飛鳥VS井上

テナントの入り口まで降りてきた飛鳥は、物陰に隠れて注意深く外を伺った。女はまだ外の広場で暴れている。


(僕がすべきことは、前園さんが来るまで、この女の足止めをすること!)


異脳を全開にすると、飛鳥の髪がパリパリと放電を始める。この状態で飛鳥が頭から放つ電磁波は、自分を中心に数百メートル以内に存在する人間の神経を一瞬だけ自由に支配できる。


(攻撃に合わせて…転べ!)


物陰から飛鳥が念じると共に、狙い通りに女は転んだ。すぐに立ち上がって周囲を威嚇し始めたが、それは問題ない。


(よし、悪くない)


自分一人で勝たなくても良いのだ。警察官達の邪魔をしない程度に崩す。今、目の前で皆を守っている警察官達が居るのだから。


(ありがとう、本当にありがとう)


飛鳥は、心から警察官に感謝した。自分よりも強大な相手と戦うことがどれだけ大変か、今の飛鳥は身をもって知っている。車を蹴り倒すようなパワーの相手に足が竦まずにいるだけでも凄いことなのだ。


(後は隠れながら、足止めを続ければ良いだけ…)


しかし、飛鳥の目論見はすぐに崩れることになる。


「な、なな、何見て、見てんだよて、てめぇはよぉおおお!」


辺りを見回した女が、飛鳥に視線を合わせる。絶叫と共に、女は明日香を睨み付けた。


(!? なんで一瞬でバレたんだ…? まさか、この異脳を受けた側に何かあるのか!?)


女は一蹴りで警察官達を飛び越え、飛鳥目掛けて突っ込んできた。


(く…)


女の身体能力は飛鳥より遥かに高い。飛鳥も異脳者となってから身体能力は向上したが、元々の肉体の成長度合が全く違う。


(足止め!)


異脳を駆使して行動を一瞬押し止め、後ろに飛び退く。異脳者となった今の飛鳥は、一蹴りで数メートルは跳ぶことができる。攻撃を躱された女が、口許を引き上げた。


「お、おお、お前も、バ、バケモノ、なんだろ? あ、頭がビリビリしてるもんな、そうだよな!」


女の息はひどく酒臭い。目は血走り、焦点も合っていない。アルコールが回りきっており、正気でないのは明らかだった。だが、それ故のタガが外れた攻撃力は強大なものとなる。


(頭…それでバレたのか…!)


フルパワーで異脳を発動すると、頭の回りに小規模な放電が発生して目立ってしまう。鏡を見なければ気がつけない欠点だった。


…確かに、頭の回りに放電を起こせる人間はいないだろう。飛鳥は普通の人間ではないのは事実だったが、いきなりバケモノと呼ばれれば腹が立つ。


「僕たちは化け物じゃない! ちょっと病気にかかっただけの人間だ!」


「つ、強がるんじゃ、ね、ねぇよ。な、何人殺したんだ? お、お前だって、無茶苦茶で、できるんだろ」


「僕は誰も殺してない! 殺し合いもやるつもりはない!」


女は飛鳥の発言を鼻で笑い、透明な液体を纏った両手で執拗に襲い掛かる。手が触れた紙が焦げ落ちる程の高濃度の硝酸。喰らってしまえば異脳者とて、ただでは済まないだろう。


「どうした、ど、どうした? 攻撃、しろ!」


飛鳥は異脳による支配も駆使して女の攻撃をかわし続けた。女は天井や棚を蹴って三次元的に攻撃してくる。吹き飛び、倒れた棚が入り口を塞ぐ。


もう逃げ道がない。一階にはもう誰もいないからまだ良かったが、このままでは女の身体能力に押しきられるのは時間の問題だ。


(やむを得ないか、完全に支配して押さえ込もう)


一瞬だけ足を止める。飛鳥の異脳は、自身からの距離に反比例して支配力が減少する。遠距離では一瞬妨害する程度だ。しかし、五メートル以内まで距離を詰めれば、相手の神経は完全に飛鳥の支配下になる。


(付かず離れずで酸を飛ばさず、突っ込んできてくれるのを待てば…)


飛鳥は酸を避けることだけに集中した。それでいて、ギリギリ押し倒せそうな距離を維持する。攻撃はしない。攻めてきて欲しいのだ。相手は正気ではない、隙を見せたと勘違いしてくれれば…。


「も、もらったぁあああ!」


(勝った!)


