彼は、不便な身体だ
「うおわっ⁈...へっへーん!オレは今、物理攻撃が効かないチートキャラなんで、痛くも痒くもありませーん」
自身の顔をすり抜けて壁に衝突したクッションを背後に、彼は腰に両手を当て胸を張る。
「強がる割には、さっき思いっきりビビってたよな?」
「いや、高速で一直線に物体が襲い掛かってきたら誰でもビビるよ。3D映像見た後みたいにすっごいドキドキしてるんだって」
余程驚いたのか、彼は自身の心臓辺りを右手で押さえつける。実体を持たない幽体なのに、心臓は機能しているのだろうか。疑問に思ったが、何となく、聞いてはいけない気がした。
「それにしても、幽霊って凄いね」
自身の腕を軽く振ったり腹を撫でたりしながら、彼は感心したような口ぶりで言う。
「ジェットコースターも3Dアトラクションも身体一つで体験出来るなんてさ。もうコレは実質、オレがアミューズメントパークみたいなもんだよね?入場料無料、制限無しのフリーパス付きとは、素晴らしい」
瞳を輝かせながら、自身が幽霊になってしまったことに対して少しも嫌悪感を感じていないと受け取れる台詞を、彼は口にした。
その時、ふと、心に影が差す。
ーーどうして...
如何して、自身が幽体であることを彼は楽しんでいるのだろう。俺は彼が亡くなってーーーこれ以上無いくらい、悲しんだというのに。
心の柔い表皮の部分を引っ掻かれたような痛みを感じ、直後に口を開く。
「...その代わり、本物の遊園地ではもう何も楽しむことが出来ない身体だぞ?遊園地だけじゃない。太陽はもう、何も触れない不便な身体なんだ」
その言葉を口にした直後に、失敗したと後悔した。だが、音を持ってしまったものは、もう遅い。
ーー俺、今嫌なこと言ったな...
自分自身に腹が立ち、拳を無意識に握り締める。
本当は分かっていた。
彼には、場の雰囲気が暗くなりすぎると、あえて明るく振る舞う癖があること。
気丈に振る舞っている彼だって、死にたくて死んだ訳ではないこと。
頭では分かっているのだ。分かってはいたけれどーーー例え本心でなくとも、幽体も悪くないみたいなことを、彼にだけは言って欲しくなかった。
「...っ!、ごめんっ。ユウ、泣かせてごめんなさい」
俺と目が合うなり、焦った表情で彼は謝り出した。どこか必死さすら感じられる眼差しで、俺を見ている。
「...俺は、泣いてなんか、ない...」
「うそ。ユウって、笑ったカオとか怒ったカオとかは判り難いのに、悲しいカオは判りやすいんだよ。ユウの綺麗なアンバーの目がね、泣きそうになるとすごく潤むの。今もホラ、涙が零れ落ちそうになってる」
そう言って彼は、俺の目元へ右手を伸ばした。彼の細く長い指が、目の縁に溜まった涙に優しく触れようとする。俺は近付いてきた指を大人しく眺めていた。
指先はゆっくりと徐々に距離を詰めてくる。
視線の先でやっと触れたと思ったその時ーーー待っていた感触は訪れず、やや間が空いた後、悔しそうな、苦しそうな声が正面から聞こえてきた。
「...確かに、ユウの言う通り不便だよ。こんな身体じゃ、涙を拭うことも出来ないんだから」
彼の指は、俺の左頬を貫通しているみたいにすり抜けていた。俺自身には、彼が触れたという感触が全く伝わっていない。本当にただ、すり抜けただけだった。
予想していなかった訳ではないが、改めて思い知らされると気持ちは暗く深く沈んでいく。
ーー太陽はもう、何にも触れない。スマホにも、ゲーム機にも、ジェットコースターにも、俺にも...死んでるから、触りたくても触れないんだ。そして俺も、これから先一生...太陽には、触れられない。
『意思を持って行動し、ものに触れられるか否か』こそが、生者と死者の違いなのだろうか。
俺は生者。彼は死者。
お互いが、決して交わることのない平行線のような存在。
もしかすると、相反する俺達がお互いに触れ合えないことは、当然だったのかもしれない。
「...なんでオレ、死んじゃったんだろう」
「えっ...」
唐突に彼が自身の死に対しての疑問を言葉にしたものだから、なんと言えばいいのか返答に戸惑う。彼が亡くなったのは、噂が真実であるならば『強盗犯に襲われたから』になるのだが、今彼が欲している答えは、これではない気がしたのだ。
「ユウ、知ってる?」
コテンと、彼は首を傾げる。
子供っぽい仕草だ。だが、そんな仕草をした彼を見て、何故か背筋に寒気が走った。
ハイライトの消えたブラウンの眼が、僅かに揺れている。薄い唇は、口角を上げて引きつっていた。
「オレはあの日、強盗犯に口止めに殺されたんだよ」
眼は全く笑っていないのに、口元には笑みが浮かべられている。
この時初めてーーー彼の笑みを薄ら寒く感じた。
「母さんの悲鳴が聴こえてきて、部屋から一階に降りたら廊下で強盗犯と鉢合わせしてさ。持ってた包丁で心臓と太腿をグサリ、だよ。めちゃくちゃ痛かったなぁ。でも痛いの我慢して床を這って、固定電話のところまでは辿り着けたんだけど...流石に、救急車呼ぶまでは持ち堪えられなかったみたい。意識が飛んで、気付いたらこの部屋にいて、足が浮いてた」
自身の心臓を労るように胸に右手を置く彼。その手が震えていたのは、思い出した恐怖からだろうか。それとも...強盗犯への怒りからだろうか。
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