心無い宣告

こうして鬼熊が砂原を尾行しているころ、飛鳥は三人の博士からエヴォルウイルスの説明を受けていた。


「つまり、僕の脳幹という場所の一部が異脳核という脳腫瘍に変化していて、その異脳核が僕の体を異常に強化しているということなんだね」


「その通り! 繰り返すけど異脳核は良性の腫瘍でね、この影響で死んだラットはいねーのよ。ま、脳幹の一部を兼ねてるから取り外すと死ぬんだがな。ラットの時と同様に異脳核は安定してるし、脳圧も正常みたいだし…多分平気じゃねーかな」


雷泥らいでい主任が飛鳥に安心を促す。しかし全然安心できない。


(お前たちの杜撰な危険物管理のせいで僕はこんな体になったんだが。僕がまだ子供とはいえ、少しは申し訳ないという態度を見せないのか? お前たちは大人じゃないのか)


飛鳥の心にどす黒い感情が湧き上がる。ここで怒りに任せて喚くのはカッコ良くない、僕はカッコ良くありたいんだ、と自分に言い聞かせた。それに、もっと重要なことがある。


「…話は大体分かったよ。幾つか聞かせてほしいんだけど、いいかな?」


「守秘義務で答えられる範囲で答えますね」雪城が首を縦に振った。


「一つ目なんだけど、さっきからあなた達の後ろにいるスーツの人は誰なのかな?」


「すまない、名乗るのが遅れたね」


前園は軽く会釈した。


「私の名前は前園周二まえぞのしゅうじ。警察官ではあるが、普通の警察官ではない。こういう『人には見せられないもの』による事件を担当している。所属は警視庁警備局公安課だが、国直属の秘密の部署だと思ってくれ」


「俺たちのラボに入った泥棒ちゃんの捜査に来てくれたって訳」


「成る程。では、二つ目の質問だ」


「何かな?」


「僕の異脳はなんなんだい? 恥ずかしながら、何か変わったことがあるようには思えないんだけれど」


「ん? マウスは説明なしで使いこなしてたけど。君は自分では分からないのかい?」


火野が頭を掻いた。プロレスならお約束とかブックがあるんだけどな、と呟く。雪城が眼鏡を押し上げ、口を開いた。


「火野さんの発言に補足します。マウスの場合は『異脳を使えないものがヒエラルキー最下位に送られた』結果、異脳を使えないものが高速で死んでいただけです。それに、個人差こそありますが、身体能力の向上と、四肢や内臓の致命傷にならない範囲での再生能力は全ての異脳者が所持しているものと思われます」


「へー、そうだったの」


「雷泥主任には説明したはずです。異脳は十人十色であり、まだ論理的に体系立った説明はできません。仮説レベルでよければ、説明可能ですがどうしますか?」


「…わかった、それでもいいよ」


飛鳥は平常心、平常心と心の中で唱えながら答えた。ここで、この三人に怒りをぶつけても何も解決しないのだから。


「貴女の異脳は、『異脳を取得する』異脳です。しかしその代償として、貴女の肉体は不可逆的に変異します」


「え?」


「もう一度言いましょう。貴女の異脳は…」


一瞬、脳が理解を拒んだ。しかし雪城は容赦なく続ける。


「『己の肉体の永久的な変異と引き換えに、新しい異脳を持つ』です。これを見てください」


雪城が取り出したのはCTスキャンの画像だった。


「これは貴女の胸のCTスキャン画像です。ご覧の通り、首の付け根に神経節が形成され、心臓が二つに増えていることが分かるでしょう」


「…」


沈黙する飛鳥を肯定と捉えたのか、雪城は更にミュータントラットの画像を取り出した。


「実験中にも貴女のように異脳核を増やせる変異を起こしたラットが存在しました。エサを多く取るため、首が二本に増えているのがわかると思います。ラットは状況に応じて変異を積み重ね、最終的にはこのように七つの頭と…」


その後の説明の内容は、半分も頭に入ってこなかった。飛鳥は胸を押さえた。異なるリズムで加速する二つの鼓動が、飛鳥の心境を雄弁に物語っていた。


「以上が、貴女の異脳の推測になります。説明した通り、あまり使いすぎると人間としての生活が不可能になる可能性が極めて高いので、可能な限り使わないようにしてください」


