鏡よ、かがみ、どうして私はアナタを写す

空付 碧

鏡は己を写さない

「鏡よ鏡、この世で一番美しい人は誰?」

 黒い服を着て、頭に金色の冠を乗せた女王さまが問う。緑の炎に包まれた鏡が答える。

「それは白雪姫です」

「しらゆきひめさん」

 私は復唱した。幼いころの、一番深い思い出だ。


「かがみさん」

「はい」

 私は指名されて席を立つ。制服のスカートがしわになっていないか、少し心配だった。

「ここで使われる公式はわかりますか?」

「因数分解です」

 私は答えた。必要な公式と、入れる数字、そして解を出す。そのまま座ってよいとのことで、制服のしわを気にしながら座りなおす。周りは黙ってノートを書いていた。女子高とは、なかなか生き残るのが大変な世界だ。幸い、私のクラスは、優等生が揃っていたおかげで、誰も私をからかったりしなかった。

私は優等生じゃない。ただ、少しだけ大人ぶっていた。小学生のころ、名字で散々からかわれたおかげで、何に対しても答えられるように知識を詰め込み、何を言われても対応できる語学を身に着けた。背筋が伸びたのだ。

「加賀美さん、お勧めの本はある?」

 私はにっこり答える。

「グリム童話の、死神の名付け親がお勧めよ」

 あらすじを説明すると、後日クラスメイトの手には、グリム童話が収まっていた。面白いね、という言葉までもらった。私の好きな話だ。気に入ってもらえてよかった。

「加賀美さん」

「加賀美さん」

「加賀美さん」

 私は答え続ける。それは、おそらく模範解答だった。誰もが納得する、模範解答だ。


 彼女に出会ったのは、2年の春だった。

「ごめんね、教科書忘れちゃったんだけど、隣いい?」

 隣の席の彼女に、快く机を並べる。生物の授業だった。

「加賀美さんて、忘れ物とかしないの?」

「しないわ」

「そっかぁ。私は忘れてばかりだからなぁ」

 一瞬固まった。彼女の隣にいるということは、問いかけが続くという可能性が高い。緊張感が続くのか。

「加賀美さんは、生物学好き?」

「そうね、比較的すき」

「私はお気に入り!!特にね、細胞分裂で胚が目になる部分や内臓になる部分を判断して、胎児になっていくって、とても面白いと思うの。加賀美さんは?」

「そう、だね」

 少し圧倒された。確かに好きだったが、ずいぶん先の話だ。今は、光合成の養分についての授業をしている。

「私も結構好き、かな」

「ね」

 彼女は楽しそうに笑った。そこで、おしゃべりしているところを先生にみつかった。

「わかりません」

 彼女は答える。

「師管です」

 私はそっと椅子に座った。


「ね、今度パフェをたべに行こうよ」

「パフェ」

「うん。おいしいお店知ってるの。加賀美さんは甘いもの好き?」

「好き」

「じゃあ、一緒に行こうよ。確かね、いろんな味があったの。えっとね、イチゴとか、抹茶とか……」

 私は少し考える。

「イチゴが好き」

「そっか!!じゃあ、食べに行こうね」

 約束をした。少しだけ頬が緩む。なんだか、女子高生みたいだなと、変な気持ちになった。


「今度友達が遊びに来るんだけど、加賀美さんのおすすめの場所ってある?」

 クラスメイトの問いに、少し考える。

「えっと、そうだね」

 クラスメイトは意外そうな顔をした。

「加賀美さんが悩むなんて意外」

 一瞬凍った。あっ、とクラスメイトは首を振る。

「違うの。なんだか、雰囲気変わったなって」

「プラネタリウム」

 私はかぶせるように言った。

「ステンドグラスがきれいなプラネタリウム」

「あ、そうなんだ。どこにあるの?」

「……ずっと南」


 私は昼休み、トイレに駆け込んだ。光が差し込んで真っ白な壁が明るく、清潔感が漂っている。小さな空間には、誰もいない。私は鏡に顔を合わせた。

「かがみよかがみ、私は一体誰?」

 鏡の中で、私が自問している。顔色はあまりよくなかった。私は、加賀美だ。緑の炎に包まれている鏡。

「何してるの?」

