれない。そんな嫌なイメージばかりが、佐々木の中で膨らんでいった。

「でも、あんたらのリーダーも俺を探してるんだろう? なら、互いに意見は一致しているはずだ。俺は会えさえすれば、それでいい。別に何もしやしないよ」

「ふん、それこそどこまで信用できるかだな。怪物と張り合える化け物だ、俺たちだってリーダーを危険に晒すわけにはいかねぇよ」

 どうやら新渡戸と呼ばれる彼らのリーダーは、相当な信頼が寄せられているらしい。玄野からは自分たちと同じくらいの高校生だと聞いていたが、ラディッシュは明らかに二十歳を超えている。歳下で、しかもまだ未成年の少女が、ここまで仲間から慕われているというのも中々に珍しい。

 ある意味、そのカリスマ性だけなら東堂や佐々木よりも上だろう。

「あんた、見るからに強そうだけど、それでもリーダーにはなれないんだな」

「はっ! まあ、それだけうちのチームの頭がやべぇってことさ。喧嘩の強さで言ったら、ウエストを率いてる阿久津って野郎にも匹敵するレベルだ」

「阿久津、ってやつはよくわからないが、ウエストを束ねるってことは、そいつも中々のやり手みたいだな」

「やり手っていうか、ありゃインテリヤクザって感じだな。金で人を動かし、金で人を殺す。この島でも群を抜いて最低最悪のクソ野郎だ。うちと違って、あんまり慕われちゃいねぇよ」

 それだけ聞いても、たしかにあまり感じの良い人間とは思えなかった。玄野は個々の力が強いチームだと言っていたが、その理由が少しわかった気がした。要は、簡単に部下を使い捨て、残っているメンバーが強かったというだけの話だ。故に、集団的な力よりも個人の強さが目立つようになった、というところだろう。

「だけど、うちはあの野郎とは違う。ミスや失敗を許すわけじゃねぇが、間違っても使い捨てたりはしねぇよ」

「その割には、結構厳しいな」

 佐々木は、未だにバンのそばでのびている肥満体の男に視線を向けた。

「あー、俺の睡眠を邪魔したうえに、どこの誰かもわからねぇやつを連れて来たからな。あれはあの豚が悪い、自業自得だ。それに俺はあの時、寝起きで機嫌が良くなかったからな。普段なら、あそこまでしねぇよ。まあ、あれでも軽く殴ったつもりだったんだが、寝起きでつい力を入れ過ぎちまった」

「いや、それで吹っ飛ばされりゃ世話ねぇよ」

「まあまあ、それくらいは大目に見てくれよ。裏の世界じゃ、あの程度は蚊に刺されたも同じだ」

 蚊に刺されて何メートルも吹っ飛ばされる世界があるのなら、もうそれは現実ではなく異世界の蚊か何かである。というかそれが平常運転であるならば、余計に踏み込みたくはない。

「さて、そろそろうちのリーダーにお前のことを教えるとするか。今、ちょうど上で探してることだろうし。まあ、本人に会わせるかどうかは別だけどな」

「なんだよそれ」

 ラディッシュはフェンスから降り、携帯で誰かに通話を呼びかける。その相手は、ものの数分もしないうちに応答した。

「あ、俺だ。リーダー、いるか? 実は今、地下に例のガキが来ててよ。早速勧誘してるところなんだよ。って、はぁ? なんだって? おい、いったい何の話をしてんだ?」

 途端に、ラディッシュの表情が曇る。何やら揉め事でも起きているかのように、話し声が大きくなる。

「いいから、もっとはっきり言えっ! ごちゃごちゃしててよくわからねぇぞ!」

「おい、どうした?」

 ラディッシュの声だけ聞いていても、何か想定外の事態に発展したということは、佐々木の立場から見ても明らかだった。

「な、なんだって? おい! そりゃ冗談じゃすまねぇぞ! 本気で言ってんのか!」

 突然、ラディッシュが声を張り上げた。額からは汗が流れ、目には動揺の色が映っていた。

「こ、殺されたって、まさかレインコートか! しかも二人だと! 片方が新入りってことは、三日前にうちに来た玄野か!」

「え? く、玄野?」

 聞き覚えのある名前を耳にし、思わず佐々木が反応した。

「わ、わかった! すぐにそっちに向かう! 例のガキは後回しでいいんだな!」

 ラディッシュは携帯を閉じ、すぐにバンへと駆け込んだ。その腕を、佐々木が咄嗟に掴む。

「あぁ? おいコラ、離しやがれ! 今はそれどころじゃねぇんだよ!」

「こ、殺されたって、いったい何があったんだよ! 教えてくれたっていいだろ!」

「うちのメンバーが刺されたんだよ。恐らく犯人は例の連続殺人鬼、レインコートだ!」

「レインコートって、この島にいる通り魔のことか?」

「ああ、そうだよ。うちの構成員と新入りの二人が、路地裏で刺されたんだ! 多分、もう死んでるだろうってよ」

「そ、その新入りだけど、さっき玄野って言ってたよな? それってまさか、玄野優か?」

「はぁ? あー、そういやそんな名前だったな。それがどうかしたのか?」

 瞬間、佐々木の額に青筋が浮かんだ。

「う、嘘だろ……玄野」

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