折れた正義

時間は少し遡る。砂原公平すなはらこうへいは人生最高の対戦を終え、ホクホク顔で帰路につこうとしていた。


(へっへっへ、アイツらは本当に格ゲーが弱いな! まだまだ利用させてもらうぜ。僕の重みをたっぷりと分からせてやるんだ、この『正義宣誓ジャスティス』で!)


己のチカラに、砂原は『正義宣誓』と名付けていた。このチカラは砂原のためのみならず、何よりも正義のために使われるべきものだからだ。砂原が意気揚々と家に帰る途中、目の前から同じ中学校の制服を着た三人が歩いて来た。


(ッ! アイツらは、忘れもしない…僕より一つ下の分際で僕を軽く見た! 石動いするぎ波佐見はさみ平井ひらい!)


砂原はギリギリと歯をならした。年長の自分が折角遊んでやろうと目をかけてやったのに、この三人はそれを反故にした挙げ句、砂原に反撃を行ったのだ。三対一では幾らなんでも多勢に無勢、一つ上の砂原と言えど倒されるのは必然だった。


(こいつらにも僕の重みを教えてやらなきゃいけないな。取り敢えず慰謝料がわりに有り金を巻き上げるか)


砂原は笑みを深め、そして三人の前に立ちふさがった。


「げ、砂原…」


「おい、お前たち。早速だが、"有り金を全部出せ"」


露骨に顔をしかめる三人に、砂原は『正義宣誓ジャスティス』を放った。波佐見は言われた通りに金を出そうとする。だが…


「何やってんだ波佐見! 目を覚ませ!」


石動が波佐見を揺らす。波佐見は回りをキョロキョロと見たが、直ぐに砂原に敵意を向ける。


「何ッスか、先輩。用がないなら帰りたいんスけど?」


平井もイラついたような口調で砂原を見る。完全に見下されている。そもそもチャラそうなこの三人をカモろうとしたら反撃されただけなので自分が悪かった、という発想は砂原にはない。


(なんだと?)


まず怒りが膨れ上がる。こいつらは僕を軽く見ている。上下関係を分からせないといけない。僕の方が先輩、僕の方が正しいのだから。


「"動くな!"」


正義宣誓ジャスティス』で波佐見が動きを止める。だが、石動と平井は止まらない。


「半年前からセコくて下らねぇのに、また性懲りもなく俺たちに命令してんじゃねーよ、このボンクラがぁあああ!」


「一年上だからって興味もねぇゲーセンに連れてってグチグチうっせーんだよ、てめぇはよぉおおお!」


「「またぶちのめしてやるッ!」」


怒れる二人の拳を止める手段は、砂原にはなかった。



三人が去ったあと、亀のように丸まっていた砂原はヨロヨロと立ち上がった。


(クソッ…クソ、クソ、クソクソクソ!)


殴られ、蹴られた身体中が鈍く痛い。前回のリンチよりダメージは少ないが、精神へのダメージが大きい。


(何でだ…。何で僕の『正義宣誓ジャスティス』が効かないんだ? これは間違った世の中を正すためのチカラじゃないのか?)


許されない出来事に奥歯を噛み締めながら、砂原は家に帰る道を歩いていった。


★☆★☆★


(読めた!)


老眼鏡をかけ、砂原を観察していた鬼熊はニヤリと笑った。


(あのガキのチカラは、声をかけた相手に命令の形で催眠術をかけること! 術がかかった相手は命令を忠実に実行する!)


だが、それならば一つの疑問が残る。なぜ、自らに術がかからないのか?


(まず声自体には指向性はないぞい。ゲームセンターで回りの奴にも時たまかかっておった)


無表情で立ったり座ったり、使いもしないのに両替して首をかしげていたプレイヤーを思い出す。催眠術を受けている間は無表情だったが、対戦ゲームに乱入しようとして止めさせられたりする度に、顔に表情が戻っていた。


(すると自分にかからん理由は、発声する瞬間に耳が聞こえなくなっとるか、或いは言葉を正確に聞かなければかからないか)


人間は、自分の声を骨伝導で聞いている。録音した自分の声と、普段聞いている自分の声が全然異なるのはそれが理由だ。


(ゲームセンターで"使えねーなー"と繰り返し、"早く金を崩せ"と何度も命令していたこと。そして、今の三人のうちチカラが効かない二人だけがイヤホンをしておったことを考えると後者でほぼ確定! ならば、儂には効かん!)


