第7話 雨が上がれば虹が見える
『次のニュースです。人工島内で起きた通り魔による障害事件の続報が入ってきました。東区にある公園で深夜、男性が何者かに刺され、殺害されました。犯行の手口や目撃情報から、繁華街の路地裏で男性と女性の二人を殺害した犯人と同一人物である可能性が高いと見て、警視庁は引き続き捜査しているとのことです』
テレビ画面から流れる女性キャスターの声が部屋の中に響く。コーヒーを飲みながら、少女はニュースを興味なさげな顔で聞いていた。流し見ているわけではなかったが、あまり頭の中に入っている様子にも見えなかった。
髪は銀色で、肌は透き通るように白い。日本人というより、ロシア人のような風貌だった。
部屋の中には、少女の他にも人がいた。それは家族である父親と母親、そして本土の東京からわざわざこの人工島まで遠路遥々やって来た警視庁の刑事が二人。
二人がけのソファが向かい合い、片方には少女とその父親、もう片方には刑事二人が座っていた。いわゆるお誕生日席となる位置に、最も話に絡まないであろう母親が腰を下ろしている。
刑事の目的は、父親でも母親でもなく、その娘である少女にあった。
少女の名は、
幼い頃からあまり協調性がなく、集団の中に馴染むのが苦手だった。それは人数の少ない、この人工島でも変わらない。友達と呼べる存在はおらず、いつも孤独な生活を送っている。そんな彼女のもとに刑事が訪ねて来たのは、ある事件の重要な人物だからである。
今、この人工島を騒がせている通り魔事件。通称、レインコート。雨合羽を羽織った謎の人物に、接点のない者たちが次々と刺され、今や被害者の数は三人になる。
最初は繁華街の路地裏でカップルが殺害され、返り血のついたレインコートを着た怪しい人物が、現場から立ち去るのを目撃されている。
そのうちの一人、二つ目の殺人事件に関して、雨生は現場の第一発見者だった。加えて、現場付近でレインコートを着た不審な人物を目撃している。そのため、警察が事情を聞くために何度も少女のもとに足を運んでいる。今日で、もう既に三回目だ。
聞かれることは、決まって同じような言い回しばかりである。
「毎回すみませんね、改めてお聞きしますが、本当に公園から立ち去ったのはレインコートを着た人物で間違いないんだね?」
「はい、間違いありません」
警察からの問いかけに、少女は淡々と答えた。その言葉には、何度同じことを聞けば気が済むんだ、という警察への苛立ちが感じ取れた。
どうも二回目の殺人事件では雨生の他に目撃者がおらず、犯人と思われるレインコートの情報があまりにも少なかったのだ。故に、警察は少女の証言に頼らざるを得ない状態だった。
レインコートの正体が掴めない今、警察が重要視するのは動機である。レインコートの犯行を模倣した誰かが、無差別ではなく計画的に被害者を殺害した、という可能性だ。
そこで真偽が問われるのは、本当に犯人が第一の殺人と同一犯だったのかどうかである。まずはそれこそ服装だ、同じレインコートを着ていれば、第一の殺人事件と同一犯である可能性は高くなる。だが、それでも絶対ではない。第一の犯行を模倣するため、犯人が人目を気にしてレインコートを羽織っていた可能性も捨て切れないからである。
そうなれば、第二の事件の犯人は被害者の接点があった人物、そう考えても別におかしな話ではない。事件が一向に進展しないのであれば尚更だ。
警察もわざわざ本土からこの人工島に足を運んでいるため、ずっと一つの事件に時間を割くわけにもいかなかった。
一応、今は捜査本部が人工島内部に設けられているため、捜査関係者はこの島にしばらく滞在している。だが当然、ずっとというわけにはいかない。事件解決を急いでしまうのは、ごく自然のことなのだ。
「それでは、我々はこれで、また話を聞きに伺いますので」
二度と来るな、と心に強く念じながら、雨生は立ち去る刑事二人を眺めていた。
