第2話 草間山 硫花 (くさまやま りゅうか)
ー歩行ー
ー情報収集ー
移動の間にはその日のニュースをある程度把握しておく。
私が信号が変わるのを待っていると、左肩にトントンと軽い衝撃を感じた。顔を向けるとそこには色白の女性の右手が手の甲を下に人差し指をクイクイと小刻みに動かしていた。これは自分に用があるということを示す「声」のようなものだ。なので私たちにとってこの行為は”声”ではなく、”手”をかけるということになるだろう。
見るとその手は親指を中指以降の指で包んでいる。これは私はあなたの知り合いですということを示しており、そうでない場合には親指は外側に向ける。手をかけてきた相手が道案内を求めているのならこんな指の形にはならないだろう。しかも肩に手を置いたまま、私が振り向くのを待っている。私の肩はテーブルではないのだが。
こんな態度をとるのは私の知る限りあの人しかいない。
「おい、いい加減その手をどかしてくれないか?」
私は普段なら決して上げないようないかつい声を意識してあげた。
「ワハッ!やっぱりあなたっていつも違った声をあげてくれるから面白いですね」
そこにはきっちりとしたスーツに身を包んだ真面目そうな女性が、ニヤニヤと笑いながら体を小刻みに上下に揺らしていた。その見た目の雰囲気と笑いのツボが浅い子供のような笑い方とのギャップが強烈な違和感を与えている。
「
私は目の前でまだヒーヒーと文字(声)を上げている彼女の生活習慣を少し揶揄してみたが、彼女は気にも留めない様子で「昨日はよく眠れたからな」と明るく返した。
この
そしてその本体もまた謎に包まれている。これだけの視線の中で笑い続けていられるのも彼女の研究とが大きく絡んでいる。そういう意味では私も彼女のことは何一つ知らないということになるだろう。
私たちの生きるこの社会は言葉によって構成されており、人の行動も気分も、その見た目でさえ言葉一つでいじり放題なのだ。そこが彼女の研究テーマであり、得体の知れないところなのだ。見た目は自分の見せたい容姿を言葉として発信し、それを受けて視覚情報に若干の修正が加わりその見た目に反映される。つまり、カメラで撮った写真に加工を行うフィルターのようなものを相手に伝えることができるのである。しかし、それは見た目だけの話であり、自身の声や行動まで修正することはできない。いくら可愛いらしい見た目に修正しても大声で笑うようなことをすれば、相手に送ったフィルターの効果も薄れてしまう。
なので本来ならこんな所で大声で笑う彼女は大衆の視線を浴びてもおかしくない状況にいるはずなのだが、周りで彼女の奇行に気づいているのは私くらいだろう。
私も聞いた話で理解まではしていないのだが、どうやら彼女は通常よりも強くフィルターをかける技術を開発したことで、例え街中で全裸になろうとも彼女の異変に気付くものはいないと豪語していた。加えて自身の見た目をほぼ別人にまで見させることも可能になったという。そのため、街中で私に声をかける女性がいたとすればそれは十中八九、見た目を変えた草間山硫花なのだ。彼女は職場では研究者としての姿をとるがこのような性格からして、それが本来の姿なのかは怪しいところだ。今私が見ている彼女も、これまで見てきた彼女も、どれも本当の草間山硫花とは言えないのだろう。
私は彼女のペースに飲まれないための秘策を繰り出す。
「今日は真面目なOLですか?いや、まるで就活中の学生みたいですね」
彼女には見た目が幼いとなじると急に余裕を失うという特徴がある。私の言葉を聞いた瞬間、彼女の体は大きく揺れる。そして、「おい!失礼だぞ。私を誰だと思っている!」と
彼女の機嫌が直りかけ始めたところで丁度信号が変わった。私は彼女をエスコートするように先へと進めさせる。こうした行為も機嫌を直させるには効果的なのだ。「な、なんだ?急にいい所を見せようとするじゃないか・・・」と少し恥ずかしそうな顔を見せるので悪い気はしないようだ。
私はもうこれ以上彼女のご機嫌取りは面倒だと彼女の要件を尋ねる。
「それで、草間山さんともあろう方がどうされたんですか?まさか朝から私のことをいじりに来たわけではないでしょう」
「そうだそうだ。どれ、本題といこうか」
彼女はその全身から鋭く尖った研究者としての本性を漂わせた。先ほどまで駄々をこねる子どものような姿からはとても想像ができない大人の女性としての余裕と怪しさを戻していた。
「
それは仕事の開始を宣言する内容だった。しかし、そんなことをわざわざ硫花が足を運んでまで伝えに来たことに違和感を覚えた。
「それだけですか?クライエントのことならあちらについてからでも構わないのではないですか?」
彼女は一度地面に視線を向けて間を置くと「今回のクライエントは特殊でな。私も参加することになった」と小さく答えた。
硫花も参加する?
彼女ほどの研究者が参加するということに、私はその患者の背後に不穏な影が見えた気がした。一体どんな患者なのだろうか。
「その患者は何か特別な状態なのですか?」
「そうだな、言ってしまえば・・・」
彼女の言葉は子どものような性格の硫花独特の冗談だったのかもしれない。そう思いたかった。
「いわゆる感情ってものがないんだ」
「はい?」
「私たちは人の感情を、人の心を再構築しようとしているんだ」
私の目の前に別の道が開いた。
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