第9話 アンダーランド

 

 始業式から三日が経った日曜日、佐々木は幼馴染を探すために、ある場所へ足を運んでいた。

 そこは人工島で最も危険と言われる無法地帯、地下街である。

 ボトムという愚連隊が拠点とし、ほとんどの住民が表舞台に立てない人間ばかりだ。

個々の力が強いとされる地上西区の愚連隊、ウエストグールとは対照的に、集団の力が強い愚連隊である。

 クラスメイト、玄野の話によると、どうやらボトムのリーダーはまだ未成年の女の子らしく、自分が探している幼馴染なのではないかと考えている。その理由として、既に佐々木はタワーに通っている生徒のほとんどを確認し、幼馴染らしき人物がいないことを確認していた。残すは不登校の生徒や、退学になって学校を辞めてしまった生徒などだ。

 あまり気は進まなかったが、可能性が僅かでも存在する限り、彼に足を止めるという選択はなかった。


「よぉ、そこの兄ちゃんさぁ、金持ってる?少しでいいんだ、ほんの少しで、この俺に恵んでくんねぇかなぁ? 今さ、クスリ買う金もねぇんだよ。なぁ、頼むよ」

 地下街に足を踏み入れると、浮浪者と思われる小汚い中年男性がすり寄って来た。

髪や髭は伸び、歯はボロボロにかけている。どう見ても、まともな生活をしているようには見えなかった。

 気味が悪かった。地上と違い、どうやら完全に法というものが機能していないらしい。明らかに未成年である自分に対し、男の発言はアウトすぎる。

 周囲には他にも、体の大きい外国人、背広の男性、チンピラ風の若者と、様々な人種が生活していた。

 住民区画を抜け、地下街の中心部にたどり着くと、薄暗い大通りとは打って変わって、一際輝く場所が見えた。激しい歓声が鳴り響いている。

 広場のような空間の中心に、ボクシングのリングにも似たフィールドが用意され、周りから大きな照明が当てられている。


「やれぇっ!」

「ぶっ殺せっ!」

「そこだぁっ!」


 二人の男がグローブもなしに殴り合っている様子を、観客たち思われる者たちが物騒な声援を送りながら見物している。

 何をしているのか理解できず、佐々木は目を丸くしていた。

 すると突然、後ろから誰かに肩を叩かれた。振り返ると、見知らぬ肥満体の男が立っていた。

「なぁ、お前ってもしかして、この間うちに来た新入りか?」

「え? いや、俺はその……」

「特徴のないガキだって聞いてたけど、たしかに顔は覚えられそーにないな」

「は、はは……やっぱそうすか」

 佐々木は適当に、男の話に合わせた。

「あれ、うちの名物」

「へ? あ、あれって?」

 男は中央で行われているアマチュアファイトを指差した。

「通称、アンダーグラウンドファイト。ルールなし、なんでもありのガチバトルだ。見学は自由だぜ。ありゃ、試合じゃなくてギャンブルだからな」

「ギャンブル?」

「ああ、どっちが勝つかに金を賭けてんだ。金が動くだけで、ただの殴り合いが高度なゲームに変わるからな。ファイターも金が欲しいし、大金が賭けられれば負けることは許されない。この緊張感が、闘いをより熱くするんだよ」

 ろくでもないものには変わりなかった、さすがは無法地帯と呼ばれるだけのことはある。殴りたい者同士で殴り合い、その様子を見たい者が集まる。本土でも、このようなアマチュアのボクシングが行われる場所はある。これもその一部に過ぎない。違うのは、グローブやプロテクターをつけていないことと、ギャンブルとして利用されているかどうかというだけのことだ。

「あの、そういえばリーダーはどこに?」

「ん? 新渡戸さんか? さぁ、俺みたいな下っ端は何も知らねーよ。あの人、風来坊みたいなとこあるから」

「はぁ、そうですか」

「あっ、でもラディッシュなら居場所知ってるかもな。あいつ、一応はうちのサブリーダーだし」

 男は近くに止めてあるバンを指差した。

 今更になって、佐々木は気づいた。地下街に来てから、車というものを全く見ていない。そもそも、道路と呼べるものすらなかった。故にその存在感は、他より圧倒的に秀でていた。

