04 だって私たちは愛し合っているのですから。
そう、ですからつまりあの方は、まんまと先に死んでいったのです。私の目の前で、あの戦場で。戦いのさなかに。剣を突き立てられ血の海に沈んで、まんまと息絶えて見せたのです。自分の妹姫、王女殿下を守りながら、あの方はものの見事に私を置いていってしまったのです。目を離すべきではなかったと、私は叫びました。それこそ狂ったように。
あの方の亡骸を胸に押し付けるように抱きしめ、涙を流しながら私は叫びました。目を離すべきではなかった。傍にいるべきだった。どんな状況であろうとも、一緒にいるべきだった。二人でいるべきだった。一人にするべきではなかったと、私は叫びました。それは誰が見ても、愛しき人を失ったが故の悲しみの絶叫に見えたでしょう。
しかしそうではないことを、私とあの方だけが知っていたのです。私が感じていたのは悲しみではありませんでした。喪失の悲しみではありませんでした。置いていかれた事に対する怒りとまんまと出し抜かれた悔しさが、感じるべき悲しみを押しのけて私の体を支配していたのです。涙は、あまりの怒りと悔しさの為に流れたのでした。
大丈夫などという言葉を、信じなければよかったのです。必ず追いつくから、先に行って脱出路を確保して欲しいなどという信頼を、受け入れなければよかったのです。愛しいコージュ、お前でなければこの役を任せられはしないのだという甘い言葉を、聞かなければよかったのです。あの方の発する言葉の何一つ、私は聞くべきではなかったのです。
私は愚かでした。分かっていたつもりで、何も分かっていなかったのです。戦いが始まる前夜に、あの方は言ったのに。もしも、と。もしも命が途切れてしまったのならば、と。必ず月丘の門を通って、と。言ったのに。月丘の門を通って迎えに来るから、と言ったのに。それは死を覚悟するのではなく、死によって私を縛り付けて愛すという宣言であったのに。
どこまでも卑怯で自分勝手で意地悪で、そして優しく臆病なあの方。国の為などではなく私の為に戦地へと赴き、そしてまんまと死んでみせ、私の心を引き裂いて攫って行ってしまった方。そうされると分かっていたのに、私は止めることが出来なかった悔しさでいっぱいでした。私だけが、あの方が死に行く為に戦地へと立っているのだと、知っていたのに。
それから程なくして、戦争は終わりました。元々がこちらの圧倒的な優位で始められた戦いである以上に、あの方を失ってしまった私は、それこそ血に狂ったかのように剣をふるい、傷をいとわずに戦い続けたからです。半年にも満たない戦いの終わりは、酷くあっけないものでした。けれども私はその間のことも、それからのことも、あまりよく覚えていないのです。
戦いの間、半年間の時間の流れ。それが私の記憶の中には、不思議と留まっていないのでした。全く覚えていない訳ではありません。けれどその記憶は酷く断片的で、まるで物語の挿絵を途切れ途切れに見ているような、客観的なものでもあったのです。儀式の様子を描いた、絵画のようでもあったのです。
あの方の亡骸を抱き、私は泣き叫んだことを覚えています。けれどどうしてそうなってしまったのか、その後私はどうしてその場所を脱出したのか、あるいは、その場所がどこであったのか。それが上手く思い出せないのです。そんなことはどうでもいいと、思っていたからかも知れません。私にとって重要なのは、まんまとあの方が死んでしまったこと。それだけでした。
あの方の居ない戦場を、馬の腹を蹴りかけぬけていったことを私は覚えています。けれどどうして戦っていたのか、どれくらいの敵と戦ったのか、そしてそれはいつ始まりどんな結果で終わったのか。それを上手く思い出せないのです。だって、やっぱりそれは私に取って、どうでもいいことだったのですから。
けれどこれだけははっきりと覚えています。何かそれは呪いのように祝福のように、私にどこまでも深く刻み込まれたのでした。それは、あの方の最後の言葉。王女殿下を私に託し、あの方は自らに突き立てられた何本もの剣を引き抜き、そして満足そうに血の海に倒れて行きました。生ぬるい体を私は抱き上げ、そして最後の言葉を聞いたのです。
二ヶ月。月丘の門。
たったそれだけの言葉でした。それだけを残し、あの方は二度と唇を動かしはしなかったのです。他の方が聞いても、それは何のことだか分からなかったでしょう。しかし私には、分かったのです。二ヶ月したら、月丘の門を通って迎えに来る、と。それは愛の言葉でした。それは呪いの言葉でした。
全く計画通りに、あの方はまんまと一人、月丘の門の先に旅立って行ったのです。そして二ヶ月経って、その言葉を始めて告げてから半年たって、あの方は酷く満足そうな笑顔を浮かべ、再び私の前に姿を現したのでした。十年に一度、たった一夜だけの奇跡。月丘の門をくぐり、あちらの世界からこちらの世界へ。
