第2話 ザ・タワー



 転校生。それは期待と興奮が入り混じる、学校内のプチイベントだ。男子は可愛い女の子を、そして女子はナイスガイを。クラスの誰もが、が今のこのマンネリ化した状態を変化させるきっかけを求めている。


 高等部二年一組は、そんな少し楽しげな雰囲気が漂っていた。

 始業式を終えた生徒たちが教室に入ると、見慣れない少年が一人、教卓の前で待っていた。


 すぐに、その生徒が今日から新しい仲間となる転校生なのだと気づいた。担任の教師からは何も知らされていなかったが、生徒というものは中々に情報通で、始業式が開始される前から、既に転校生の存在が噂となって駆け巡っていたのだ。そもそも、知らない生徒がクラスにいれば誰にだってわかることだ。


 まず初めに、新メンバーの転校生から自己紹介をする。その次はクラスの全員だ、と言っても転校生以外、もう誰がどういう人間なのかはある程度理解されている。特にこの学校は少し特殊なため、クラスが一つしか存在しない。そのため、生徒同士は既に見知った顔ぶれだ。


 だからこそ、クラス全員の期待は転校生へと向けられていた。転校生自身も、その謎の重圧には気づきつつあった。


「初めまして、東京の学校から転校して来ました、佐々木翠ささきすいです。今日からよろしくお願いします」


 少年は丁寧な口調で挨拶した。残念、というべきなのか、特に万人からイケメンと称されるほどではなかった。ただ目鼻立ちは非常に整っており、不細工とは言えない何とも中途半端な感じであった。


 しかし、一つだけ目を引く箇所があった。それは彼の髪色だ。他からはあまり素行不良な印象を受けないが、何故か髪は金色に染められていた。


 髪染めもピアスも禁止されていないため、普段は気にしたりすることではない。だが、やはり転校生となれば話は別だ。最初の間は、少し注目されてしまう。


「けど、どうして東京から? 今はもう旬じゃないでしょ、この島に来ることなんて」


 一人の男子生徒が、佐々木の東京という発言に食いついてきた。

 その一言を皮切りに、クラス全体の至るところから声が聞こえた。それは独り言だったり、隣の生徒と話したりと様々だった。ただ全員に共通して、その話のネタが佐々木だというだけのことだ。


「たしかに、もう何年も前だもんね、この島が人気だったの」

「あの頃はみんな行きたがってたよな。時代の最先端とか言われてたし」

「そうそう、うちの両親もその煽りに釣られて来たって感じだし」


 何故こうも彼らの中で話が膨らむのか、その理由は彼らの住むこの島そのものにあった。


 この海の上に浮かぶ巨大な人工島は、十年前に作られた移住施設である。当時は日本の技術の最先端が詰まっていると謳われ、数多くの移住者が殺到した。しかし、それも数年で終わりを迎え、今や退去者の方が多くなってしまっているほどに人が寄り付かない場所となった。技術力も十年前から大きな進歩はなく、もう既に社会が追いついてしまっている。故に、もはやハイテク都市とも言い難い島だ。


