第31話

 アインザームを憑依したら、どれだけの力が出せるんだろう。

 レッサーオークなんて簡単に倒せるようになるんじゃないか。


 いやいや、もちろん憑依は使わない。使わないよ。

 ……でも無理なんだ。全く思い浮かばない。杖の力を引き出さずに勝つ方法が。


「劣等種が出てきたぞ」


 観客席から声が飛んでくる。


「千年に一度の劣等種だ」

「早めに降参したほうがいいんじゃないか」

「怖くて降参もできないんだろ」


 誰が降参するか!


 アリアも、ウィンも、ルドリク先生も僕を見ている。

 こんな状況で降参なんてしないし、むしろできない。


「はじめ」


 ルドリク先生がそう言った。


 同時に、ガガガ、と重い金属音。正面の壁の鉄格子が引き上げられていく。

 その中から大きな影がぬっと現れた。

 レッサーオークの登場だ。


 でかい。

 観客席で見てた時はそうでもなかったのに。まるで岩山だ。


 口から牙がむき出しになってる。

 食べられたら痛い……どころじゃ済まないだろうな。


 ウィンはこんなのと戦ってたのか。


 グウウウ、と。レッサーオークの低い唸り声が聞こえる。

 口からよだれが滴っている。

 笑ってる。僕を見て笑ってる。


「くそ!」


 震える手を抑える。


 戦うんだ!


 杖を構えろ。相手を見ろ。僕にだって戦えるはずだ。


 レッサーオークが一歩、踏み出してきた。

 ドン。

 大砲でも撃ってるような足音だ。

 地面が揺れてるような錯覚さえ覚える。


 そのまま走り出してくる。加速してる。

 速い。思ってたよりずっと。


 見てから避けれるか?

 無理だ。


 横に飛ぶ。

 背後から、ブオン、と風を切る音がした。

 直後にバゴン、と岩が砕けるような音も。


 逃げながらチラリと後ろを見る。


 爆弾でも使ったみたいな穴ができてる。訓練場の床のタイルが粉々になってる。

 あんなの、一発でも当たったら終わりだ。


 ギロリ、と大きな目がこっちを見てきてる。

 背筋が凍った。

 ただ見られてるだけなのに、目に見えない恐ろしい圧力──殺意を感じる。


 急いでその場から離れる。

 その直後だ。

 人の頭くらいの大きさの拳がすぐ横を通過した。

 ボゴン、と破壊音が聞こえて地面がえぐり取られた。


 逃げる。ひたすら逃げる。


 一瞬だけ後ろを見る。ズンズン迫ってきてる。

 足を止めたら、それが僕の最後になるだろう。


 どうすればいい。


 攻撃しないといけない。

 攻撃をしなければ勝率はゼロだ。永遠に。


 それは分かってる。でも無理だ。

 相手の攻撃を避けたらすぐに追撃が来る。反撃する時間が無い。


 避けるだけで精一杯。攻撃に思考を割くことすらできない。


 そもそも僕の攻撃が通用するのか? レッサーオークの硬い皮膚に。

 そうだ。通用するわけがない。


 それだけじゃない。


 僕の体力は勢いよく消費されている。

 対してレッサーオークは勢いが止まらない。

 そりゃそうだ。生物としての基本的なスペックが違うんだから。


 不利も不利。

 超不利だ。

 むしろ今まで逃げ延びてるのが奇跡だ。


 どうする?

 僕はどうすればいい。


「……あれ?」


 レッサーオークの足音が聞こえない。

 僕を追ってきてるはずなんだけど。


 足を止めて後ろを振り返る。


 レッサーオークが追ってきてない。

 離れたところで僕を見てきてる。


 レッサーオークが笑ってる。

 どういうことだ。


 何かの戦略か? でもありえない。

 戦略を考えられるほど頭のいいモンスターじゃないはずだ。レッサーオークは。


 じゃあどうして攻撃してこないんだ。


 レッサーオークは一向に笑うのをやめない。


「…………」


 分かった。要するに、舐められてるのか。僕は。

 ただ単に、笑われてるのか。


 ふと気づいて観客席の方を見る。

 みんな笑ってる。一体何が楽しくて笑ってるのか。


 決まってる。僕の戦いを見て、弱すぎる僕の戦いを見て、それで笑ってるんだろう。


 音にすると、ニタニタって感じだ。


「はは……」


 思わず苦笑いが出た。


 こういう時って、人間もモンスターも同じ笑い方するんだな。

 新たな発見ができた。


「くそ」


 もういい。勝ち負けはこの際どうでもいい。

 一撃、レッサーオークに食らわせてやる。


「よし」


 呼吸は完全に整った。

 もう焦りはない。

 今までにないくらい思考はクリアだ。


 相手は油断してる。

 僕に攻撃されるなんてこれっぽっちも考えてないはず。


 レッサーオークが笑うのをやめて突進してくる。

 今度は焦らずにちゃんと見る。


 相変わらず速い。このままだと回避できずにやられるだろう。


 懐から杖を取り出して右手に持つ。

 そしてレッサーオークの顔めがけて投げる。


 たかが杖一本。

 それでも、予想外の攻撃だと誰もが驚く。

 そして過剰に防御する。


 レッサーオークが驚いた様子で停止した。

 しかも、両腕を使って顔をかばっている。 

 狙い通りだ。


 レッサーオークの足元まで走る。

 相変わらずの太さ。巨木みたいだ。

 これを普通に攻撃しても無駄だろう。ウィンのような攻撃力は僕にはない。


 けど弱い部分は必ずある。

 例えば、そう。左足の一番端っこ。人間で言うところの小指とか。


「おらっ!」 


 ジャンプして、両足で思い切り踏みつけてやった。


 直後、すぐ真上から爆音が放たれた。


「グアアアアアアアアアア!」


 耳がしびれる。


「え?」


 体が空中に放り出されていた。

 景色がグルンと回転して、背中から地面に落ちた。


 背中がとてつもなく痛い。

 何が起きた?


 顔だけ上げて周りを見る。

 少し離れた場所で、レッサーオークが腕を振り回して激しく暴れている。

 痛みで周りが見えていないようだ。


 あの腕にやられたのか。

 というか、それだけでこんなに吹っ飛んだのか。


 ズキリと背中に痛みが走る。

 立ち上がれない。


「グウウウ」


 唸り声が聞こえる。

 レッサーオークが僕を見てきてる。それも鬼のような形相で。


「ガアアアアア!」


 巨体が迫ってくる。


 ただひたすら怖い。逃げたい。

 死にたくない。


 目の前までレッサーオークが来た。

 ギチギチと音が聞こえそうなくらい拳を握りしめて、突き出してくる。 

 終わった。


 反射的に目を閉じた。ドン! と強烈な音がした。

 ゆっくり目を開く。


 ルドリク先生の背中が見える。


 いつ現れたんだ。

 というか、どうなってるんだ。

 レッサーオークの拳がルドリク先生の手のひらで停止している。


「ここまで」


 レッサーオークの上半身が吹き飛んだ。

 何の前触れもなかった。

 いつ攻撃したのかも分からない。

 何が起きたのか、理解が追いつかない。


 ……次元が違う。


「試験終了です。休憩室で治療を受けた後、速やかに観客席へ戻ること」


 普段と何も変わらない淡々とした説明が、僕を現実に引き戻した。


  

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る