新たな事件

不思議そうにするかなめに、何処から説明しようかと飛鳥は頭を捻った。飛鳥の左目の異脳は、異脳者の異脳核が放つ微弱な生体電流を感知し、その内容を飛鳥に分かるように解析するものである。それ故に、飛鳥には『本人が認識していない』異脳の性質まで理解できている。


(姉さんがどこまで自分の異脳を知っているのかわからないが…、この異脳はかなり強力な戦闘用の異脳だ。どうやって説明しようか…。いや、それ以前にどこから異脳のことをはなそう? 姉さんがウイルスを撒き散らしたんだ、みたいな話はしたくない)


「…?」口元を押さえて無言になった飛鳥に、かなめが不審げな目を向ける。


「ちょっと、僕の部屋に来て欲しい。話はそこでしたいんだ」


「うん、いいよ。布団は持ってく?」


「…そうだね。お願いするよ」


それから五分後。電気を消された飛鳥の部屋で、床に座った二人が向き合っていた。


「姉さん。ここ最近、頭痛はなかったかい?」


「あったよ。もう治ったけど」


「その後で甘いものが飲みたくなったことは?」


「あー、あるある。ここ最近、ついついコーラを飲み過ぎちゃうんだよね…。昨日も気が付いたらペットボトル四本、二リットル分も飲んじゃって」


「…そうか。それじゃ、姉さん」


飛鳥の左目が闇の中で光る。


「今の姉さんは、手を虹色に輝く刀に変えられるんじゃないか?」


かなめが顔をしかめる。


「…なに言ってるの?」


「…話せば長くなるから、結論から話すよ。僕達は異脳…つまり、超能力を手に入れたんだ。特殊なウイルスに感染したことでね。僕の異脳はこの左目で、相手の異脳を分析できる」


かなめの異脳を一言で説明すると『両手足からチェーンソーを繰り出せる』となる。生体酵素によりダイヤモンドの刃を形成し、手足を変形させて繰り出したブレードの上を高速で動かす。これによりブレードは虹色に煌めき、アスファルトをバターのように断ち切る凄まじい切れ味を叩き出す。


加えて、チェーンソーを動かすために手足に小さな心臓と神経節が形成されており、身体能力のみならず瞬発力も大きく強化されている。


(右手のブレードが一番強い。剣道を得意とする姉さんらしい異脳だ。姉さんは二刀流だしね)


そもそも、今の彼氏の風間とも剣道の大会で知り合ったのだ。かなめは、都大会でも上位に入れる程度には強豪である。


「…そういう脳内設定は、真面目な話をしてるときに言うものじゃないと思うんだけど」


「え?」


「犯罪に巻き込まれてショックだったのはわかるけど…でも…お姉ちゃんには、本当のことを話してほしかったな…。その変な左目も、何かの怪我みたいで心配だし…」


かなめの目は優しかった。そして、可哀想な何かを見る目だった。


(…まさか、この人は僕を事件のショックで脳内設定を開陳する中二病と見ているのか!?)


「待ってくれ姉さん、本当なんだ。嘘だと思うなら親指に力を入れてみるとかしてくれ」


「こう?」


かなめは親指を曲げ伸ばしした。指は何一つ変わらなかった。


(しまった…。普通の人間は手をブレードに変えた経験なんてないし、変形方法も分からないのか!)


良く考えれば当たり前の事だった。飛鳥の手もブレードにはならない。従ってなんのアドバイスもできない。


「…」


かなめは不審げに指を動かしている。やがて、何かに気がついたように腕の動きが変わった。


「? なんか手の中で引っ掛かったかも」


「本当かい?」


飛鳥が身を乗り出す。


「あ。」


次の瞬間、かなめの右手が変形した。勢いよく飛び出したブレードが飛鳥の額に激突し、飛鳥は思わず額を押さえてうずくまる。


(痛い…このブレード、思ったよりトゲトゲしてる…)


「うわ、何これ! どうやって戻すの!? てか、なんか表面動かせるんだけど! うわー…」


展開したブレードはあまり自由が効かないらしい。かなめはしげしげと自分の腕を見ている。ブレードのエッジが月の光を反射して虹色に煌めいた。


「マジかー…」


「信じてくれたかい?」


「いやー、うん。驚いたわ…。これ、飛鳥も出せるの?」


「僕は出せない。異脳は人によって違うからね。今日、学校に行けなかったのは僕以外の異脳者に出会って…その…」


飛鳥は口を閉じた。まさか殺されたなんて言えないし、生き返ったとはもっと言えない。それに、あまり思い出したくないし、口に出したくない記憶だ。


「その…姉さん。鬼熊には注意した方がいい」


「鬼熊って、あの御爺ちゃんの?」


「彼も異脳者で、若返って凄い力を持っている。僕は彼に怪我をさせられて、それで異脳者専門の病院に行ってたんだ」


「そっか…私にはわかんないことだらけだけど、大変だったんだね…」


かなめが飛鳥の頭をなでる。飛鳥の張り詰めていた心が緩んだ。何だか泣きだしそうになるのを必死で堪える。ここで泣いたらカッコ悪い。


「は、話を続けるよ。うん。それで…」


こうして情報交換を行いつつ、姉妹の夜は更けていった。



次の朝。テレビには見たものの恐怖を煽るようなニュースが二つ流れていた。


一つめのニュースは、凶悪犯の鬼熊勇作が脱獄した、というニュースである。空手の達人なので、出会ったら即通報するようにニュースキャスターが呼び掛けている。その姿は若返った鬼熊権蔵その人だった。