それ程私が、その時を待ち焦がれていたかなど、きっとあの方さえ正確に知ることはないでしょう。濃く深い瑠璃色の闇を従え、あの方はやってきました。螺鈿を砕いてぶちまけたかのような満天の星空の元、あの方はやってきました。憎らしいほどに丸い満月の光を全身に受けて、あの方はやってきたのです。
その姿はまるで魔性のようでした。風になびく銀細工の髪は、私の記憶にあるものよりずっと艶やかで、愛しげに細められた深い、深い底なしの海の瞳は、爛々ときらめいていました。それは美しい姿でした。それは儚い姿でした。それは愛しい姿でした。それは恋しい姿でした。ああ、ああ、私はどれ程、その姿を目の前にしたいと望んでいたことでしょうか。
満月に照らし出された石畳を、あの方はゆっくりと歩いてきました。月丘の門をくぐり、神聖な森を抜け、町の明かりを目指して歩き、宮殿の石畳をゆっくりと歩いてきました。私はそれを、満面の笑みで出迎えたのです。会いたかったと囁いて。けれど差し出された迎えの手を、音高く振り払って。
あの方は心の片隅で、私がそんな反応をするのを、どこか予想していたようでした。苦く細まった目は、けれど私の吐き出す呪いのような愛の期待で、輝いてもいました。私はあの方の美しさに見惚れないように手を強く握り締め、それでも真っ直ぐにあの深い、底なしの海色の瞳をにらみつけて言いました。
「私を迎えに来たなどと、間違えたことを言わないでください。貴方は私をまんまと出し抜き、愛と言う悲しみと言う悔しさと言う怒りと言う感情を味あわせ、それによって私を縛り付けたことへの罪をあがないに来たのです」
「愛を罪と呼ぶのならそれを受け入れよう、愛しいコージュ。愛しき私の断罪者よ。それを望むのであれば、私の罪のあがないを、その方法を囁きなさい」
「ええ、囁きましょう。愛しい陛下。愛しき私の罪人よ。貴方は私を迎えに来たと言った。それが貴方の望み、それが死して私を縛りつけ、月丘の門をくぐって行ってしまった貴方の望み。ですから私は、それを叶えなどはしないのです」
そう告げた私の言葉など、あの方は本当はとうに分かっていたに違いないのです。あの方は私を置いていった瞬間、全く卑怯に自分勝手に意地悪に愛を成就させてしまったのですから。残された私が、全く卑怯に自分勝手に意地悪に愛を成就させようとすることなど、分かっていたに違いないのです。
私たちの愛は分かり合いません。私たちの愛は分かり合おうとはしません。共有しようとはしません。交し合おうとはしません。私たちの愛はどこまでもどこまでも卑怯で、自分勝手で、意地悪な代物なのです。螺鈿を砕いてぶちまけたかのような満天の星空を仰いで、あの方は苦く笑いました。私は酷く満足そうに、あの方に笑いかけました。
「私の受けた別れの悔しさを怒りを憎しみを……愛しい陛下。貴方も味あわなければいけません。それが私が貴方にあがなわせる罪であり、私の愛そのもの。私は二ヶ月待ちました。けれど貴方は、十年待ち続けるのです。私を愛しながら、私を悔しみながら、私を怒りながら、私を憎しみながら、十年。過ごし、待ち続けるのです。それが罪のあがない。それが私の愛そのもの」
うっとりと、極上の美酒を飲み干したような気分で私は言いました。その言葉が受け入れられると確信しながら言いました。あの方の美しい、儚い横顔をそっと眺めながら言いました。愛と呪いを、囁きました。
「貴方は私だけを想って十年過ごすのです。あちらの世界で。月丘の門の向こう側で。私を一人、置いていった事を後悔なさりながら、私を一人、置いていった罪をあがなうのです。私は十年待ちましょう。貴方が罪をあがなう十年を、貴方を想って過ごしましょう。私は貴方を悔しがるでしょう。私は貴方を怒るでしょう。私は貴方を憎しむでしょう。私は貴方を愛すでしょう。酷く酷く身勝手に、そうして愛を成就させます。二ヶ月前、貴方がそうしたように」
そしてあの方は帰っていきました。十年に一度、たった一夜だけの奇跡を終わらせて。こちらの世界から、あちらの世界へ。月丘の門を一人くぐって、私をまた置き去りにして、行ってしまったのです。そう、それは、私がそうさせたのです。そして呪いのような十年間が過ぎました。この十年と来たら、私はずっとあの方のことばかり考えていましたが、あの方もそうでしょう。
きっと私を大切に大切に悔しく怒り憎しんで愛してくださっていたことでしょう。私はそれが真実であると、確信を持っています。なぜってそれは、私がそうだったからです。私がそうであるのなら、あの方も必ずそうなのです。だって私たちは愛し合っているのですから。今も昔も、そしてこれからも。
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