 そんなただ珍妙というだけの島に東京から引っ越して来たのだから、不思議に思われても仕方がない。

 だが、佐々木には大きな理由があったのだ、この島の現場がどれほど荒んでいようと、来なくてはならない理由が。


「幼馴染に、会いに来ました」


 瞬間。教室の空気は一変した。その一言に強い反応を見せたのは、やはり女子生徒だった。


「それってもしかして、女の子?」


 瞳を大きく開け、少し前のめりになって訊ねる。


「えーっと、そ、そうだけど」


 若干戸惑いながらも、佐々木は答えた。


「あー、やっぱり女の子なんだー、そっかー。じゃあ、生きてるといいね」


 何の邪気もない、満面の笑みで女子生徒は言った。その妙に物騒で、耳を疑いたくなるような言葉を。


「え? それってどういう……」


 佐々木が言い切る前に、担任の教師が手をパンパンと叩きながら「自己紹介はもういい」と言って強引に終わらせた。そして今度は、佐々木が自己紹介を聞く番に回った。


 放課後、特に何もなくその日は終わった。始業式とホームルームしかなかったということもあり、まだ時刻は昼前だ。


 クラスの中には既に一年の頃からコロニーが形成されており、新参者の佐々木が入り込めるスペースは存在していなかった。

 ただ、彼にとってはここからが本番だった。荷物の整理を終えると、そそくさと教室を出て行く。廊下に出た瞬間、彼の視線は窓の外へと引き寄せられた。


佐々木が通っていた東京とは全く違う、新しい景色。今いる場所、島の中央にそびえるタワーからは、島全体が一望できた。


 広がっているのは数えきれないほどのビル、自然の類は全くない。鉄とコンクリートの塊だ。島の周りは発電用として、いくつもの巨大な風車が設置されている。この風車とタワーの太陽光発電が電力の源だ。一部見える緑は、ほとんどが人間の手によって植えられたものだ。人工島なのだからそれは当然のことだが、本土で暮らしてきた佐々木には少し変な感じだった。これがいずれ、己の常識となるのだろう。


 このどこかに、幼い日に別れた幼馴染がきっといる、佐々木はそう信じていた。


「よぉ! んなとこでなに突っ立ってんだ? 転校生くん」


 すると突然、後ろから軽薄な口調で男子生徒が声をかけてきた。さすがにまだ顔は覚えていなかったが、恐らくクラスメイトの誰かだろうとは感じた。


「あ、ごめん……誰だっけ?」

「おいおい、それはショックだぜ。たしかに、俺って見た目には特徴ないよ? けどやっぱ、印象薄いって感じられるのはちょっとなぁ」

「本当にごめん、実はまだ誰の名前も覚えてないんだ」

「え? あ、そうなの? なら俺だけ影が薄いとか言うわけじゃねーのか、なんだ良かった、また一つ自信を失うところだったぜ」


 佐々木がクラスメイトの名前を覚えていないのは事実だ、だが軽口の少年に特別なにか目立ったところがあるわけでもなかった。自覚にある通り、影はあまり濃くない。

 背は平均的で、制服もきちんと着こなし、髪の長さは進学校のように黒く、短髪なため耳には一切かかってない。


 いわゆる童顔で、佐々木以上に特徴を持っていない。まるで量産型だ。

 素行不良にもスポーツマンにも見えない。まさに普通という言葉が最も似合う。


「って、そういう俺もお前の名前覚えてねーんだけどな」

「佐々木翠、呼び方は何でもいいよ」

「あっ、そうそう、佐々木だ佐々木! 俺は玄野優くろのゆうな、よろしく!」


 パチンッと指を鳴らし、己の記憶と照らし合わせる玄野。気味の悪いくらいに馴れ馴れしい。


「てかさ、もうタワーの中は見て回った? 自己紹介の時、たしか昔の女を探しに来たとかって言ってたよな?」


 一方的に話し続ける玄野に、佐々木は若干引いていた。


「いや、まだ見てないよ。あと、別に昔の女とかじゃないから。今日はとりあえず、まっすぐ寮に帰ろうと思ってるよ」

「んだよ、それじゃつまんねーじゃん。お前、せっかくこの島に来たのに、タワーの中を見てかねぇのはもったいねーよ。決まりな、今から俺が案内してやる!」

「え? 待って、そんな勝手に」


 佐々木が混乱する横で、玄野は首をひねった。


「だって、お前この後なにも予定ないんだろ? 今、まっすぐ寮に帰るって言ってたじゃん。てことはフリーじゃねぇの?」


 玄野は完全に、自分の都合のいい方向に物事を解釈していた。これでは何を言っても、最終的にこの男が満足する結果になってしまうだろうと、佐々木は察した。


「はぁ、わかったよ。じゃあお言葉に甘えて、案内してもらおうかな」


 深いため息をつきながら、佐々木は渋々と了承した。


「へへっ、そうこなくっちゃな!」


 玄野は楽しそうに白い歯を見せた。




 島には、怪物がいる。それも檻の中で管理されているわけでもない、放し飼いの化け物が。


 怪物――と称されてはいるが、ベースは当然人間である。車にはねられれば大怪我を負うし、ビルの二、三階から落ちれば病院行きだ。ナイフで刺されば血が出るし、頭を強く打ちたければこぶができる。その怪物自体は、紛れもない人間だ。


