砂原公平

(ん…)


飛鳥が目を覚ましたのは、白い病室の中だった。軽い頭痛がする。


(何があったんだ…?)


見たことの無い天井に、窓のない壁。着た覚えのない服。確か自分は学校に行く途中で、鬼熊が頭を抱えて歩いているのを見かけて、それから…


(そうだ、頭!)


飛鳥は頭を撫でた。損傷はないように思える。


(夢? いや、そんなはずはない…)


あの時の恐怖。死の実感。胸の激痛。思い出すと今でも全身が震え上がりそうになるものが、想像であるはずがない。飛鳥は自分の体を布団ごと抱きしめた。いまだ成長途中の体は酷く華奢で頼りなかった。


「おっ、元気だな」


「いやー、流石は異脳者だねー」


「始めまして、如月飛鳥きさらぎあすかさん。」


飛鳥の病室の中にやってきたのは、白い白衣を身にまとった三人組だった。驚きで自分を抱き締める手が緩む。


「初めまして。僕の名前はもう知られているようだね」


「ま、国家権力って奴でね。俺たちはさー、この国立ウイルス研究所の研究員なのよ。俺の名前は雷泥主水らいでいもんど、この研究室の主任って訳」


ボサボサ頭の中年の男が挨拶した。後ろにいた筋肉質の男と、眼鏡の女性がそれに続く。


「俺は火野厚志ひのあつし


「私は雪城未来ゆきしろみらいです。早速ですが、貴女の身に起こったことを説明させて頂きたいのですが」


「まーまー、雪城ちゃんそんなに焦んないでよ。あ、喉渇いた? 甘いもん飲むでしょ?」


呆気に取られる飛鳥の前に、雷泥から二リットル入りコーラと紙コップが置かれた。


「どうも」


飛鳥はコーラを飲んだ。気のせいか、目が覚めてからずっと続いていた鈍い頭痛が和らいでいく。


(あまり炭酸は好きではなかったんだけれど、おかしいな。何だかコーラが妙に美味しい…)


「さて、それじゃ話を始めようか。エヴォルウイルスSG-161…まぁ、エヴォルウイルスって言っちゃおうか。君を頭を潰されても死なない超人に変えたウイルスの話を、ね」


飛鳥の脳裏に、何とも言えない不安がよぎった。


★☆★☆★


一方その頃、逃げた鬼熊は裏道に隠れ、周囲を観察していた。公園の水道で体を洗い、町外れの個人商店でどうにか服を買った鬼熊は、目付きの鋭い若者として街中に溶け込んでいた。


(最近の若者のセンスはわからんから上から下まで決めてもらうのはやむを得んかったが、褌一丁の変態ボディビル男が目立たぬわけがない。聞かれたら確実に思い出すに決まってるぞい)


店主のババアは殺すべきか迷った。だが死体も返り血も処分できず、潜伏先もない今、無意味に殺人数を増やすわけにはいかない。一刻も早く新たな隠れ場所を探さなければならない。それに、鬼熊には逃走の他にも気がかりなことがあった。


(儂だけが無敵のチカラを得る、そんなうまい話がある訳がない。必ず同じようにチカラを持ったものがいるはず、おまけに全員が若返るとも限らん。最低限、どんなチカラがありうるのか確認せんと話にならんぞい。それは儂の未来にも関わってくる)


鬼熊は冷徹な目線で周囲を見渡す。


(儂のように突然チカラに目覚めるとしたら、そのチカラを制御できずにしくじる奴か、町中で実験したがる迂闊な奴が必ず居る。…狩人は獲物より静かに深く沈むものぞい)


そうして探す鬼熊の目に、一つの集団が止まった。


(あのガキ…今日の朝に分からせたメスガキと同じ制服、中学生じゃの。その回りの連中は…高校生か?)


どう見ても不釣り合いな集団だった。一番ひ弱そうに見える体格の中学生。その無茶な言い分に黙々と従う二人の高校生男子。鬼熊はしばらくその集団を観察することにした。


★☆★☆★


砂原公平すなはらこうへいは筋金入りのいじめられっ子である。とにかく協調性に欠けていて、相手に無意味な手間をかけさせる天才なのに、無駄にプライドが高いので孤高を気取って更に敵意を煽る男だった。


そんなだからまともな人間は寄ってこない。不良の前ではビビりのパシリ、ゲームセンターで出会ったアニメオタクの下級生にはイキがる無様な毎日。しかし、中学二年生の時、遂に中学一年生にリンチを受けた結果、砂原は学校にいくのを放棄した。


不釣り合いなプライドを支えに、どうにかこうにか保健室登校を続けて中学三年生になった今ですら、成績は悪く高校生のパシリにしかなれない。数日前までの砂原はその程度の人間だった。


(けど、僕は変わった)


どういう訳かは知らないが、砂原が行った命令は絶対のものとして処理される。数日前に変な頭痛が治ってから、砂原にはそんなチカラが宿っていた。


(僕の命令は絶対だ。ようやくこの僕の重みって奴を世の中が認めたって訳だ。このチカラはいわば僕に対する天の賠償金!)


このチカラを使い、まずはいじめていた高校生二人からカツアゲされた二十三万三千五百四十二円を利子付きで取り返すことには成功した。ついでにさっきコーラも奢らせた。


(しかし、秋川のバカも春川のアホも高校生の癖に何一つ融通が効かないから困る)


砂原はコーラを買わせにいった時のことを思い出す。『よし春川! 僕は喉が渇いた、コーラ買ってこい!』という指示を出したら、目の前の自販機を無視して五百メートル先のコンビニまで歩いていった。確かにコンビニの方が安いかもしれないが、砂原は早くコーラが欲しかったのだ。


(僕の命令を受けた人間は強制的に催眠状態になる。そして僕の命令を遂行するか、実行不能になるか、僕が指示をだすまでは絶対に目を覚まさない。だけど、命令の内容を解釈するのは命令を受けた側だ)


ガミガミと小うるさい両親、そして秋山と春川の二人で実験を行い、砂原は自らのチカラの性質をある程度把握しつつあった。


(クソ、少しは考えろよこの無能! どいつもこいつも僕を軽く扱いすぎる! 僕の思ってること位は言わないでも理解しろ!)


砂原は不愉快そうに鼻をならした。最近、甘いものを取らないと頭痛がするのだ。金は幾らあっても足りない。


「さて、次はゲーセン行くぞ。お前ら、付き合え!」


砂原は昨日まで自分をいじめていた不良高校生を連れてゲーセンに向かうことにした。ストレートファイターVが砂原の一番得意なゲームだ。こいつらの奢りで、こいつらをボコってやろう。砂原は数時間後の大勝利を夢想してニヤニヤと笑った。


砂原は気がつかなかった。砂原たちを裏道から見つめる鬼熊の、狩人の笑みに。

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