第6話 勇者と聖女

「人類を守るために立ち上がってくれた諸君に、感謝の意を述べる」


 訓練場に集められた数人の志願兵たちの前で、軍服に身を包んだいかつい男は歓迎の挨拶をしていた。


 アレスはというと死んだ目をして志願兵たちの中に紛れ込んでいる。


 結局彼は次の日もう一度軍本部に訪れ、受付で勇者であることを伝えたのだが、受付嬢に冷たい目で見られて取り合ってもらえなかった。

 手の甲の紋章を見せて説得しようとしたが鼻で笑われ、完全に心折れたアレスがおとなしくこの訓練場に連れてこられたのがつい先ほどのこと。


「これから諸君には模擬戦を行ってもらう。こちらが見るのは訓練が必要か、あるいはすぐに実戦に出られるかということだけで、基本的に無条件で入隊はできるから安心してくれたまえ。それではさっそくはじめよう」


 教官の合図とともに入隊試験が始まった。


 試験内容は教官との一対一での模擬戦。


 順番に呼ばれた志願兵たちが教官に挑みかかっていく。


「次はお前か。よし、かかってこい」


 ようやくアレスの順番が回ってきたところで、彼は一歩前に出る。


 どうにかしてここで実力を示せれば、自分が勇者であることを信じてもらえるかもしれない。


 そんな淡い可能性に賭けて、彼は構える。


「うおおおおおお!!!」


 一つ雄叫びを上げた後、彼は教官に挑みかかった。


 本来こういう場で勇者が戦えば、その圧倒的強さで己が勇者であることを証明できるだろう。


 しかし急造の器、急造の勇者でしかないアレスはそういうわけにもいかない。


 彼にはまだ内に秘めたるその力を示すことができなかった。


「ぐはっ」


 案の定、彼は負ける。


 みっともなく膝をついたところで、試合は終わりを告げた。


「ん?」


 教官の目線が膝をつくアレスの手に吸い寄せられる。


「ああ、君が例の勇者君か」


 彼の手に浮かび上がる紋章を見て、どこか小馬鹿にしたような声を出した教官は、彼を見下ろす形で口を開いた。


「勇者を名乗りたい気持ちはわかるが時期が時期だ。冗談でもそういうことはやめろ」


 地面に伏したまま教官のその言葉を聞いた彼は唇をかむ。


 しかし彼が何かを言い返すことはない。


「これで全員終わったな。それでは結果はのちほど連絡する。それまで待機部屋で待っていろ。以上、解散だ」


 最後に教官がそう言うと、その場は解散となるのだった。


―――――


 試験が終わると、係の人が志願兵を全員待機部屋へと誘導する。

 俺は案内された部屋で空いていた席に適当に座ると、そのままおとなしく待つことにした。


 静かに膝を抱える俺とは違って、周りの奴らは互いの健闘を称えあっている。


 ずいぶんと彼らは楽しそうだ。


 俺はその様子をただ茫然と眺めていたのだが、ふと視界の端にこちらを見ながらひそひそと話をしている集団を見つける。


 別に聞き耳を立てたつもりもないのだが、彼らの会話が耳に入ってきた。


「あいつ自分のこと勇者とか言ってるらしいぜ」

「馬鹿だよな~、あんな弱い勇者がいるかよ」


 たぶんさっき教官がこぼした発言を聞いていたのだろう。

 その視線には嘲りの色が見て取れた。


 だが彼らが言っていることは正しい。

 こんな弱い勇者がいるもんか。


 たぶんこのままいったら誰も俺のことを勇者とは認識しないまま軍に入ることになる。

 果たしてそれで魔王討伐に間に合うのかはわからないが、それでも自分に力がない以上地道にやっていくしかない。


 いや、そもそも俺は本当に勇者なのだろうか。


 ここまで王国が追いつめられたなんて聞いたことがない。

 歴代の勇者たちは魔王誕生とともに現れ、その強力な力を持ってしてさっさと魔王を倒してきたとされている。

 俺の場合は魔王が現れてからだいぶ時間が経っているし、そもそもその辺の兵士くらいの力しか持ってない。


 これで勇者と言えるのだろうか。

 俺だったらそんな勇者は認めない。

 