(鬼熊権蔵…。でっち上げとはいえ、指名手配されたのか)


あの圧倒的な戦闘力が常人にどうにかなるとも思えないが、鍛えた警察官なら少しは威圧にはなるかもしれない、と飛鳥は思った。


『テロリストか? 硝酸殺人事件』


二つ目のニュースは、数日前に櫻一丁目で硝酸による殺人事件が発生したというニュースだった。被害者の名前は一ツ木奈津ひとつぎなつ。大量の硝酸が使用されたらしく、既に警察が動いているとコメンテーターが話していた。


「これ、飛鳥の学校の近くじゃない? 気をつけなさいよ」


「飛鳥だって子どもじゃないんだし、それくらい分かってるでしょ。でも、いざとなったら逃げなよ?」


かなめと母親が箸を動かしながらどことなく呑気な会話をしている。


「勿論、分かっているさ」


飛鳥も笑顔で答えた。鬼熊に殺されたのは、使わなくても良い気を使った上に、間が悪かったからにすぎない。そう思って、飛鳥は家を出た。


★☆★☆★


井上涼子いのうえりょうこを一言で言い表すなら、『承認欲求の権化』が相応しい。


高校生までは、明るく、賢く、そしてお洒落な少女だった。中学生時代から、その美貌と身体で何人もの男を手玉にとっていた。元々早熟だったが、なによりも『男達が必死になって己を求めてくる』のが本当に楽しかった。友人からも一目置かれ、自分の人生は全て思いのままになるとすら思えた。


しかし、日ノ本大学への受験に成功して上京してきた後。同じテニスサークルで出会った海野うんのと出会って、井上は変わった。


(初めて、この人が欲しいと思った)


初恋。今まで積み上げたテクニックを駆使して落とせる自信は十分にあった。全力を尽くした。…だが。


(初めて、負けた)


海野が選んだのは同じサークルの一ツ木だった。確かに性格が良く、テニスには一日の長があり、小動物的な可愛さの持ち主だった。とはいえ、お洒落も料理も普通。女性としての魅力は客観的に見ても井上の方が上だった。


井上が六年間積み上げてきたものが、テニスの腕前一本でひっくり返されたように思えた。嫉妬と憎悪で骨が焼けるようだった。そして井上はサークルを辞めた。


暴走する承認欲求を抑え込むため、出会い系に手をだし、裏ビデオにも出演した。金は山ほど手に入ったが、化粧と服と小物と酒に全て消えた。そのくせ恋心だけは捨てられなかった。


(そして、アタシは変わった)


いつものように出会い系で一夜を過ごした後、数日頭痛が続き…


(…何でも溶かす体に)


井上は、手から硝酸を出せるようになっていた。普通、酸で溶けない人間はいない。十分気を付けていたのに、おかしな病気を貰ってしまったと思った。自分がどこまでも惨めに思えた。


(クソ! 病院に行く途中で、あの女と出会わなければ…)


一ツ木は、井上の事を覚えていた。おそらく井上が海野にまだ恋していることなど知りもせず、さも井上の事が心配だと言わんばかりに…


(何が「大丈夫? 最近学校来てないみたいだけど、調子悪いの?」だ! 勝ち誇った顔しやがって!)


自分はよく分からない病気をもらうほど落ちぶれたのに、この女は真面目にテニスに取り組みながら楽しく海野と付き合っている。…許せない。ちょっと脅かしてやるだけのはずだった。手から硝酸が出る体でなければ。


(もうニュースになった。アタシは変な病気持ちの殺人犯! クソ! 酒! 飲まずにいられない! クソ!)


不思議なことに、この体になってから酒だけは美味い。飲むと頭の中に光が広がり、全能感が溢れてくる。井上は一応理系だ。体内で何が起こっているのか、おおよそ推測はできるし、昼間から酒に溺れるのはヤバいと分かっているが止められない。


(クソ!!!)


井上はストロングOを取り出した。この缶チューハイはアルコール濃度十パーセントを誇る。普段飲んでいるビールとは強度が全く違うが、ストレスが大きすぎて、もうビール程度の全能感では足りない。


井上はストロングOを一気に飲み干した。まだ足りない。まだ。


(クソ…、ク、クソ…)


頭の中で星が乱れ飛んでいる。軽い頭痛を伴う脳が開くような感覚の後に、圧倒的な全能感が井上の精神を高い、高い所まで運び去っていった。


井上は、家から飛び出した。

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