決意

前園の車は高機能なハイブリッド車だった。有線接続した携帯型デジタル音楽プレイヤーからクラシックの音楽を流しながら、すっかり暗くなってしまった夜の街を駆け抜けていく。


「すまないね。あの三人は悪い人間ではないんだ。ただ、少しばかり無神経が過ぎるだけでね」


前園が黙りこくる飛鳥に話しかける。


「本当にそうなのかい? 僕にはあの三人を信用していいとは、とても思えないのだけれど」


「何故かな?」


「国立ウイルス研究所から外に出る時、綿密なボディチェックがあった。この僕にもだ。どうしてあれだけの警備があったのに、警察官としてウイルス研究所の署員を調べている前園さんにも身元が分からない犯人が、研究所の中からウイルスを持ち出せたんだ? 内通者が居ると推測するのは当然だろう?」


(…鋭いな)


十四歳の中学生に過ぎない飛鳥の推測に、前園は舌を巻いた。確かに、前園も最初は彼ら三人を内通者として疑った。


「それに、なんで人を異脳者に変えるウイルスの研究員がたった三人なんだ? もっと沢山の人間が研究していていいはずだろう?」


「元々、あのウイルスは脳腫瘍を生み出す原因の一つとして特定されたものに過ぎなかったんだ。研究チームは彼らのものを含めて十二チームあって、他のチームは元々のウイルスによる脳腫瘍の治療法を普通に研究している」


そこまで言って、前園は息を付いた。


「だけど、あの三人はウイルスに好き勝手に改造を始めてね。ウイルスを根本的に無害化する、とかなんとか言いだしてゲノムをやりたい放題に弄ったんだ。その結果があのエヴォルウイルスさ。調べたくてもエヴォルウイルスにはジャンクDNAが多すぎて、何が原因でこんな性質を持つようになったのか調べようがない」


「そんなことしていいのかい? 仮にも研究者だろう、仮にも」


「彼らは一番期待されてないチームだったんだよ。落ちこぼれというには尖った才能を持ち、倫理感をまるで持たない厄介者を閉じ込めておくのが、あのチームの目的だった。最も、一番期待されていないチームが一番凄まじい結果を出した上に、あろうことか杜撰極まりない管理で盗まれたんだけどね」


「杜撰?」


「そう。例えば雷泥主任のデスクには、パソコンのパスワードを書いたメモが貼り付けてあったんだよ。信じられるかい?」


「…」


飛鳥は頭を押さえた。これほど深い絶望感に襲われたのは初めてだった。


「で、結局は人が通れるダクトを上手く使えば誰でもエヴォルウイルスを盗めてしまう状態だった、ということが分かったんだ。実際、そのルートで盗まれたしね」


「そうか…なるほど…。そう言えば、気分直しにラジオを聞かせてもらっていいかい?」


「構わないよ。…あれ? チューニングが合わない? 都内なんだがな」


前園は首を傾げた。


(これは、もしかすると…。やはり、僕の異脳は…)


飛鳥が自分の世界に入り込もうとしたとき、車が止まった。


「着いたよ。君の家だ」


たった半日離れていただけなのに、飛鳥はなんだか酷く懐かしい気持ちになった。


(ああ)


(そうか)


(僕は、本当に…ここに救われていたんだ)


帰りたい場所。その本当の意味が、飛鳥には分かった気がした。



世の中には嘘の天才が居る。飛鳥はそのことをしみじみと実感していた。


(まったく、よくもまぁこんなに嘘ばかりすらすらと…)


前園の腕前は見事なものだった。まずは飛鳥が引ったくりの被害にあって気絶していたという大まかな設定を決める。家に帰ったら即座に警察手帳を見せ、設定に合わせたアドリブで話を詰めていく。飛鳥は時折相槌を打つだけで良かった。


両親の警戒はものの数分で感謝に変わり、飛鳥は『学校をサボった真面目ちゃん』から『犯罪に巻き込まれた悲劇の少女』として両親に抱き締められていた。ついでに前園の信頼もうなぎ登りである。


折角だからとの食事の依頼を丁重に断り、前園は『引ったくられた』飛鳥の連絡先が書かれた手帳と一緒に、仕事を口実に帰っていった。



(さて)


飛鳥は食事と風呂を終え、自室に籠って鍵を掛けた。こういうとき、一軒家の個室は本当に有難い。


(これは賭けだが、絶対にやっておかないといけないことだ)


机の一番上の鍵のかかった引き出しを開く。そこに封印されているのは六冊のノートだ。飛鳥は、装飾された文字で『†迅雷の反逆者†』と書かれたノートを取り出した。


(僕が超能力を得たらどうしようか、という設定で書いたノート…。まさか役立つ日が来ようとは思っても見なかった)


ノートの第一章にはこう書かれていた。


『異能バトルの勝敗は情報戦で四割決まる』


(我ながらつくづく正論だ。今日の説明でも、異脳の解説は推測でしかなかった。おそらく、僕の異脳の全容を僕は把握していない。これでは危険だ)


異脳を得たと言っても飛鳥は不死身でも無敵でもない。鬼熊に頭を割られた時の恐怖はまだ鮮明に覚えている。自分からは絶対に関わりたくないが、鬼熊がもしも飛鳥をもう一度見つけた場合、目撃者として殺しに来る可能性すらある。


(そもそも、鬼熊相手に正面からまともに立ち向かえる自信もない。頭を二度割られるのはごめんだ)


それに、飛鳥の家族はおそらく全員が既に異脳者なのだ。どんな異脳を持っているのか確かめておくのは悪くない。


(これは、生き残るための先行投資だ。ひび割れた僕の日常を、絶対に守りぬくための)


飛鳥は、ゆっくりと精神を統一した。布団に噛みつき、床に転がる。何が起こっても耐えられる体勢を取るのだ。


(もう一度だけ、異脳を使う。『異脳を解析する異脳』を手に入れるために!)


脳の奥がスパークするような感覚があり、飛鳥の左目に激痛が走る。目玉の奥が無理やり押し広げられる痛みに、飛鳥は床の上でのたうち回った。左目から涙が止めどなく溢れる。布団を噛みながら叫んでいたが、何を言っているのかは自分でもよく分からなかった。


想定を遥かに越えた激痛に耐えきれず、やがて飛鳥は白目を向いて気絶した。気絶する前に、誰かが扉をノックしているような気がした。

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