放課後の天国
部活は5時に終わり、俺は照の待つ調理室に向かっていた。
学校の窓からは夕暮れの空が広がっている。この前までは明るかったのに。
冬が近いんだな。そんなことを思いながら1階に降りて、右を向いたところで。
――大きな丸い柱の影に、ナニカがあるのを見つけた。
「なんだろう、あれ」
くすんだ黄色の、クマのぬいぐるみ。
遠くから見て分かるほどボロボロで、寂しそうにくたびれている。
それが何故か気になりだした俺は、元に向かってみることにした。
……だけど、柱のところに到着した時、ぬいぐるみはいなくなっていた。
確かに見た時は居たはずなのに。変なこともあるもんだ。
どこか腑に落ちない気分だけど、とりあえず俺はその場から立ち去った。
校内C棟、本棟とは若干離れた場所の調理室に着く。
生徒の増加から追加するかたちで設立された棟だということもあってか、建物は本棟より格段に新しく、科学室とか被服室とか特別な教室が集中している。
そして、この調理室だってそれは例外じゃない。ここの1階の大きい教室がそうだ。
「失礼しまーす」
邪魔にならないように、でも聞こえる声と一緒に扉を開ける。
調理は終わっていたのか、食べる前の仕上げや簡単な片付けの最中だった。
みんな楽しそうに会話に花を咲かせながら、手際よく作業をしている。
そんな光景を眺めながら、俺が言いたいことは……1つだけだ。
――エプロンって良いよな! 最高だよな!
家庭の象徴であり、それを着るだけでその娘を世話焼きの天使にしてくれる。
この調理部にはとりわけ可愛い美少女が揃ってることも、その理由だったり。
「あっ、道也くん」
俺が照に声をかけようとするより早く、食器棚に食器を片付けてた人が俺に気づいた。
「照~! 旦那さんが来たよ~!」
「え、えっ? ち、ちーちゃん! 夫じゃないよ!!」
すると、途端に恥ずかしい冗談。まあ、いつものことだけどさぁ!
俺が気まずそうに薄い笑みを浮かべていると、相手は悪戯な笑顔で返してきた。
彼女はすらっとした健康的な体つき、だけど、どこか頼もしい雰囲気がある。
清潔感のあるスカイブルーの三角巾で、紫色混じりの黒髪を纏めている。整ったエプロンと相まって、しっかり者で、ちょっぴり茶目っ気のある彼女らしさを際立てていた。
彼女は天野智恵さん。調理部の部長で、みんなから“ちーちゃん”と呼ばれている。
「ちーさん、あいつの嫁になった覚えはないぜ」
そして、他の人のちーちゃん呼びから、俺はちーさんと呼んでいる。
高校2年性にもなって、女子相手にちゃん付けは恥ずかしかったからな。
「ふふっ、冗談だよ。いらっしゃい、今日も来てくれたんだ」
「照を迎えに行かなきゃなんないし。あと美味しいご飯を食べられるからな」
ちーさんみたいな美少女に頼れると、こちらも嬉しくなるくらいだ。
ここでも俺は非正規部員。主に味見と試食と後片付け係という役割である。
調理部なのに調理しないのはどうかと思うけど、何だかんだ重宝されてるので厚意に甘えている。
「あっ、道也先輩! こ、こんにちはっ!!」
今度は、料理の盛り付けをしていた小柄な大天使が駆け寄ってくる。
途中で、何もないところで転びそうになってたけど、そこも可愛い。
野々原若菜。俺なんかを慕ってくれる優しい後輩で正真正銘のエンジェルだ。
幼さの残った彼女の顔立ちや背丈は、まるで小動物のような可愛さ。
そして、小柄なのにエプロンを押し上げる膨らみは不釣り合いに大きかった。
……サイズ的にはゆのねぇと引けを取らない、ようだな。本当にすごいな、うん。
「よっ、若菜。今日も可愛いな!」
「えっ、あ、そ、そそそそんなことな、ないですよ!!」
俺がカッコつけた声をかけると、顔を真っ赤にして首を振っていた。
その反応が愛らしい。調理部の女子たちからも可愛がられる理由がよく分かる。
ちなみに、俺がこんな軽いことが言えるのは若菜相手だけ。他の女子には恥ずかしくて、思ったとしても“か”の文字すら言い出せない。
「こらっ、なーちゃんに軽々しく近寄らないでよ!」
ほんわかな気分で話していると、横から照が割り込んできた。
手には布巾と大きめのザルがある。洗い物でもしていたのかな。