それから数日が経った日曜の昼。雨生は珍しく外出していた。その目的は、退屈な日常に刺激を求めてのことである。
三日前、タワーで小さな喧嘩騒動があった。それも今日日中々見ることのない、ステゴロのタイマンだ。その喧嘩をしたという者の一人が、島でも有名な無敗の怪物、東堂敦だ。
その怪物と素手で互角に渡り合った男に、雨生は興味が湧いていた。それもその相手は自身と同じ高校生だったのだ。
雨生は、ただの不登校児でありながら、裏社会の情報にある程度精通していた。故に、愚連隊に送られた例のタワーでの動画を、特殊なルートで閲覧したのだ。
不登校とはいえ、己の身近に非日常が存在するという事実に、雨生は慎しかやな胸を高鳴らせていた。
雨生が歩いている場所は、例の怪物、東堂敦がよく出没すると言われている繁華街だ。
まだ、疑い半分だった。例の動画が、単純なトリック映像という可能性はまだ存在していた。雨生はこの目で確かめたかった、あの動画が事実なのかどうかを。映像では、東堂が相手の高校生から深傷を負わされている場面もあった。十中八九、東堂は怪我をしているはずだ。
知り合いに会わないようにと周りに注意を働かせながら、雨生は怪物の捜索を開始した。男はその噂こそ信じられないものばかりだが、確かであることはいくつかあった。
一つ、無職であること。
二つ、赤髪であること。
三つ、喫煙者であること。
その情報を元に、まずは公園の喫煙所へと向かった。赤髪ともなれば、嫌でも男の姿が目について離れないはずだ。そして、その予想は見事に的中した。
入り口に着いたあたりで、雨生は足を止めた。
公園の真ん中には、見るからに野蛮そうな男が激しく貧乏揺りをしながら、彼を囲んでいる連中を舐めつけている。
血で染まったような赤い髪。顔にはいくつもの青痣があり、片腕を吊っている。その時はまだ確証はなかったが、すぐにその認識は改められることになる。
「よぉ、本当に怪我してんだなぁ、東堂ぉ」
「ぎゃはは、ざまぁねぇなぁ!」
「無理しないでさぁ、大人しく寝てた方がいいんじゃないのぉ?」
赤髪を囲む周りのチンピラたちが、ここぞとばかりに煽っている。怪我をし、片腕が不自由となった怪物であれば、自分たちだけでどうにかできると思っているのだろう。何とも低俗で、浅はかな考え方だった。
一瞬のうちに、チンピラたちは赤髪の常人ならざる腕力によって、空中へと消えた。一人、また一人と。
まるで赤髪を中心に小さな竜巻でも吹き荒れているかのように、もうそこにチンピラの姿はなかった。
雨生は確信した。この男が、あの怪物だと、東堂敦だと。
片腕が塞がっていようと、その異常な強さは健在だった。決してチンピラたちが弱すぎたのではない、東堂が強すぎるのだ。
公園に倒れている男の一人が、腕についている特徴的な刺青を露わにしていた。それは、この人工島の地下を中心に活動している愚連隊、ボトムのパーソナルマークだった。ボトムクイーンを表す、アルファベットの頭文字が二つ。その勢力は、西区の愚連隊、ウエストグールとも並ぶほど。
個々の力が強い西区の連中と違い、地下を根城にするボトムは集団の力が強い。とはいえ、それでも三人を一瞬で片付けてしまう者など、この島には早々いない。その強さは、男が東堂敦であると証明するには十分すぎるほどだった。
「ちっ、イライラする。あああああ、ちくしょうがぁっ! 俺に絡んでくるんじゃねぇよ、クソガキどもが!」
カルシウムが不足しているのか、男の機嫌はすこぶる悪かった。苛立ちによって、足元が小刻みに踏み鳴らされる。気のせいか、はたまたそれは怪物の常人離れした脚力からなのか、公園内にいない雨生ですら微弱な震度を感じるほどだった。
「ったく、ただでさえ他にも絡んでくるバカがいて気分が悪りぃってのによぉ。よりにもよって、なんで急にボトムの連中が上に来てんだ? 何かあったのか?」
東堂は不思議そうに眉をひそめているが、その原因が自分にあるとは微塵も感じてはいなかった。
