第9話

 突然現れたアリアが魔法でゴブリンを倒した。あっという間だ。


 この世界に本物の救世主がいたとしたら、多分それはアリアのことだ。そう思うくらいのヒーローぶりを見せつけられている。


 ザボルが唖然あぜんとゴブリンの死体を見ている。


「何、が」


 すっとその視線がアリアへと移される。

 ザボルがまなじりを決してアリアを睨みつけた。


「おいおいおい貴様! 何をしている!」


「ゴブリンが怖かったから倒したのだけれど」


 殺意を込めたザボルの怒声も、アリアはどこ吹く風といった様子。

 アリアが小悪魔な笑みで言った。


「お邪魔だったかしら?」


「邪魔に決まっているだろう! 勝手に入ってきて俺様のゴブリンを」


「あなたの、ゴブリン?」


 アリアの目がすっと目が細められる。


「使役魔法は禁止されているはずだけれど、まさかガンリック家の長男とあろう方がそのような魔法を……ねえ?」


 わざとらしい。弄ぶという言葉が一番似合いそうな言い草だ。


「ち、違う! 俺様が倒そうとしていたのだ!」


「ソウタがゴブリンに襲われそうになっていたけれど?」


「それがどうした」


「ゴブリンを倒そうとしているのに、黙って見ているのはおかしいわよね」


 ネズミを追い詰める猫のよう。


「怖くて近づけなかったのかしら」


「俺様がそんなこと!」


「ならどうしてソウタは怪我をしているのかしら」


「平民が怪我をしようと関係ないだろう! ……むしろ」


 怒っていたザボルが、なぜか誇らしげに胸を張っている。


「むしろだな、お前は俺様に感謝すべきだ」


「感謝? なぜかしら」


「落ちこぼれに付きまとわれて困っていたんだろう? だからこの俺様が殺してやろうというのだ」


 アリアの表情が消えた。


 人は本気で怒ると表情が消えるという話を、どこかで聞いたことがある。完全に許す気がなくなって、表情で訴える必要が無くなるからだという。


「俺様は魔法を使える。その落ちこぼれとは違うのだ!」


「…………」


「俺様の元へ来い。お前がどうしてもというなら、婚約してやらなくもないぞ?」


 視線だけで人を殺せるならアリアはすでに殺している。


「どうした? 俺様が婚約を許可すると言っているのだ。受け入れるなら早くしろ。それとも嬉しさに言葉も出なくなったか?」


「黙りなさいこのクズが」


 その瞬間、アリアの体から真っ赤な魔力が大量に吹き出して、この世の終わりみたいに、狭い路地裏で行き場をなくして渦を巻いている。


 アリアが手のひらをザボルに向けている。その手から火花が漏れ出ている。


「殺してしまいそうだわ」


 アリアの周囲で高濃度の魔力がぶつかって、バチバチと火花を生み出している。


「そ、その平民の何が良いのだ! 落ちこぼれだぞ! 貴族のほとんどに忌み嫌われているのだぞ!」


「遺言は済んだかしら?」


「ひっ」


 ザボルが青い顔で後ずさる。


「消えて」


 アリアの手のひらに、小さい太陽みたいな真っ白な炎の球体が浮かんでいる。

 ザボルが逃げ腰になった。


「お、覚えていろ! このままただで済むと思うなよ!」


 捨て台詞を吐いて走り去っていく。ゴブリンは残したままで。


 しばらくの間、ずっと周囲でバチバチ火花が散っていたけれど、ようやく怒りを沈めたアリアが魔力を収めた途端、白い火球とともに火花は消えた。


「大丈夫? 怪我は無いかしら?」


 アリアが近づいてきた。僕の体を見て顔をしかめている。


「怪我してるじゃない」


 そう言うや否や体に手を当ててきて、アリアが治療魔法を使った。手が淡く光って、光が全身に行き渡って、ぽかぽかとした暖かさを感じた。

 ズキズキとしていた痛みがすうっと引いた。


「ありがとう。また助けてもらって」


「いいのよ。忘れ物を取りに来たついでだから」


「忘れ物?」


「ソウタのかばんの中にあると思うのだけれど」


 かばんの中? あ、ネックレスか。


 ネックレスを取り出してアリアに見せる。


「これ?」


「そうよ。どこで拾ったのかしら?」


「教室の床に落ちてたよ。明日渡そうと思って持っておいたんだけど」


「預かってくれてたのね。ありがとう」


 アリアにネックレスを渡す。


「どうして僕が持ってるって分かったの?」


「魔力を追ったのよ。ネックレスから感じるでしょう?」


「魔力を追うってどうやって?」


「魔力を探知する魔法があるの。昔はよく使われた魔法なのよ」


「そうなんだ」


 魔力を探知する魔法か。教科書の端っこの方に書いてあった気がする。


「探知魔法は、帝国初期に最も使われた魔法なの。暗殺者が好んで使ったらしいわ。攻撃魔法の急速な発達の影響で、最近は使い手が少ないけれどね」


「へー。そんなことどこで知ったの?」


「歴史について調べていて、見つけた文献に書いてあっただけよ」


「よく調べたね、そんなこと」


「歴史が好きなだけよ。大したことじゃないわ」


「大したことある。全然すごい。アリアは勉強も頑張ってるんだね」


 それにくらべて僕は、と思ってしまう。魔法も使えない。歴史も知らない。


「アリアは、僕が考える限り一番理想に近い魔法使いの姿だよ」


 努力家で、才能にあふれていて、更には公爵家長女。容姿端麗でお金もあって、だけどとっても優しくて。


 他人と自分を比較することに意味なんてない。けど、彼女の存在があまりに大きすぎて、頭の中で無意識に比べてしまって、ちょっと気持ちが沈んでしまう。

 

「さっきザボルが言ってたことも本当なのかもしれないな」


「どういうことかしら」


「……僕は魔法も使えないし、勉強も教科書のことしか知らないし、助けられてばかりでさ。アリアと一緒にいる資格あるのかな」


 バチン、と音がした。僕の頬から。


「情けないこと言わないで」


 アリアに頬を叩かれた。

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