「…どうも」


「怖がらせちゃったかな? そんなに青い顔しなくても平気だよ。増えた心臓は戻らないけど、困るもんじゃないしね」


火野のフォローは全くフォローになっていない。一々飛鳥の心にヤスリをかける発言に関しては雪城と大して変わらない。


「君は全身を修復する二つ目の異脳のお陰で、異脳者の弱点である脳の破壊にも耐性がある。頭の異脳核が胸の異脳核を再生するから、頭と胸を同時破壊されない限り、まず死なないと思っていい。安心しなよ」


「…そうだね。ありがとう。…じゃあ、最後の質問だ。このウイルスはどれだけ広まっているのか、分かる範囲で教えてくれないか?」


「その質問は私が答えようか」


三博士ではなく前園が口を開く。


「エヴォルウイルスの盗難が発覚したのは三週間前、壊れた容器を発見したのが十七日前だ。…はっきり言って、ウイルスの広まり具合は想像もつかない。当初、我々はエヴォルウイルスの感染拡大は無いだろうと思っていた」


「何故?」


「さっき説明した通り、エヴォルウイルスは生物の体液の内部でしか生存できず、空気に触れると即座に不活性化してしまう。容器が壊れてしまえば、すぐに他の生物に感染しなければ十分と経たずに無力化されるはずだった。それに、ラットの実験で感染者の体液が直接粘膜に触れなければまず感染しないこともわかっていた。だが…」


前園は淀みなく言葉を続ける。


「エヴォルウイルスの盗難に関して、三週間前の事件や事故を洗い直した結果、ある死亡事故が見つかった。それがこれだ。君も心当たりがあるだろう」


「この事故は…もしかして、僕の姉さんが巻き込まれた事故かい?」


「そうだ。被害者の黒タイツの男の身柄は今だ不明だが、大切なのはそこじゃない。この男が、エヴォルウイルスを生存させるだけの体液を提供してしまった可能性が出てきたんだ。我々は一週間前に、君のお姉さんの彼氏…風切大悟を事故の後始末に見せかけて血液検査を行った」


「…結果は?」


「陰性だった。実のところ、それで安心していた所はあったのだが…」


「僕が、感染したって訳か」


「そうだ。実のところ、我々は君のお姉さんを第一感染者として疑っている。…どうして感染したのか、心当たりはあるかい?」


飛鳥は頭を捻る。かなめの性格、癖…。何か、血液を外に出すような…。


「…姉さんには、時々指を噛む癖があるんだ。指先に瘡蓋があるのを見たことがある」


「成る程。傷口から血が入って感染した、か。例えわずかな血液であっても、家中に擦り付けられていれば試行回数は莫大なものとなる。そして、いずれ血液は口の中に入る…。君の場合はそうかもしれないね」


「そうか。でも、その…お、鬼熊老人の変貌はどう説明するんだ? あれは姉とは関係ないと思うんだが」


飛鳥の声が上擦った。鬼熊のことは、あまり思い出したくない記憶だ。他人の頭を躊躇なく割れる人間が居ることを、飛鳥は未だに受け止められていなかった。


「彼は君のお姉さんが巻き込まれた事故の第一発見者だった。その時に血液に触れる機会があったんだろう」


「そういうこと、か…」


「おそらく感染タイミングが異なる君と彼とで発症のタイミングがほぼ同じと考えると、発症タイミングには個人差があると見ていいだろうね。何分実験途中のウイルスだから、暫くは発症者の人間関係を洗うしかないだろう」


「…自然治癒する可能性はあるのかい?」


「今のところ、その可能性は殆どない。エヴォルウイルスは一度感染すると異脳核内部で安定し、血液に乗って死ぬまで全身を巡り続ける。異脳核が一度できてしまえば免疫機能も機能しない」


「…そうか」


「取り敢えず、今日は家に帰るといい。君の家族への検査は別途行わせてもらうよ。学校に行っていない理由も必要だろうし、今回は私が送り届けよう」


彼らの話をまとめると、これから飛鳥は不治の病にかかったミュータントとしての人生を送らなければならず、何人居るかもわからないミュータント仲間が今も街中をうろうろしている、ということだった。


殺人鬼に襲われた恐怖と、無責任な研究者への怒りと不信、どうなるのかわからない不安を胸に、飛鳥は弱々しく頷いた。

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