ボトムは地下を縄張りにしているため、ウエストグールや九龍会が管轄としている地上には滅多なことがない限りは現れない。その理由は東堂が深傷を負ったからというのが一つと、怪物と互角に闘う化け物の存在である。
今なら、あの怪物を殺せるんじゃないか。などという酷い勘違いから、東堂は三日前の死闘以来、ずっと喧嘩を売られ続けていた。それを今みたく毎回相手にしているのだから、当然イライラが募るというものだ。
しかし恐らく、連中の本命は後者の化け物だ。
怪物は無理でも、化け物ならどうにかできるかもしれない。学生ならば、上手く手懐けられるかもしれない。利用価値があるかもしれない。と言った連中の邪な思案によるものだ。
赤髪は雨生の横を通り過ぎると、繁華街の人混みへと消えて行った。
二人が交差する一瞬、雨生は思わず薄い笑みを浮かべてしまっていた。
初めて、あの怪物をこの目で見た。
今までずっと引きこもりで、不登校で、外に出ることは指が二、三本折れる程度の回数しかない。
やっと、噂ではない本物に出会えた。
会ってみれば実際は大したことがなく、その興味は一瞬で冷めてしまうかもと恐怖していた。しかし、決してそんなことはなかった。あの男は、あの怪物は、東堂敦は、裏切らなかった。
その事実を、目の前で証明してくれた。こんな芸当ができる男は、この島でも早々いない。だからこそ、あの怪物と渡り合った少年が特別視されているのだ。
雨生の目的は次へと移行する。先ほど、目の前で人間離れした怪力を披露してくれた東堂敦。その男とタワーで死闘を繰り広げた少年。学生服を着た、雨生とあまり歳の変わらない化け物に会うことだ。
何者かはわからなかったが、少年の下宿先はだいたい予想ができていた。この人工島なら、まず間違いなく学生寮だ。誰が好き好んで、見ず知らずの人間を招き入れるだろう。この島は特に、その辺の敷居が高い。
雨生の足は、自然と学生寮のあるタワー周辺へと向けられていた。
島の中心に位置するタワーは、まさに中立と言える存在だ。故に、ウエストグールだろうと九龍会だろうとボトムだろうと、誰もがその場所を利用する。だが、互いに面倒な交戦は避けるため、特に大きな揉め事は起こらない。最も安全で、最も危険な空間。
タワーへ向かう周辺の道は人が多く、その中には愚連隊の刺青が確認できる者もいた。雨生は彼らと関わるのを避けるため、わざと人通りの少ない道を選んだ。近道とは言えなかったが、変なゴタゴタに巻き込まれるよりは遥かに早く着きそうだった。
彼女がタワーの方角へ向かっていると、路地裏の方で小さな物音が響いた。それは本当にごく僅かで、雨生以外の人は気づかなかった。と言っても、元々人気のない道だったため、周りには誰もいない。
ちょっとした好奇心と興味から、彼女は今いる薄暗い道よりも見通しの悪い路地裏へと目を向けた。
瞬間、雨生は鼻腔を刺激する匂いに反応し、思わず顔をしかめた。
そこには、二人の人物がいた。
一人は地面に体をぺたりと合わせ、ピクリとも動かない。もう一人は、倒れているのか眠っているのかも死んでいるのかもわからないその肉の塊を、静かに見つめていた。
やがて、その視線の中心が雨生へと変わる。
雨生が地面の上で寝ている人間の形をした何かに目を向けると、腹のあたりからどくどくと血が流れ、水溜り肌の血溜まりを作っていた。
立っているもう一人の手には、刃先の赤いナイフが握られていた。それは最初から赤かったのか、それとも血によって赤く染まったのかわからない。だが、先端からはポタポタと赤い水滴が垂れている。それが血であることは、確認する必要もなく明白だ。
刹那、底知れぬ恐怖が彼女を襲った。ナイフを持つ人物の腕がゆっくり上がり、刃の先を向けてきたのだ。
次の瞬間、路地裏に真っ赤なしぶきが飛び散った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます