初めての戦い
飛鳥が通う、星城学園中学校での日常。かつて退屈だと思っていたそれは、今の飛鳥にはかけがえのないものだった。
(急に襲われることもない。友人も居る。ストレスも感じないでいい)
異脳者になってから身体能力が格段に向上したため、体育の時間は少し手を抜かないといけないのが難点だが、日常生活で殆ど困ることはない。
オッドアイは両親相手にも"朝起きたらこうだった、不便はないが目の病気か何かだと思う"で誤魔化した。今週の終わりには病院に行かねばならない。
(気は進まないが、あの三人に頼むしかないか…?)
冒険は少しでいい。リスクだけ大きくてリターンが少ない戦いなど願い下げだ。運命には落とし穴が山程あるのだと、今の飛鳥は知っている。
(ちょっと友達と遊んで、そしたら早めに帰ろう)
飛鳥が櫻一丁目の駅前で友人達と楽しい放課後を過ごそうとしたとき、それは唐突に起こった。
「なに、悲鳴!?」
友人の一人が叫んだ。飛鳥にもはっきりと聞こえた、それは確かに悲鳴だった。その場の誰もが悲鳴の方を見る。
そこでは、一人の女が暴れていた。喚きながら、駅前に止まっている販売車をひっくり返す。人間離れしたパワーだった。
「きき、消えろ一ツ
両手を振るいながら吠える女。顔の作りは掛け値なしに美しい。だが、憤怒に歪んでいる今の顔は般若と言っても過言ではない。女が長袖に隠れた両手から何かをばらまくと、着弾した部分がしゅうしゅうと溶ける。
(馬鹿な、まさか、また異脳者か!?)
飛鳥は戦慄した。エヴォルウイルスは異脳者の血液を体内に取り込まないと感染しない、感染力が極めて低いウイルスだ。だから飛鳥も、ある程度安心して学校にこれた。
(あの三人からは、エヴォルウイルスはキスですら殆どの場合は感染しないと聞いている。すると最初の感染者がまだ居たのか!?)
ともかくこの状況はまずい。飛鳥の家族はともかく、新たな異脳者とその異脳については前園に連絡しなければ。飛鳥は左目を光らせた。相手の異脳を解析する。
(『空気中や、体内の窒素を××××を経由して硝酸に変える…更にエタノールを取り込むことで××××を精製できる…!?』)
必要に応じて硝酸を体内で作れる体質。おそらく、この女が今日のニュースで流れていた殺人の犯人であろう。
(硝酸は理科の授業で聞いたことがある。たしか物凄く強い酸だ。だけどその前にあの女は何を作って、エタノールと硝酸で何ができるんだ…?)
相手の異脳が、飛鳥が知らない何かを軸としている場合、異脳の効果が完全にはわからない。飛鳥の異脳の、決定的な盲点であった。
「なにしてるんだ飛鳥、早く逃げよう!」
友人が立ち止まって悩む飛鳥の手を引っ張った。
「分かった!」
飛鳥もそれに答え、一緒に逃げ出した。女はまだ叫びながら暴れている。
(一ツ木…。殺された人も一ツ木だったな。やっぱり…)
飛鳥は逃げながらスマートホンを手に取った。
★☆★☆★
その頃、前園は部下の運転する車で櫻一丁目に急行していた。前園は如月家周辺を含め、都内全域にステルスドローンと部下を張り巡らせている。
だが、それだけではマンパワーが全く足りていない。対異脳者用の新装備も量産には至っていないので、分かっていても対応には時間が掛かってしまうのだ。
(無い無い尽くしか、全く…)
前園の業務用電話が鳴った。かけてきたのは飛鳥だった。
『もしもし、聞こえるかい?』
「聞こえる。何があったのかな?」
『異脳者を発見したよ。体内で硝酸を作る異脳を持っている。しかも、一ツ木という人間を探しているようだ』
「櫻一丁目に居るのか!?」
『ああ』
「報告ありがとう。私たちは後二十分でそちらにつく。できる限り自分の身を守るように逃げてくれ」
『分かった』
電話を切る。
(ドローンや公安の特殊部隊が監視しているので知っていた、とは言えんな)
前園は天井を見上げた。
(急ごしらえの秘密兵器が役に立てば良いのだが)
まだ到着には時間がかかる。高々二十分程度の待ち時間が、前園には極めて長い待ち時間になりそうだった。
★☆★☆★
一方、飛鳥は友人と共に周囲のテナントビルの中に隠れていた。ビルの一階は騒然としていたが、上の階になると下の混乱には気づいていない人間も居るようだった。
「しばらく、ここに隠れていよう」
飛鳥達は、窓から階下を伺った。まだ女は広場で暴れている。警察が到着したようなのだが、どうやら暴れ狂う女との距離を詰められないようだ。無理もない、相手は硝酸を無限に繰り出せる上、常人とは比較にならないパワーを持っているのだ。
女が腕から酸を放つ。直撃した街路樹が枯れる。何か喚いているようだが、ここからではわからない。
(…なにもしないのが、一番なんだろう)
鬼熊に殺されたのは要らない気を使ったからだ。今回も同じだ。気を使う必要はないと思う。
(だけど、今の僕はこの状況を解決できる力を持っている)
飛鳥の髪の毛が跳ねる。自らの異脳を自覚し制御した今ならば、飛鳥は自由に他人を操れるはずだった。
(やろう。上手くすれば、被害をこれ以上出さずにすむ! この戦いは勝たなきゃいけない戦い…。リスクだけ大きくてリターンが少ない戦いなんかじゃない!)
このままあの女を野放しにすれば、あの女は際限なく暴れるだろう。何せ警官相手にも怯まないのだ。そして異脳を駆使して、きっと駅前をめちゃくちゃに破壊する。
そうすれば、飛鳥を取り巻く環境…少なくとも、友人と共に遊べる櫻一丁目駅前という遊び場は完全に壊れるだろう。…それは嫌だ。皆の為にも、自分自身の為にも。
勝算はある。飛鳥が直接勝つ必要はないのだ。二十分耐えれば、前園がやってくる。後は任せればなんとかなるだろうし、ダメでも協力して闘える。
「ちょっと下を見てくる!」
「ま、待ってよ!」
「危ないと思ったら、すぐに戻ってくるよ!」
飛鳥は立ち上がり、友人の制止を振り切って駆け出した。下は危ないと言って制止しようとした青年をかわし、飛鳥は階段を駆け下りた。
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