オレは、喜ぶカオを見たかった
「着いた………」
夕焼けは深く沈み、東側の紫が溶けて西へと薄く広がる空の下。
身体の正面に建つ住宅を前に、オレはギュッと拳を握りしめる。
ふわりと舞い上がる風に庭の緑が騒めき、キープアウトと英字で記された黄色と黒のテープがパタパタと風圧に煽られ揺らいでいた。
目を閉じ、スゥ…と深く息を吸って吐く。
ゆっくりと目蓋を押し上げ、目に再度光景を映す。
ーー…不思議。心の何処かで近付きたくないって思ってたのに、いざ此処まで来たら、なんか、すごい……ホッとする。
オレは、自然と笑みを浮かべていた。
「ただいま」
我が家を見上げながら、これまた自然に『ただいま』なんて台詞が口から飛び出してきて驚く。
外見上の変化が黄と黒のテープのみだからだろうか。
玄関扉の向こう側に広がっているかもしれない廊下やリビングの悲惨な有様をこの眼で見ていないから、まだ安心感に浸れているのだろうか。
ーー…玄関からは入りたくないな。二階の窓辺りから入るか。
慣れた感じで幽体を浮かせ、フワフワと上へ飛んで行く。家の西側にある自室の窓を見つけ、その窓をすり抜けて家の中へと侵入した。
青のカーペットの3cm上へ降り立つ。そしてすぐさま周囲を見渡した。
窓の横にはクローゼット、その隣には漫画本が所狭しと並んだ本棚。クローゼットと対面している壁側にはベッド、ベッドの枕側ではない方向には勉強机が配置されており、机上には寝る前に終わらせた現代国語の課題と筆箱が置きっぱなしの状態だった。
「わっはー、いつものオレの部屋だ!なーんにも変わってない!」
至って普段通りに、部屋はオレを迎え入れている。そんな些細なことに感動し、勢いでベッドへダイブするが、幽体はベッドをすり抜け床板から3cm上の視えない足場に打ちつけられた。
「っ、いっ……たく、ない…あれ?今思いっきり鼻からぶつけたのに、全然痛くないや」
触覚が無いオレだから、痛覚も失ってしまっているのだろうか。
ぺたぺたと鼻辺りを重点的に触診してみるが、触った感じ、変形はしていないみたいで安心した。
「でもやっぱり、物には触れないのか…。折角、アレを確認しに来たのに」
視線を動かして、ゆらりと立ち上がる。
足を交互に踏み出し、全く軋まない床板の上を移動した。
「…コレにも触れると、よかったんだけど」
勉強机の近くに立ち、机の横のフックに引っかかっている『店のロゴが入った茶色の紙袋』へと手を伸ばす。
案の定、手指は紙袋をすり抜けたばかりで、触れなどしなかった。
ーー…あーあ、コレをユウに渡すの、すっごく楽しみにしてたのに。
客が大人ばかりの慣れないオシャレそうな店で、あれでもないこれでもないと選びに選んで自腹で購入したプレゼント。
『コレ』は、ユウへの誕生日プレゼントだった。
ユウの誕生日は11月3日。来週の火曜日だ。
プレゼントを用意したのはニ週間以上前だが、当日に渡したくてずっと机の横に引っ提げていたのだった。それが裏目に出た結果、こうして渡せず終いになってしまっている。
ーー見たかったな。プレゼント渡した時の、ユウの喜んだカオ。…あんなに時間かけて選んだりメッセージカード書いたりしたのも、気に入ってくれるかなってドキドキしたのも、全部無駄になっちゃったや。
キュッと口を結ぶ。眇めた目の先で、紙袋が何も言えずにただただ存在している。
『残念』の一言で簡単に片付けられないほど、プレゼントを渡せないことが悔しかった。しかし、いくら悔しがったところで、いつかは物に触れるようになる訳ではないのだ。
無理矢理にでも思考を切り換えなければならない。『オレがユウの誕生日に何をしてあげられるのか』を、今から考え直さなければ。
そして約30分間考え直した結果ーーー
「今のオレにはユウに何もしてあげられないし、出来ることと言えば…誰よりも早く一番にユウを祝うことぐらい、かぁ…」
ーーー更に落ち込んでいたことは、言うまでも無い。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます