第34話

 ハイオークの手にザボルの頭が握られている。


 死んだ。まるで道端の小石を蹴飛ばすくらいに、あっさりと死んだ。


 するとハイオークが、手に持ったそれを口に放り込んだ。

 パクリと一口で。

 ゴリ、ゴリ、と嫌な音が聞こえてくる。吐き気がする。

 人間の頭部を、おやつを食べるみたいに。


 格が違う。戦おうとすら思えない。


 餌だ。餌として、ただの獲物として、一方的になぶられて食われる。

 次に食われるのは誰だ。自分なのか。他の誰かなのか。


 考えるだけで怖い。今すぐ逃げ出したい。


「みなさん! 逃げてください!」


 代理の先生が叫ぶ。

 杖を持ってハイオークに対峙してる。


 あんなのを相手に戦おうとする勇気。

 あの人は僕と同じ人間なのか。怖くないのか。


「加勢するか?」


 ウィンが聞いてくる。


 無理だ。

 僕たちじゃ戦力にならない。食われるぞ。


 そもそも先生がハイオークに勝てる保証なんて無い。

 先生がやられたら僕たちも。


「加勢なんて──」


 僕が言い切る前に、代理の先生が杖を構える。

 杖の先端が水色に輝く。

 氷魔法だ。


 杖の先から氷の結晶が生えていく。

 先生の周囲に白い冷気が渦巻いて、キラキラと銀色に輝いている。

 巨大な氷が瞬時にハイオークへ伸びる。まるで植物のように。


 ハイオークに氷が触れた。

 そう思った瞬間には、ハイオークの全身がカチカチに凍っていた。

 暑い氷がハイオークの体をしっかりと固めている。


「ほら、チャンスだぜ?」


 今にも飛び出しそうな様相。

 ウィンは行きたいんだろう。あの戦いに加わりたいんだろう。


 ハイオークの周囲は凍結している。氷が太陽の光を反射して光っている。

 氷の中のハイオークは、何が起きたのか分からないといった様子で目をキョロキョロさせている。


 もしかしたら、学校の先生でも勝てるかもしれない。


 なんて一瞬でも思った僕が馬鹿だった。


 ハイオークを囲んでいた氷に亀裂が走る。

 ガラスが割れるような音が響き渡る。


「え?」


 思わず声が出る。


 割れた氷の中から、目にも留まらぬ速さで水色の何かが飛び出てくる。


 それが一直線に先生の方へ向かう。

 先生の姿がかき消えて、直後、訓練場の壁にクレーターができた。


「は? 何が起きた」


 ウィンが唖然とした表情で言う。


 代理の先生が訓練場の壁にめり込んでる。白目をむいて気絶してる。

 先生の腹のあたりから、大きな氷の塊が落ちて地面にぶつかって割れる。


 ハイオークが氷を投げたんだ。恐ろしい勢いで投げられた氷が、先生を壁まで押し飛ばして、めり込ませた。

 氷を投げただけ。たったそれだけなのに。


 ハイオークが、雄叫びを上げる。


「グウアアアアアアアアアア!」


 空気が揺れている。

 ビリビリと振動している。


 ハイオークが床を殴りつける。


 ドカン、と爆発みたいな音。

 ハイオークを中心に、同心円状の巨大な罅が床全体に広がる。


 だめだ。

 あれには勝てない。あんなバケモノには。

 次元が違うんだ。


 周辺から一斉に悲鳴が上がる。

 みんな慌てて逃げ始めている。

 訓練場の出口に人が群がった。


 慌てている。焦っている。


「ウィン、逃げよう」


 ウィンが鞘がついたままの刀を手に持っている。

 臨戦態勢に入っている。

 まっすぐに、訓練場の中央を見つめている。


 あの時と同じだ。

 組手で戦う直前、集中している時と同じ目。


 僕も訓練場の中央を見る。


 アリアが立っていた。杖を構えていた。

 目を見開いて、まっすぐにハイオークを見ていた。

 その足は震えている。


 『モンスターを見ると怖くて力が抜けてしまう』とアリアは言っていた。まさにそれだ。

 それなのに目を開いて、ハイオークを見ている。

 足を震わせながら魔法を使おうとしている。


「ソウタ。ちょっと頼みがある」


 ハイオークを凝視しながら、ウィンが呟いた。


「先に逃げて、ルドリク先生を呼んできてくれ」


「え? ウィンは?」


「頼んだぜ」


 返答はなかった。


 ウィンの姿が消えた。


 気づけば逃げ惑う人たちの頭上にウィンの姿があった。

 訓練場に飛び出ていったウィンが、一直線にハイオークへと駆けていく。


 アリアの魔法の時間を稼ぐつもりなのか?

 でも無理だ。ウィンじゃ勝てない。


 ウィンがハイオークに迫っていく。

 ハイオークの目がウィンを捉えた。

 認識している。素早いウィンを、しっかりと捉えている。

 その上で、ハイオークはただ突っ立ってウィンを見ている。

 強者の余裕か。


 ハイオークの背後に回り込んだウィンが、鞘がついたままの刀を両手で振り下ろした。


 ガン! と金属を叩いたかのような音が聞こえる。

 ウィンの刀が弾かれた。


「なにっ」


 ウィンがびっくりして目を見開く。


 その時、ぎょろりとハイオークの目が動いた。

 ハイオークの腕がぶれる。


 ウィンの姿が消えた。


 直後、訓練場の壁の一部が爆破されたように砕ける。


 崩れた壁の中に人影が見えた。

 まるで矢が突き刺さったかのように、ウィンが壁にめり込んでる。


「え……」


 ウィンがやられた。

 ハイオークの攻撃でやられた。

 たった一撃、無造作に腕を振るわれて、それだけで。


 死んだ?

 そんなわけない。

 ウィンは絶対生きてる。

 あいつが死ぬわけない。


「ウィン!」


 名前を呼ぶ。

 ウィンがピクリと動く。

 閉じていたまぶたをゆっくりと開いて、口からぺっと血を吐き出した。


 笑っている。ニヤリと笑みを浮かべている。

 なぜ?


 ウィンの視線の先で、アリアが巨大な杖を両手で持って、胸の前に構えていた。

 杖から煙のような赤い波が溢れている。あれは魔力か。目に見えるほど濃度が高くなっている。


 アリアがハイオークに杖を向ける。


 ハイオークの足元に巨大な魔法陣が出現した。


 突然、ハイオークが焦ったように走り出す。


 けれどハイオークが逃げ切るよりも先にそれが発動した。


「クリムゾンフレア」


 アリアのはっきりとした声が響き渡る。


 目を疑うほどに強烈な、地獄のような火柱が、ハイオークの全身を飲み込んだ。

 

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