 では何故、怪物などと呼ばれているのか。それはその人物が今まで、一度も喧嘩で負けたことがないからである。

 相手が何人であろうと、拳銃や刃物を多数所持していようと、決して負けない。必ず、最後に立っているのはその怪物だ。故に、人間であって人間ではない。


 東堂敦とうどうあつし

 派手に染まった赤い髪と顎髭が特徴で、腕や脚はワイヤーのように引き締まっている。

 島の繁華街で日常的に見かけられる存在だ。異常なほど喧嘩に強く、まさに最強の怪物と言える彼だが、別に暴力団のような物騒な仕事には就いていない。それどころか、三十手前でありながらも未だに無職である。


 それは、彼が強すぎることが原因だった。喧嘩無敗伝説という名声を聞きつけたゴロツキたちから、常に喧嘩を売られる毎日。そのせいですぐに問題を起こしてしまう。まだ幼い未成年の不良少年を半殺しにしたり、島の至る所を破壊したり、喧嘩を止めに入った警察官を投げ飛ばしたり、上げていけば枚挙にいとまがない。


 しかし最近では、強すぎるあまり正面から喧嘩を売ってくる輩はいなくなった。大抵の場合、不意打ちか物量作戦である。噂にある記録が正しければ、東堂が一度に戦った人数は二十人以上らしい。


 本人もこれを機に、今は就職活動に勤しんでいる。己が喧嘩無敗の怪物だと知られないよう最新の注意を払っているが、もはや有名すぎて無理になってしまっている。


「はぁ、またダメだった」

「あーあ、やっぱり無理か。もう島を出るしかねーかもしれねーな、こうなってくると」


 タバコを吸いながら、東堂が今日の成果について報告していた。会話からわかる通り、結果は悲惨なものであった。

 話を聞いているのは、東堂にとって唯一の友人と呼べる同居人の男だ。学生時代の同級生で、今の生活費も彼が補っている。最初はこの関係が逆で、仕事に困っていた友人が居候という形でやって来た。本人たちもまさか逆転するなどとは夢にも思っていなかった。


「タワーの警備員、結構いいと思ったんだけどな。お前、喧嘩だけは強いし」

「まあ、そのせいで今は無職になっちまったわけだが」


 東堂から、景気の悪いため息がこぼれた。


「は、ははは、でも今回ばかりはお前に落ち度があるぜ? ったく学生相手に喧嘩とか、普通するか?」

「反省は……してる。俺の勘違いって言うか、多分そいつら、はめられたんだと思う」

「だろうな。つうかよぉ、やっぱ世界ってのは広いな。そいつ、ステゴロだったんだろ?」

「ああ、信じられねぇかもしれなぇけどな」

「お前の無敗伝説、終わりというか、世代交代の時期なのかもな」

「……かもしれなぇな」


 同居人は、目の前でタバコをフィルターギリギリまで吸っている友人の顔を見て、背筋に寒気を覚えた。

 東堂は顔にいくつもの青痣を作り、腕を包帯で吊っている。


 今まで東堂が、武器を持った集団を相手にして流血するほどの怪我を負ったことはあったが、素手のタイマンで彼をここまで追い詰めた者は今まで誰一人としていない。


 しかも、その相手は話によると高等部の学生服を着ていたらしい。

 暴力団の武闘派幹部ならまだしも、高校生が東堂を素手で追い詰めるなど、もはやこれは革命的だった。


「一度見てみたいもんだね、そのガキを、この目でよぉ」


 額に冷や汗をかきながら、同居人が言った。その言葉には底知れぬ恐れと、未知への好奇心が入り混じっていた。


「たしか隣のやつに、佐々木とかって呼ばれてたな」

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