「起きてっかなぁ、あいついつもこの中で寝てんだよ」

 肥満体の男が、バンの扉をコンコンッとノックした。

 するとバックドアがゆっくりと開き、中から二メートル近くある男が亀のような動きで姿を現した。

 背中を丸めた、ドレッドモヒカンの外国人。見るからにいかにもな風貌である。

「なんだぁ?」

 男は佐々木と肥満体を細い目で一瞥し、大きく口を開けてあくびをした。どうやら、先ほどまでバンの後ろで横になって眠っていたらしい。

 バンの中には、ボロボロの毛布とクッションが無造作に置かれていた。

「よぉ、ラディッシュ。もしかしてずっと寝てたのか? いやさ、この新入りが新渡戸さんに会いたいらしくてよ、あんたなら居場所知ってんじゃねぇか?」

「新入り? 誰がだ」

「こいつだよ、このパッとしねぇやつ」

「バカかお前」

 瞬間、肥満体の男がラディッシュの放った拳によって、佐々木の後方へと吹き飛んだ。


「え?」


 何が起こったのかわからず、困惑する佐々木。ラディッシュは首と手を鳴らしながら、再びバンに腰を下ろした。

「新入りは今、リーダーと一緒だ。ったく、簡単に部外者を連れてきやがって」

 ラディッシュは呆れてため息をつき、再びその視線を佐々木へと向けた。

「で、お前は誰だ? リーダーに会いたいらしいが、いったいどこの回し者だ?」

「いや、俺はその」

「お前、どうせ阿久津の野郎が金で雇った捨て駒だろ? まだ別にお互い何もしてない、今のうちに帰るなら見逃してやる。俺は今、バカに起こされてクソ眠いんだ」

 ラディッシュは後頭部をかきながら、気怠げに言った。佐々木を見て、特に敵意を見せるようなことはなかった。だが、それも仕方がないことだ。何故なら佐々木はどう見てもただの高校生、そもそも彼の眼中にないのだから。

「……い、嫌だ」

「あ?」

「帰るわけにはいかない。俺は、どうしてもあんたらのリーダーに用があるんだ!」

 全身の震えを抑えながら、佐々木は必死に声を絞り出した。

「あのなぁ、お前、本当になんなんだよ。俺らが簡単に教えると思うか? どこの誰かもわからねぇガキによぉ」

 ラディッシュは、佐々木の震えが恐怖から来るものだと感じていたのだ。故に、大したことはないだろうという慢心が、彼の中で生まれていた。

「なら、そっちから顔を出してもらうことにするよ」

「はぁ? なんだと?」

「あんたらのリーダーも、仲間がピンチだって知れば、嫌でも飛んで来るんじゃないか?」

 その言葉は、まさに引き金だった。その瞬間、ラディッシュは顔を紅潮させ、奥歯を噛み締めた。

「おいガキ、本気で言ってんのか?」

「はは、どっちだと思う?」

 一瞬、ラディッシュの背中に悪寒が走った。常人であれば、ボトムのサブリーダーを前にこれほど臆せず踏み込むことはできない。故に、ラディッシュの目からは、佐々木が狂人のように映っていた。どこからとなく湧き上がる謎の自信、そしてそれを平然と言ってのける肝。脳みそが焼かれているのか、それとも単純にバカなのか、無知なのか。ラディッシュには、佐々木の底が見えなかった。

 それこそ、本能から来る、本物の恐怖だった。

「まさか、お前か?」

「え? 何が?」

「あー、そうか、あの動画のことな知らねぇんだな。まあいい、どっちにしろお前が例のガキなら話が早い」

「動画? いや、だから何のことだよ」

 怪訝な顔を浮かべる佐々木をよそに、ラディッシュは携帯電話を操作し始めた。

「この動画じゃ後ろ姿しか映ってねぇが、この背丈、髪色、お前で間違いなさそうだな」

 何度か佐々木と携帯を交互に見比べ、何かを確認するラディッシュ。

「おい、さっきからあんた、何言ってんだ?」

「ふん、当の本人がこの調子とは、お気楽なもんだぜ。強者の余裕ってやつか?」

「はぁ?」

「いいから、ほら、見てみろ」

 ラディッシュは腕を突き出し、佐々木に携帯の画面を見せた。

「見ろって、いったい何を。って、え?」

 その瞬間、佐々木の顔色が変わった。

 画面には、東堂敦と殴り合う己の姿が映っていたのだ。

「わかったか? 今のお前が、どういう状況にあるのか。お前はなぁ、この島で唯一、あの怪物に対抗できる存在なんだよ。俺たちみたいな愚連隊からしてみれば、確実に手に入れて置きたいカードってことだ」

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