第33話

「しかし……第二訓練場ですか? モンスターが脱走したのは」


 ルドリク先生のその言葉に、僕とウィンは思わず顔を見合わせた。


 モンスターの脱走?

 なんだか物騒な話だ。


「私以外にも教員はいるでしょう。対応できないのですか」


「厳しい状況です。帝国魔法師団のスカウトの方にも協力を要請していますが……」


 後ろの席を確認する。

 さっきまでいたはずのスカウトの人がいない。


 スカウトの人が協力してるっていうのも本当みたいだ。


「生徒は?」


「無事です。脱走が発生している場所はモンスターの収容室なので、訓練場にいる生徒に被害は出ないでしょう」


「そうですか」


「ただレッサーオークを殺さずに収容し直すとなると、中々……」


「それは難しいでしょう」


「一時的な代理として、ここの試験官は私が務めます。どうしますか?」


 ルドリク先生が悩んでいる。

 そして渋々といった様子で決断を下した。


「分かりました。問題が片付き次第戻ってくるので、くれぐれも生徒に怪我が無いようにだけお願いします」


 そう言うや否や、ルドリク先生が体に白い光を纏う。

 身体強化だ。

 そのままものすごい速度で訓練場を出ていった。


「別の訓練場で何かあったらしいな」


 ウィンのつぶやきが耳に入る。


「モンスターの脱走って言ってたね。大丈夫なのかな」


 脱走したレッサーオークを再度捕まえるのは、相当難しいみたいだ。

 そこでルドリク先生が頼られるってことは、ルドリク先生はそれほど強いってことなのか。

 分からない。けど、僕が想像できないくらいの何かを持っていることは間違いないだろう。


 不安になってくる。

 妙に胸騒ぎがする。


「ま、気にしても仕方ねえからよ。今は試合に集中しようぜ」


 そうだ。アリアの試合なんだ。

 周りのことに気を取られてないで、ちゃんと見ないといけない。


 訓練場中央。アリアが杖の確認を受けている。

 確認してるのは代理の先生だ。

 一通り確認が終わると、代理の先生がアリアから離れる。


 アリアは杖を持って、目を瞑って集中している。


「はじめ」


 開始の声と共に壁の鉄格子が開いた。

 レッサーオークが出てくる。

 相変わらずでかい体だ。


 アリアを目にしたレッサーオークが、歪んだ笑みを浮かべて──いない。


「あれ?」


 表情が無い。

 無だ。無表情。

 さっきと雰囲気が違う。


「あのレッサーオーク、目が死んでるぜ」


 ウィンが眉根を寄せて言った。


 出てきたレッサーオークの目には光が無い。

 腕がだらんと下がってる。そして覇気が感じられない。

 まるで意志が無いみたいだ。


 なんだろう。

 この光景、前にもどこかで見たような気がする。


「動いたぞ」


 レッサーオークがアリアに向かっていく。

 動き方がぎこちない。殺意とか、圧力とか、そういうのも全然無い。

 明らかに様子がおかしい。


 アリアは開始からずっと目を瞑っている。

 この状況を理解しているんだろうか。


 レッサーオークがアリアに飛びかかった。


 同時にアリアが杖を掲げる。

 アリアの目の前に炎の玉が出た。

 人の倍の大きさはありそうだ。


「燃えなさい」


 声と共に、炎の玉が消えた。


 違う。発射されてる。


 そう思ったのと同時に、ドン、と音が伝わってきた。

 質量を持っているかのような重い爆発音だ。


 レッサーオークの巨体が吹き飛んでる。

 なんて威力だ……。


 訓練場の床が焦げて黒くなっている。

 そこから離れた場所に、レッサーオークが倒れている。

 完全に停止していて、起き上がる気配が無い。


 一撃だ。


 観客席にどよめきが起こる。

 代理の先生が動揺した様子で終了を告げる。


「こ、ここまで」


 大歓声が湧き上がった。

 みんな立ち上がっている。拍手喝采だ。


 気づけば僕も、立ち上がって拍手をしていた。

 これは興奮する。

 血が沸き立つようだ。


 お手本のような完璧な魔法だった。

 一撃だ。力とか体格とか、そういう差をすべて吹き飛ばした。これこそみんなが憧れる魔法だ。


「すげえじゃねえか、お前の彼女」


 ウィンが笑顔で言ってきた。


「当たり前じゃないか」


 誇らしい。

 そう思うのと同時に、僕もアリアみたいな強い魔法使いになりたいと思った。


 訓練場の中央で、アリアが笑顔で手を振っている。みんなからの拍手に答えるように。


「このくそ女があああああああああ!」


 誰かが叫んでる。

 一瞬で会場が静まった。


 誰だ。


 声のした方に一斉に視線が集まる。

 ザボルだ。


 鬼のような形相で、観客席から身を乗り出して叫んでいる。


「よくも俺様のレッサーオークをっ……どれほど苦労したと思っているんだ!」


 俺様のレッサーオーク?


