第9話 雄一と文香の記憶 ラスト➁


「岡橋さん、お願いします。」

「分かりました!」


俺たちは身だしなみを整えると、入り口に向かった。

最後に台本を見ようと、ポケットに手を入れる。


…あれ、ない。


「谷川・城島!先行っててくれ」

「ああ、早く来いよ!」

「ああ!」


谷口達が出て行ったあと、俺は急いで自分の荷物のところまで戻った。

しかし、いくら周囲を探しても見つからない。


冷汗がこめかみをゆっくりと伝う。


落ち着け。


俺は自分に言い聞かせる。


大丈夫だ。


大きく深呼吸をする。そして、漫才の流れを再確認した。


ああ、大丈夫だ。あんなに練習したんだ、そりゃそうだ。


俺は流れを完璧に覚えていた。

そして、大きく安堵する。


「よし、行こう」


そして、俺は入り口に向かって走り出した。


***


大広間に入ると、俺たちは大きく口を開けて茫然とした。


広間いっぱいの人。人だらけだった。

今までもみんなの前で何かをしたことはたくさんあった。

しかし、せいぜい1クラス分だ。


4クラス集まると、こんなにも多いのか。

俺は一瞬空気にのまれかける。


「では、岡橋さん準備をお願いします。」

「はい!」


そして俺たちは舞台袖に行く。

やばい、ガッチガチだ。


腕と足がロボットみたいにカクカクと動く。

その時、俺の視界に入った人物に俺は目を丸くする。


「文香…お前」


そう、文香がいたのだ。

クラスでいつも一人で、隅っこにいるような女の子が。


一番前の真ん中に座っていた。

周囲の騒がしい人たちに混じって。明らかに居心地が悪いはずなのに。

それなのに。


そこの席で、静かに座っていた。

瞳を閉じて、祈るように手を組んで。


「俺ってやつは、何回ぶれれば気が済むんだ」

ふうううっと大きく息を吐く。


そして、舞台袖まで大きく腕を振りながら歩いて行った。



「おまたせしました、3年A組、岡橋さん達の発表です。」

観客席から大きな拍手が沸き起こる。


「よし、行くか!」

「ああ」

「おうよ」


そして、俺たちは勢いよく舞台に飛び出していった。


***


1分、2分…。


漫才は順調に進んでいった。

俺たちがかましたボケとツッコミが鼓膜を痺れさせるくらいの歓声に代わる。


気持ちいい。こんなに気持ちいいのか。


目の前の谷川と城島を見つめる。

だよな。


言わなくてもわかる。二人とも最高潮に興奮していた。


3分、4分。


俺たちの漫才の勢いは衰えるところを知らない。

いや、むしろリハーサルの時とは比べ物にならないくらいに盛り上がっていた。


俺の心臓が自分のものとは思えないくらいにバクンバクンと跳ね上がっている。

俺の口から漏れ出る呼吸はいつもよりずっと早く、短い。


「…全然似てねーよ!!…はあはあ」


あれ?


歓声が沸きおこる。


はあはあ…やばい。


谷川と城島が畳みかけるようにボケを畳みかける。

その一つ一つに俺も鋭くツッコミを入れていく。


はあはあ…はあはあ。


俺は分かっていた。自分の限界が近づいていることに。

大舞台に舞い上がって、いつも以上に声を張りあげていた。

俺の内臓が悲鳴を上げ始めている。


5分。ラストスパートだ。

保て!保て!!


「「ういーっす」」

その時、目の前の谷川と城島が舌を出しながら、変顔をした。

このツッコミで最後だ!いけ!!


「…あ…」


あれ?


俺の目の前の視界が時間が止まったように硬直する。

脳がぶちっとフリーズしたような感覚だった。


やべ…

…何も出てこねえ


目の前の谷川たちの顔が少しずつ青くなっていく。

二人も気づいたようだ。


…俺のセリフが飛んだことに。


そして徐々に徐々にあれほど大きかった歓声が少しずつ小さくなっていく。

観客も違和感に感づき始めたのだ。

そして、少しずつ歓声がざわつきへと変わっていく。


はあ、くそ、くそ…!

ふざけんなよ…!

俺の馬鹿頭。動けよ、動いてくれよ。


ここしかないだろうが。

俺が見せつけてやる場所はここしかないんだろうが。


だから動けよ…!動いてくれよ…


目の前の視界が少しずつぼやけ始める。

あまりの不甲斐なさに自分を殴り倒したい衝動に駆られる。


くそ…くそ…


その時だった。


くしゅん!


ざわつき始めた観客の中から大きなくしゃみが響き渡る。

そして、一気に大広間が静まり返る。


聞いたことがある…。俺、この声、聴いたことある。


俺は涙でぬれた瞳を少しずつ観客の方に向けた。


「はは…ははは…お前、何してんだよ」


俺の視線の先。

そこには顔を真っ赤にして、俺の方を向く文香の姿があった。


お前…そんなキャラじゃねえだろ。

そんな顔真っ赤にしてよ。


文香はこっちを向いたままだ。真っ赤な顔をしてこちらを向いたままだ。

俺はそこに違和感を覚える。そして、あることに気づいた。


彼女の口がゆっくり動いているのだ。

何かを…伝えようとしている。


そして、俺は次に彼女が握りしめていた1枚の紙に気づく。

あれは…俺の台本だ。


文香、お前…俺にセリフを伝えようとしてるのか?


そう確信した俺は彼女の口を必死に見つめた。


一文字。一文字。彼女の口の形を追った。

そしてついに思い出したのだった。最後の言葉を。


すぐさま俺は谷川達の方へ向き直る。


そして、俺は言い放ったのだった。

文香が伝えてくれた、最後の言葉を。





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