 鏡の端に、彼女が現れた。ひゅっと息が漏れる。

「加賀美さんは、加賀美さんでしょ?」

「うん、私は私」

「顔こわばってるけど、どうしたの?」

 私は鏡の中の彼女を見る。心配そうにも見えた。

「私は、加賀美って」

「え、そんなの必要ないよ?」

 彼女は笑顔だった。優しい笑顔だった。

「加賀美さん、下の名前って何?」

 初めて、彼女に質問をされた。はい、いいえでは無い、疑問文だった。

「……律子」

「りつこちゃん。素敵な名前だね。加賀美律子ちゃん。誰かの鏡なんかじゃない、加賀美律子ちゃんじゃ、ダメなの?」

 言葉に窮した。鏡の中が、揺れている。鏡は反射でできているから、私は誰かの鏡でないと、いけないって。

「そうじゃないと、」

「今度から、律子ちゃんって呼んでいい?」

「う、ん」

 に、っと彼女は笑う。

「あ、予鈴だ」

 彼女は私の手を取った。私はされるがまま、手を引かれて歩く。

「私の名前も、下で呼んでよ」

 楽しそうに彼女は言った。とても友好的な、友達だった。おそるおそる聞く。

「何ていうの?」

「由紀子だよ」

 頭が真っ白になった。ゆきこ。ゆきこさん。

「次は、国語だっけ。私国語苦手なんだよね」

 由紀子さんは、ぼんやりと言った。


「鏡よ鏡、この世で一番美しい人は誰?」

 黒い服を着て、頭に金色の冠を乗せた女王さまが問う。緑の炎に包まれた鏡が答える。

「それは白雪姫です」

 食い入るように、画面を見つめる。母親は、不思議そうに私を見ていた。

「お母さん」

「何?」

「お母さんは、この名字で苦労しなかった?」

「何もなかったわよ」

 母親は何も考えずに生きてきたということだろうか。それとも、私が考えすぎているのだろうか。

 白雪姫の話では、鏡は彼女に会わなかった。自分の中で、彼女を写し出していた。だから、本末転倒なのだ。私が彼女に会ったとして、何もない。ただ言えるのは、彼女は世界で一番美しい人と断言できないことだった。

「幼いころから、からかわれてたものねぇ」

 母親は洗濯物を干しながら言う。

「律子は、鑑になろうとしてたのよねぇ」

「鑑」

「そうよ。お手本になりたかったんじゃないのかなぁ」

 パン、と洗濯物を弾かせる音がした。


「おいしいねぇ」

 パフェを頬張りながら、由紀子さんは言う。私はイチゴジャムの部分をたべていた。

「おいしい」

「ねー」

 細長いスプーンを、器用に使って、奥の方のコーンフレークをつついている。

「私、これ苦手。かが、あ律子ちゃんは?」

「呼びなれてる方でいいよ」

 私は笑った。彼女も笑う。

「律子ちゃんは、私がどう見える?」

 急な質問だった。これまでの、特にトイレでの奇行があったせいだろう。私は、苦笑いをしながら答える。

「とても素敵な友達だよ」

「やった!!私もだよ!!」

 由紀子さんは言う。

「加賀美さんはね、ずっと質問に答えてきたでしょ?」

「うん」

「だから、自分が見えてなかったんじゃないのかなって、あの時思ったの」

 コーンフレークを粉々にしながら、彼女は言った。

「鏡はね、自分を写さないから。だから、こっそりと加賀美さんは自分を認められてなかったんじゃないのかなって」

「うん」

 屈託なく言う姿はどうにも眩しい。私は、あんなにも屈折していたのに。

「私は、加賀美さんが、律子ちゃんが、自由な女の子でいたらいいと思うの。鏡なんかに囚われないで、私を見て。そうしたら、その分私があなたを見るよ」

 彼女は、白雪だ。私は初めて、偶像ではない少女を見つめた。

『鏡に映る姿が自己であることを知るのは、自己認識の一歩である』


 加賀美律子の、鏡は割れた。

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鏡よ、かがみ、どうして私はアナタを写す 空付 碧 @learine

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