飛鳥が回避に徹して数分後、狙い通りに痺れを切らした女が突っ込んできた。互いの距離が口付けすらできそうな程に近づいた瞬間、飛鳥の頭部の周りで無数の電撃が弾けた。


突っ込んできたままの勢いで女は地面に倒れ伏し、地面にしがみついて動かなくなった。神経を掌握され、動けなくなったのだ。


(…始めてだったけど。これほど容易く勝てるのか…)


飛鳥は、自らの持つ神経支配という異脳の強大さを今更ながらに思い知った。…勝利した、と言えるのだろう。だが、全く飛鳥には勝った実感がなかった。指を動かすような感覚で、飛鳥は女の体を動かしていた。おそらく脳も操ろうと思えば操れるだろう。


「アタシの、ま、負けかよ…クソ…クソが…」


神経を操作された影響で酔いが覚めたらしい。女の言葉がはっきりとし始めた。


「どうしてこんなことをしたんだ?」


「見下すんじゃねぇよ…クソ…酒を…寄越せ…」


飛鳥の発言を無視して、女は呻く。


「…」


外で警察官の話し声が聞こえる。どうやら前園が到着したらしい。少し位なら、この人の話を聞いてあげても良いだろう、と思った。


少しだけ、後ろめたかったのだ。相手になにもさせずに瞬殺なんてカッコよくない、と飛鳥の感性が告げていた。


「わかったよ。お酒を飲みたいんだね」


飛鳥は、女を連れ回しながら、まだ立っている棚から酒を物色し始めた。


「お酒を飲んだら、静かにして…どうしてこんなことをしてくれたのか、教えてくれるかい?」


「…ああ。アタシがいう酒を、全部飲ませてくれたらな」


女は、しばらく考えてから頷いた。


「その、アプサン・レッド・ラベルって酒がいい。棚の上から二番目だ」


「分かった」


飛鳥は、女に言われるままに酒を渡した。飛鳥は酒に詳しくない。女が飲みたいというのだし、大丈夫だろうと思った。


異脳を調整して、女の手を操り酒を飲ませる。前園が入ってきたのは、その時だった。


「飛鳥くん!」


「前園さん、来てくれたのか」


「ああ…。急に電波が届かなくなったんで手間取ったよ。いったいどうしたんだ?」


「この女の人が、電話で話した異脳者だよ。酸をばら蒔いて暴れてたんだけど、どうにか暴れるのを止めてもらった。その代わりに、酒を飲ませて欲しいとのことだったから、今飲んで貰ってる」


「…!」


前園が目を向けたとき、女は既に酒を全て飲み干していた。前園には、すぐにそれが85度ものアルコール度数を誇るラム酒だと分かった。


(硝酸とアルコールで生成されるのは…マズイ! 硝酸エステルは爆発する!)


「ダメだ、飛鳥くん! 止めさせろ!」


前園が叫ぶのと、もう遅い、と女が嗤うのは同時だった。


「電撃女。お前は、人を殺したことは無いって言ったな?」


女の顔が赤黒く染まっていく。全身が熱を持ち、湯気すら立ち上っている。


「喜べ。アタシが一人目だ。じゃあな、化け物」


そう言い残して、女の体は火柱をあげて燃え上がった。煮えたぎるグラタンのように、表面がパチパチと弾けていた。

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