「何でだよ! 何でお前に言われる筋合いがあるんだよ!」
「え、えっと……それは……」
返答に戸惑った照は、急に若菜の顔を見つめると……いきなり抱きしめた。
「なーちゃんは、私のものなんだから!」
「ええっ!!? あ、ありがとうございます」
「だー! 若菜に気安く触れるんじゃねぇ!! ほら離れた離れた!」
「み、道也先輩!!?」
「ほらほら、若菜ちゃんが困ってるから止めてあげてね~」
コントみたいな会話を、ちーさんに遮られて我に返った。
気づけば、他の調理部の人たちも微笑ましそうにしていた。は、恥ずかしい。
しかし、女子たちだけのグループに入るの、それだけでも抵抗があったのに。
今となって普通に入り込むことができている。慣れって怖いよな、うん。
「そういえば、これから作ったものを食べるから道也くんもどうかな!」
「もちろん食べるぜ! んで、今日は何を作ったんだ?」
「スノーボール。一口サイズのお菓子で美味しいよ。作りすぎたからいっぱい食べて!」
調理室の細長い机には、お洒落なカゴに乗せられた丸いクッキーが。
あれがスノーボールか。まぶしてある白い粉砂糖が名前の通り、雪っぽい。
「よーし、食べるぞー!」
「召し上がれ~。あ、でも道也くん。あれの片付けは手伝ってね?」
「……あれか? ま、まっかせていいぜ!」
ちーさんの視線の先の、重たそうな荷物にちょっと憂鬱になりつつ。
ひとまず目の前の料理を貰おうと、ウキウキ気分で机に向かったのだった。
料理を食べ終えて、片付けも終えた俺は帰路につき始める。
時刻は5時50分。夕日は沈んでいて、今にも暗くなりそうだった。
「じゃあ、また明日ね~」
「夫さんによろしくね、照」
「だから、こいつは夫なんかじゃないってばぁ!」
うちの学校は、校門を出るとすぐに大きな分かれ道に差し掛かる。
他の調理部の人たちはそこで別れて、照とちーさんと若菜とは同じ道。
調理部のある帰りは、駅まではこの3人で帰るというのが普通になっていた。
「ふー、美味しかった~」
「道也ってば、ちーちゃんやなーちゃんのばっか食べてたよねー」
「そりゃお前の作る料理なんていつも食べてるからな」
別に、照の料理が美味しくないなんて思ったことはないけど。
やっぱりこういう時はちーさんや若菜たちを優先してしまうんだよな。
そりゃ2人とも可愛いし! そんな女子たちの料理を食べる機会なんてないし!
「しかし、今日は3人と一緒に帰れてよかったよ」
「な、何で、ですか?」
「今日はなんかさ、不審者が居るんだって。帰りのHRでやってた」
「そうなんだ。優しいんだね、道也くん」
「いや~、それほどでも~」
「はいはい、デレデレしないようにね~。使い捨て装甲板くん」
「なっ、照! ふざけんな、使い捨てはやめてくれよ!!」
「そ、装甲板は良いんだ……?」
そりゃ丸腰の男子高校生なんて、それぐらいしか活躍できないし。
いざとなったら己を犠牲にして守るつもりだ。できるかは分からないけど!
「でもさぁ、そういう危ない事件をよく聞くよね」
「そうだなぁ」
照のポツリと出た呟きに、思わず言葉を返してしまった。
確かにニュースを見れば、事あるごとにどこかに誰かが殺されたというもの。
政治の話も外交の話も、難しそうだから馬鹿な俺に内容はわからないけど。
どれもこれも明るいものではないことだけは理解できていた。
何というか、ぼんやりとした得体の知れない負の何かが待っている感覚だった。
「な、なんか暗い空気になっちゃったね。あ、そうだ。美味しそうなケーキ屋さんができたんだよ! 高校の駅の、近くにさ!」
話を変えようと、いきなり照が違う話題を切り出してくる。
行ってみようよと誘う照に、ちーさんは金が無いと笑いながら首を振って。
そして、俺たちより半歩後ろの若菜は思うことがあるのか、自分のお腹の肉をつまむような仕草をして、どうしようかと悶々と悩んでいた。
……こういう平穏な日常が、いつまでも続いてくれれば良いんだけどな。
そんな、自分らしくもないことを思いながら、見慣れた帰り道を辿っていった。
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