第七話 お帰りなさいと無言の違い
俺は、父に似ている
ガチャリ………バタン。
玄関方面から、扉の開閉音が聞こえてきた。次いで耳に届く足音は、リビングに居る俺に近づいて来る。
ーーもう帰って来たのか?いつもは9時10時ぐらいに帰ってくるのに……今日はやけに早いな。
ソファの背凭れに預けていた身体を起こし、キッチンへ向かう。僅かな間のあと、リビングの出入口から大きな黒い影が見えた。
「ただいま」
低く、少し掠れ気味の、毎日耳にする渋い声。
リビングにカッチリしたスーツ姿で現れて帰宅の挨拶をしたこの人の名前は、西野学。
今はこの家で二人暮らし中の、俺の父だ。
「お帰りなさい。今日は昨日の残り物を出すから、温めてテーブルに置いとく」
「…夕陽はもう食べたのか?」
「食べた」
「そうか、分かった。俺は部屋で着替えてくる」
ビジネスバッグを足長のテーブルとセットの椅子に立て掛け、父はネクタイを緩めながら自室へと階段を上っていった。
俺は冷蔵庫から大小さまざまなタッパーを、食器棚から耐熱皿を取り出し、電子レンジの扉を開ける。タッパーの中身は、父が雇っている家政婦の山田さんが昨日作ってくれた夕食の残り物であるハンバーグやポテトサラダ、コンソメスープだ。
山田さんは基本、夕食一回分の量より少し多めぐらいを、俺と父の二人分料理してくれる。『食事の量が足りないのは困ると思うので念の為若干多めに作っておきますけど、もし余ったら朝食やお弁当にでも使ってくださいね』と山田さんは雇った初日に言っていた。
このタッパーに詰められた料理が夕食一回分より少し多めなのは、明日の夕食は友人と外で食べてくるから父が明日食べる分の夕食を作り置きしてほしい』と俺が山田さんに頼み、快く頷いて作ってくれたものだからだ。
ハンバーグを耐熱皿に移して電子レンジに入れて加熱したり、コンソメスープを片手鍋に入れてコンロの火に掛けたりして料理を温め終わった頃、父が二階から降りてきた。
俺が料理を皿に盛る合間に、父は冷蔵庫から麦茶を取り出してガラスコップに注ぎ、ビジネスバッグを立て掛けた椅子の隣の椅子に腰を下ろす。上下スウェットの部屋着姿でゆっくりと麦茶入りのコップを口に運び飲むその顔には、スーツをピシッと着こなしていた時には微塵も感じられなかった疲労が若干滲んで見えた。
「どうぞ」
白米を盛った茶碗やケチャップをかけたハンバーグとポテトサラダを乗せた大皿、コンソメスープを注いだお碗と箸、銀のスプーンを父の手前に並べれば、『ありがとう』と渋い声と黒い眼で礼を伝えられる。表情は相変わらず『無』だったが。
顔面の表現力については父からの遺伝ではないかと思ってしまうぐらいに、父子揃って無表情が板についている。両者とも、接客営業が不得意なタイプなのだ。父も自身が営業には向かないと分かっているのだろう。短髪七三の艶やかな黒髪や切れ長の眼、スッと通った鼻筋や形の良い唇など顔立ちが端正なことから度々営業課から配属の勧誘が来るらしいが、それらをキッパリと断り、今は人事部の部長を務めているらしい。山田さんから聞いた確かな情報だ。
「俺は先に風呂に入らせてもらうから」
「ああ、分かった。夕陽があがった後に俺は入るよ」
綺麗な箸の持ち方で食事を始める父を背に、リビングを出る。
ーーこんなに早く帰ってくるなら、夕食にカップ麺を食べなければよかった……父さんと二人で食事したかったな……。
父は、滅多に定時では帰宅しない。昔から仕事熱心な人だったが、部長という役職を担うからか、導くべき部下が増えたからか知らないが、ここ数年は昔以上に仕事を詰めているようだった。夜遅くに毎日帰宅し、休日出勤も頻繁にしており、俺と夕食を二人で取ることは稀にある程度の回数だ。
ーー明日の朝は休みらしいけど…父さんは休みの日は一日中寝て休んでいるから、顔を合わせるのは夕食の時だけだろうな…。
僅かに肩を落としながら、俺は自室へと戻っていった。
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