第18話

「君の杖には、恐ろしいほどに強大な霊体が宿っています」


 嘘、ただの杖じゃなかったのか。


「霊体」


「知っていますよね?」


「はい。えっと、魔力を持った精神体、だった気がします」


「正解です」


 教科書に書いてある内容を思い出す。


 霊体は魔力を持った精神体の総称だ。実体を持たず、触れることはできない。

 普段は空中にふわふわ浮いていたりする無害な存在で、時々、力の強い霊体が道具や生物に宿ったりもする。


「基本的に、霊体は現実世界に干渉できません。なぜだか分かりますか?」


「実体を持たない、いわば魔力の雲のような存在だから。」


「その通りです。よく勉強していますね」


 ちょっと照れる。


「しかしこの霊体は……」


 ルドリク先生が杖に険しい表情を向ける。


「私の流した魔力とぶつかり合って電撃を散らすなど、数百年生きた大精霊でもできるか分かりません」


 ルドリク先生が杖を手に取ると、周りに渦巻いていた黒い霧が杖の中に引っ込んでいった。


「普通の精霊をゴブリンに例えるならば、この霊体はゴブリンを千匹集めても足りないでしょう」


「そんなにですか」


「これほどの存在に出会うのは私も初めてです」


 恐る恐る聞いてみる。


「霊体が宿ってたら……杖は使えるんですか?」


「恐らく使えないでしょう。使おうとしても抵抗されてしまいます」


「そんな」


「しかし、一つだけ力を引き出す方法があります」


 ズズ、とルドリク先生がお茶を飲んでから口を開く。


「憑依です」


「憑依……」


 これも教科書の隅っこの方に書いてあった。


 精霊やゴーストを、人の身に宿すことだ。神降ろしとか、精霊契約とか、呼び方は地域によって変わる。

 有名な呼び方は憑依、もしくは降臨だ。


「でも憑依って、普通の人はできないんじゃ」


「そうですね。普通はできません。使用者の魔力に霊体がなじめず、弾いてしまいますからね」


 霊体は魔力の塊だ。そして人間も魔力を持っている。

 霊体と人間、両者の相性が良くないと、霊体を身に宿すことはできない。


 稀に。稀にだ。精霊と人間の波長が合って、憑依ができることもある。

 けれどそれは本当に稀なケースだ。百万人に一人もいない。


 そういう才能を持った人は『神子様みこさま』とか『精霊の愛子いとしご』と呼ばれて崇められている。


 精霊を宿して力を引き出せる人は、国家級の魔法使いとして認められる。つまり、めちゃくちゃ強い。

 逆に言えば、国家に認められるくらい希少ってことだ。


「僕にそんな才能があるとは思えないですけど……」


「そうですね。魔力の波長を合わせる方法は現実的ではないでしょう。ただ、ソウタ君」


「なんですか?」


「君は魔力を持っていない」


 そうだ。僕は魔力を持っていない。

 魔力の波長を合わせないといけないから憑依は難しいのであって、魔力がもともと無いなら……?


「魔力を持ってないから、波長をあわせなくていいってことですか?」


「ええ」


 そ、それはつまり!


「霊体を憑依したら魔法も使えるようになるんですか!」


「落ち着いてください。焦りは禁物ですよ」


「あ……すいません」


 ルドリク先生が真剣な眼差しを向けてくる。


「これほど強力な霊体を憑依すれば、魔法を使えるようになる可能性は高いです」


「ホントですか!」


「ですが危険も伴います。人がゴーストに取り憑かれるという事件が過去に起きています。同じことがソウタ君の身に起きないとは限りません」


 ゴーストに取り憑かれる事件。取り憑かれた男の人がおかしくなって、失踪した事件だ。

 取り憑かれた人は、徐々に人格がおかしくなっていった。最初は、忘れ物が多くなったり、日課を忘れたり、怒りっぽくなったり。

 食事の回数が減ってきて、虚ろな目をするようになって、違和感に気づいた家族が声をかけた途端、その人は家を飛び出した。

 そして二度と家に帰ってこなかったという。


「魔力を持たない君は憑依を行うことに向いています。けれどそれは、攻撃されても守るものが無いということでもあるのです」


 魔力を持つ人は常に守りを固めている。魔力で障壁を作って身を守ったり。精神攻撃に抵抗したり。

 対して魔力を持たない僕は、盾を持たず鎧も着ず、身一つだけで戦争に行く歩兵のようなものだ。


「私がサポートしても、完全にリスクを取り払うことはできません。少なからず危険が伴うでしょう」


 ルドリク先生がテーブルの上に杖を置いた。コトン、と小気味よい音が響く。


「それでもやりますか?」


 危険が伴う。何かを失う可能性だってある。けど躊躇している暇はない。


 強くなりたい。

 昔はもういない家族に、そして今は僕を助けてくれたアリアに、一番強い魔法使いになって、守りたいものを守れるようになると誓った。


「やります」


「いいでしょう。善は急げです。今すぐやりましょう」


「今ですか!?」


「ちょうど時間もありますし、どうせいつかはやることになります」


「それは……確かにそうかもしれません」


「では、杖を持って立ちなさい」


 言われた通りに杖を手にとって立ち上がる。


「憑依は危険を伴いますからね。準備は念入りに行いますよ」


 ルドリク先生が周辺を片付け始めた。テーブルの上の茶菓子がどけられて、テーブルが部屋の端っこへ移動させられる。


 するとルドリク先生は部屋の入口付近──ごちゃごちゃに散らかっているところへ歩いていって、乱雑に置かれた木箱の中から一つを取って持ってくる。木箱を床に置いて、中から魔道具らしきものを取り出した。


「それ、何ですか?」


 ルドリク先生の手に青い宝石が握られている。綺麗な宝玉だ。


「防音の魔道具です」


 ルドリク先生がそう言いつつ、魔道具を使った。部屋の中に青い光が広がって、キラキラと波打った。


「部屋から音が漏れなくなりました」


 確かに、足音が響かなくなったような気がする。便利な魔道具だけど、いいのかな、そんなに簡単に使っちゃって。

 簡易魔法を発動させる魔道具って、一個金貨三枚とかした気がする。


 魔道具が箱に戻される。そしてまた魔道具が取り出される。今度は赤い宝石だ。


「魔力障壁の魔道具です」


 赤い光が広がる。魔道具が箱に戻される。


「防火の魔道具です」

「低位結界の魔道具です」

「退魔の魔道具です」

「浄化の魔道具です」


 どんだけ使うんだ。


「これでいいでしょう」


 魔道具が十個目を越えたあたり。ようやくルドリク先生が準備を終えた。


「す、すごい念入りですね……」


 この一瞬でものすごい数の金貨が飛んでいった。


「これで命が助かるのなら安いものです」


 ルドリク先生が真剣な表情で言ってくる。


「さて、始めましょうか」


 僕は杖をぎゅっと握り直した。

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