第46話 別れ

 目が覚めて最初に目に映ったのは、青々と澄み渡る空だった。


 瘴気漂う魔王領では決して見ることのできなかったその景色が、俺にこう告げる。


 お前は勝ったんだ、と。


 崩壊して壁も天井もなくなった魔王城の中心で、俺は一人口元を緩めた。


 するとすぐ近くから声をかけられる。


「気分はどうだい、アレス」


 それが誰であるかなんて明白だ。


 最後まで俺のことを見てくれていたその人に向かって、俺は返事を返す。


「そりゃあ最高ですよ、師匠。俺は望んだものを手に入れたんですから」

「そうか、それはよかった」


 目を向ければ、師匠は俺のすぐ近くにある瓦礫の上に座っていた。


 これだけの惨状の中で傷一つ負ってないとは、やはりこの人はただものではない。


 でもはっきり言って、師匠が何者であるかなんて俺にはどうでもよかった。


 だって師匠は師匠だから。

 俺にとってはそれさえ分かっていればいい。


「本当によく頑張ったね。最後のあれは僕としてもまったくの予想外だった。正直言って君には申し訳ないことをしたと思っているよ。ごめんね、アレス」

「別に師匠のせいではないでしょう。ただ邪神が出てきて暴れていた、それだけの話なんですから」

「そう言ってもらえるとこっちとしても助かるよ。まあお詫びとして致命傷は全部治しておいたから、そこは安心するといい」

「・・・本当だ。傷が塞がっている」


 体を触ってみると、魔王や邪神につけられた傷が無くなっていた。


「まあやりすぎると聖女の仕事が無くなって、彼女がいじけてしまうから多少は残しておいたけどね。彼女に会ったら存分に治療してもらうといい」

「あははは」


 俺としても戦った後の聖女様の治療はご褒美だから、それが無くならなくてよかった。


 そんな風に思いながら俺が照れくさくて笑っていると、師匠は世間話を続ける。


「君はこれからどうするんだい?」

「そうですねえ。まあ田舎に帰って畑仕事に戻るんじゃないんですか?今回のことでもう戦いは懲りましたよ。これからはゆっくり穏やかに生きていきたいです」

「ははっ。世界を救った勇者様が田舎で畑仕事とは、また欲のないことだねえ。まあ僕としてはそういうのは嫌いじゃないけど」

「平和が一番ってことですよ」

「うんうん、その通りだね」


 師匠の様子がなんだかいつもと違う。

 普段はもっと冷たい雰囲気なのに、今は上機嫌な感じが伝わってくる。


 これは勝手な妄想だが、きっと今の師匠が本来のこの人なのかもしれない。

 師匠も世界を救うために頑張っていたのだ。

 その中で勇者育成という責務を背負って張りつめていたせいで、他者を寄せ付けないようなあの雰囲気を纏ってしまっていたのかもしれない。


 最後にこの人のこういうところを知れて、ちょっとだけ嬉しい。


 新たな発見を楽しみながらその後も一言、二言と、俺と師匠は言葉を交わし続けた。


 そしてどのくらい経った頃だろうか、おもむろに師匠は立ち上がる。


「さて、そろそろ僕は行くよ」


 なんとなくだが予感がした。

 もうこの人とは会えなくなってしまうんじゃないだろうかという、そんな予感が。


 だからこれが最後に交わす言葉になると、そう思ったのだ。


 俺は疲れた体に鞭打って、立ち上がる。

 そして師匠に向って頭を下げた。


「師匠、今まで本当にお世話になりました。あなたがいなかったら、きっと俺はここまで辿り着くことはできなかったでしょう。本当にありがとうございました」


 見せたくないものがあったので、俺はその姿勢のまま顔を上げようとはしなかった。

 最後の最後で格好悪いところは見られたくなかったからだ。


 でも師匠は俺の肩に手を置いて顔を上げさせる。


「感謝は受け取るよ。でもねアレス、ひとつだけちゃんと覚えておいてほしい」


 まっすぐな瞳が俺を捉えた。


「君がここまで辿り着けたのは、君自身のおかげだよ。君の意志が世界を救ったんだ」


 師匠は優しく微笑んで言葉を続ける。


「君は最初から勇者としての力を持っていたわけではなかった。でもそうであったからこそ、苦悩し、そして願いを抱いた。それは歴代の勇者たちにはなかったものだ。勇者足りえなかったからこそ、君は勇者を超えた。君が成し遂げた偉業はそういうものだ」


 視界が滲む。

 何かが胸の内から溢れ出してきて、涙を止めることができない。


「君に敬意を」


 そう言って師匠は歩き出した。


 泣きじゃくりながら、それでも伝えておかなくてはいけないことを俺は叫ぶ。


「師匠!あなたの弟子になれて、俺は幸せでした!」


 もう師匠は振り返らない。

 でも背中を向けたまま、こちらに向かって手を振ってくれた。


 それが師匠との最後になる。


 まるで蜃気楼のように、その姿はいつの間にか消えてしまっていた。


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