俺は、彼がそばにいないから寂しい

「...なぁ、たいよう」


「ん?なぁに?」


「...おれ...たいよう、に...おれ、は...」


 彼に聞きたいことや言いたいことが沢山あり過ぎて未だ整理できていない脳内は混濁し、言葉がなかなか出てこない。出てきたとしても、『おれ』と『たいよう』と意味のない『が』とか『は』とか『に』などの単語を繰り返すだけの俺だったが、彼は苛立つことも急かすこともなく『どうしたの?』と待ちの姿勢でいてくれた。


「お、おれ...たいよう...おれ、な...」


「うん。ゆっくりでもいいから、聞かせて」


 子供を宥める母親のような甘やかな声に大丈夫だよと言われた気がして、焦っていた心に落ち着きを取り戻す。彼は本当に、俺を甘やかすのが上手い。

 彼が俺に対してそんなだからーーーいつも俺は、彼に甘えたくなる。


「おれ...たいようが、いなくて...さみしかった」


『だから、おれがさみしくないように、そばにいて』と。現在進行で頬を濡らしながら、彼に願った。


「...そうかぁ。ユウはオレが居なくて泣くほど寂しかったのかぁ。そっかそっかぁ......」


 彼は口をキュッと結び、眉を寄せて目を伏せる。その何かを堪えようとしている表情が彼にしては珍しかった為よく見たいと思ったが、俺が瞬きをした次の瞬間には、元の甘やかな笑みに戻っていた。


「...うん、いいよ。ユウが寂しい思いをしないように、オレがそばに居てあげる」


『だから、もう泣かないで』と俺の前にしゃがみ込み、涙が顎下からポタポタと絶えず落ちている顔を覗き込んで彼は囁く。


「ほんとう?」


「本当だよ」


「ほんとうのほんとうのほんとうにほんとう?」


「本当の本当の本当に本当だってば!疑り深いなぁ。オレがユウに嘘ついたことある?」


「ある。炭酸グレープとレモンティーとアイスコーヒーを2対1対1で混ぜたらコーラになるって言ってたけど、コーラにならなかった」


「えっ、もしかしてその三つ混ぜて飲んでみたの⁈マジで⁈いや、まさか信じるとは...うわわ、無表情なのに睨まれてる気がする!適当な嘘ついてごめんなさい!」


 ジト目で見やれば、彼は両手の平をくっつけてごめんなさいのポーズをする。こんな何でもないやり取りがやけに久しぶりに感じて、懐かしく思った。


「あっ!ユウ、やっと笑ってくれた!」


 彼が嬉しそうに俺の顔を見ている。


「...俺、笑ってた?無表情じゃなかった?」


「笑ってたよ!前にも言ったじゃん。ユウの表情の変化は見た目にあんまり出ないから他の人には分からないけど、オレには分かるって。さっきはね、目尻がちょっと優しく垂れてたんだよ。それがユウの笑ったカオ!」


ーーあぁ...折角泣き止んだのに、また泣いてしまいそうだ。


 そんなことを言われてしまっては、どうしようもないほどに堪らなくなった。

 恐らく、世界でたった一人、彼だけがーーー東山太陽だけが、俺の心に何処までも寄り添ってくれていた存在だったのだ。何よりも失いたくなかった、俺にとっては代わりなんて存在しないたった一人の尊い人間。改めてそれを強く感じさせる彼の言葉に、胸を打たれた。


 胸の奥を打ち鳴らすような衝撃を受けた俺は、衝動のままに、彼に抱きつこうとした。抱きつこうと彼に体当たりしたのだがーーー


「っ、へぶっ!」


「おわっ!ユウ、大丈夫⁈今、顔面から床に衝突したよね⁈絶対痛かったよね。鼻血出てない⁈ユウの綺麗な顔から鼻血とか、女子が見たら悲鳴上げそうなんだけど!って、うわわっ!泣かないでよユウー!痛かったよね!そうだよね!痛いの痛いの富士山に飛んで行けー!そしてもう戻ってくるなー!」


 怪我をした本人を置いてけぼりにする勢いで彼は、両腕をバタつかせながら色々と捲し立てていた。俺はといえば、床に両手両足をつきボロボロと泣いていた。


「な、なんで、すりぬけ...やっぱり、このたいようは、げんかくなんだ...」


 俺は、彼の葬式には出席していない。学校には彼が強盗犯に殺害されたという話が蔓延しているが、彼をこの目に映している今、それらをあくまで噂話だったのだと片付けることができていた。もしかしたら、本当は彼は生きていたのかもしれない、なんて馬鹿らしい希望すら抱いていた。でもやはり、実は生きてました、なんて都合の良い話は無かったらしい。この身体が彼の身体をすり抜けてしまったということは、つまり、そういうことなのだろう。


「...えっーと...ユウ、聞いて。確かに俺はもう死んでいるけど、幻覚ではないんだよ」


ーー幻覚ではない?...じゃあ、目の前にいる太陽は、何?


 訳が分からずに顔を上げて彼を見つめ続ける俺に、彼は少しばかり言い辛そうに口を開く。


「多分、オレーーー幽霊になっちゃったんだ」


 そう言った彼の屈んだ身体を見やる。

 目についたのは、彼の足元。

 革靴を履いた彼の足はーーー床から3センチほど浮いていたのだった。

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