「起きろ! レッサーオーク!」


 ザボルが身体強化を使って、観客席から飛び降りる。

 そのままレッサーオークのもとへと近づいていく。

 そしてレッサーオークに向けて手のひらを広げる。


 ザボルの手が緑色の光を放っている。

 その光がレッサーオークへ注がれている。


 魔力だ。

 しかも緑色。あの時と同じ。ゴブリンに使役魔法を使っていた時と同じ色だ。


「俺様に従え!」


 無駄だ。

 アリアの魔法で、一撃で倒されたんだ。

 十中八九死んでるだろうし、そうじゃなかったとして、何かできるほど体力は残っていないだろう。


 アリアもそれを分かっているのか、呆れた表情でザボルを見ている。


「君、どんな事情があるのか分かりませんが」


 代理の先生だ。


「今は試験中です。速やかに観客席に戻って──」


 ピクリ、と。

 もう動けないはずのレッサーオークの指が動く。


「そうだ! いいぞ!」


 レッサーオークが立ち上がった。


 変だ。

 胸のあたりを抑えてもがいている。


 ザボルが出している魔力もおかしい。

 緑色だったのが、黒く変色している。


 なんだあれは。

 黒い。真っ黒の魔力。邪悪って感じをそのままにしたような。


 嫌な予感がする。


 黒い魔力がレッサーオークの体にまとわりつく。

 レッサーオークの体が膨らむ。

 大きくなっている。少しずつ成長している。


「何だよ、あれ」


 ウィンがそう言う。


 僕は知っている。

 教科書に書いてあった。


 魔法の使い方も、具体的な効果も書いてない。

 ただ、絶対使ってはいけない魔法だと書いてあった。


「変異魔法だ」


「なんだ? その魔法」


「魔力を生物にまとわせて、変質させたり強化したりする魔法」


「んな魔法あんのかよ」


「うん。でも、使っちゃだめな魔法って言われてる」


「なんでだ?」


「……失敗したら、取り返しのつかないことになるから」


 ウィンと話しているうちにも、レッサーオークはどんどんと巨大化している。

 背丈は最初の二倍以上はあるだろう。観客席に座っている僕より目線が高い。


 もはやレッサーオークの大きさじゃない。


 ごつごつとした赤い肌。

 バキバキに盛り上がった筋肉。

 足一本で大人二人並んだくらいの太さはあるだろう。


 ウィンがごくりとつばを飲み込む。


「ソウタ、あのモンスターの名前知ってるか?」


 知っている。


 オークはレッサーオークの進化系だ。

 けど、そのオークには更に進化系が存在する。


「ハイオークだと思う」


 ウィンが真剣な表情で聞いてくる。


「……それって、勝てんのか?」


「無理。僕たちでは、絶対に」


 あれは正真正銘のバケモノだ。

 物理だけでなく魔法にも耐性のある硬い皮膚を持っている。

 加えて恐ろしいまでのパワー。一度腕を振るうだけで、レッサーオークを何体も殺すという。


 教科書に載っているモンスターの中でも屈指の強さを誇る。

 たった一体のハイオークが、一つの街を壊滅させたという話もあるほどだ。


 ここにいる生徒が束になってかかっても、どうにもならない相手。


「は、はは! 最高じゃないか! これが俺様の力!」


 ザボルが満面の笑みでハイオークに命令した。


「さあ! 今こそ俺様に従え! あの忌々しい女をぶち殺すのだ!」


 ハイオークがザボルを見下ろす。ニヤリ、と凶悪な笑みを浮かべる。


 ブオン、と大きな何かが振るわれた。

 ハイオークの腕がぶれる。


 満面の笑みのザボルの頭部が、瞬時に消失する。


 消えた。ザボルの頭が消えた。


 ハイオークが笑う。

 その手に、同じく笑みを浮かべたまま死んだザボルの頭が握られていた。

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