 考えれば考えるほど不安になる。

 本当はあの夜の出来事などただの夢だったんじゃないかと思えてしまう。

 仮に俺が本当に勇者だったとしてもこのままじゃ国は滅ぶだろう。


 そんなことを思いながら一人鬱に入っていると、一緒に試験を受けたであろう男たちがこちらに近づいてきた。


「お前勇者なんだっけ?それにしては弱くねえか?」

「手にそんな落書きまでして。もういい年なのに、まだそういうのに憧れてるのかよ」

「おいおいやめろって、かわいそうだろ?もうすでに恥かいてんだからよお」


 何が楽しいのか男たちはゲラゲラ笑っている。

 正直今何を言われても言い返すこともできないので無視することにした。

 しかしそれが気に食わなかったのか、男たちの馬鹿にしたような雰囲気は徐々に怒ったようなものに変わっていく。


「おい、無視してんじゃねえよ、自称勇者。てめえみてえな不謹慎な野郎をそれとなく諭してやろうとしてんだぞ。少しはありがたく思えや」

「勇者名乗るとか、頭おかしいんじゃねえのか」


 鬱陶しい。

 ほっといてくれないだろうか。


 お前らが言ってることなんて百も承知なんだよ。

 そのことについて今考えているんだから邪魔しないでくれ。


「てめえ聞いてんのか!」


 ついに胸倉をつかまれた。


 無理やり顔を上げさせられ、相手の目を見る羽目になる。

 なるほど、確かにそこには怒りがあった。


 彼らとて国の危機に立ち上がった人間だ。

 それなりの正義感というものがあるのだろう。


 その彼らの前に勇者を自称する弱い人間が現れたらどうだろうか。

 自分たちは真剣に国を救うために頑張っていこうとしている中、皆が待ち望む勇者を名乗り、挙句の果てに弱っちい。


 たとえ冗談でも不快に思うことは理解できる。


 やはり勇者とか言わなければよかった。

 どこか舞い上がっていたのかもしれない。


 自分が勇者に選ばれたと思って調子に乗らなかったと言えばうそになるだろう。


 今にも殴りかかってきそうな雰囲気の中、そんなことを呑気に考えていると、突然部屋の扉が開かれた。


 胸倉を掴まれたままそちらに目を向けると、そこには教官とともに一人の女性が立っていた。


 その女性を視界に入れた瞬間、俺の世界の時が止まる。


 息をのむ、呼吸を忘れる、さきほどまでの悩みが消し飛ぶ。


 輝く金髪、青い瞳、整った目鼻立ち。

 考えうる限り、いや想像を絶する美しさがそこにはあった。


「・・・何だあれは・・・」


 ようやく絞り出せた言葉はそれだけ。


「何をしている貴様ら!聖女様の前だぞ!」


 周りが騒がしいが何も耳に入らない。


 目の前の女性だけをただ見つめている。

 それ以外のことなど今はどうでもいい。


 彼女と目が合う。

 恥ずかしくて目を逸らしたいのに動けない。


 そして当の本人はというと、なぜか俺の方を見て微笑み、こちらに向かって歩いてきた。

 彼女は俺の目の前で止まると、おもむろにそのきれいな手で俺の手を取る。


 なんだそれは、死ぬぞ。


「あなたが勇者様ですね。お待ちしておりました」

「へ?」

「あなたがここに来るというお告げがありました。無事にお会いできてよかったです」

「ほえええ」


 笑顔が眩しくてやばい。

 生まれてきてよかった。


 俺は心の底から込み上げてくるよくわからない感情の命じるまま握られていない方の手を天高く掲げた。


 勇者万歳、聖女最高。

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