鬼熊は確かに若返った。だが、その若返りは不完全なものだ。


(老眼と難聴、EDに頻尿が治っておらんからな! 全く、一番治したいところが治ってないのはどういうことなんじゃ! おかしいじゃろ!)


骨と筋肉、皮膚は若返った。例えば、抜けた歯は再生したので入れ歯はもう不要だ。しかし、鬼熊の体は神経に関わる老化の問題が殆ど改善されていないのだ。


(まぁそれはいい。狩るとするぞい)


鬼熊は、後ろから砂原に手を掛けた。


★☆★☆★


「おい、そこのガキ」


居酒屋が並ぶ少し広い道。後ろから肩を掴まれた砂原が振り向くと、そこにはニメートル近い身長のボディビルダーのような男が立っていた。


「な、なんだよ!」


「お前、人を操れるな? そのチカラ、儂のために使え」


「はぁ!?」


(何でバレたんだ!?)


男の行動は砂原よりも遥かに速かった。即座にコンビニと居酒屋の間にある細い道に砂原を連れ込み、そして混乱する砂原を壁に叩きつけた。


「ぐえっ…」


「聞こえなかったのか? 貴様は儂に従えと言っているんだ、このクソガキが!」


「し、従えっていったい何を…」


砂原は、自分より強い相手にはビビりでセコい男だった。圧倒的な腕力の差に、反撃する気力は殆ど残っていない。


「儂は訳あって家に帰れん。お前のチカラで金を作れ。個人経営の居酒屋辺りから有り金を全部奪い取るんじゃ。何件か回れば数百万は行けるじゃろ」


「そ、そんな…」


数千円から数万円のカツアゲならともかく、数百万レベルの強奪など考えたこともない。そこまでいくと流石にやりすぎだという自覚は砂原にもある。砂原は必死で頭を捻った。


(そ、そうだ! 僕には『正義宣誓ジャスティス』がある!)


「う、うるさい! "死ね!"」


砂原は必死で叫んだ。だが、男は一向に死のうとしない。これは砂原自身も知らないことだったが、砂原の異脳である『正義宣誓ジャスティス』は変異した声帯で特殊な振動波を放つ異脳であった。その振動波は、鼓膜に共振することで内耳神経を混乱させ、瞬間的に思考を麻痺させる。


故に、鼓膜を正しく揺らすことができない場合、或いは正しく揺れていても内耳神経側が上手く音を聞き取れない場合、砂原の異脳は効果を発揮しない。例を上げれば、砂原自身が異脳の効果を受けないのは、骨伝導の影響で鼓膜が正しく振動していないからであるが、砂原はそこまで考えていなかった。


つまり。鬼熊の推測は、ほぼ当たっていた。


「"死ね、死ね、死ね!!"…グェッ…」


「ほう…。言葉で儂が死ぬとでも?」


男は余裕綽々で砂原の首を締め上げ、ニヤリと笑った。


「儂に貴様のチカラは効かんぞい! 残念じゃったな!」


(バカな…。何であの三バカといい、この化け物といい僕のチカラが効かないんだ!)


砂原の視界が恐怖と絶望で歪む。この瞬間、砂原はこの名前も知らない男に完全に屈服した。思考がパシリのものに切り替わる。


「ま、待ってくれ、お願いだ! 僕はこのチカラを正義のために使いたいんだ! 今まで皆が僕をバカにした…。もうウンザリだ、正義は勝つんだ!」


「貴様の考える悪人を使って強盗させれば良いぞい。終わったらブタ箱にぶちこまれるのはどっちにしろ悪人じゃろ」


(お前が悪人だよクソ!)


それを口に出す勇気は砂原にはなかった。


「儂のことは鬼熊と呼べ。逃げようとしたら殺す」


砂原が屈服したのを確認し、鬼熊は獣のように微笑んだ。

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