第一話 夜明けを告げる日輪

俺は、明日まで眠っていたい

 時間は、決して止まってはくれない。全ての人間に対して平等に流れており、俺の都合でどうにか出来るものではないのだ。その為、幾ら俺が親友の死に食事が喉を通らないほどに悲しんでも、時間が経てば身体は空腹を訴えてくる。何もしたく無いぐらいに心が打ちのめされていても、明日は来るし学校には通わなければならない。


 そうした二日間を送り、彼が死んで3日目の朝が来た。


 平日ならば目覚まし時計のアラーム設定を6時半にしているが、今朝は設定をしていなかった為、静かな朝を迎えた。本日は土曜日、つまり休日なのである。


ーー...今、何時?


 カーテンの隙間から漏れている光が、空に陽が昇っていることを教えてくれる。サイドテーブルに設置している目覚まし時計を見やれば、針は7時58分を指していた。

 ベットから上体を起こし、カーテンを開ける。薄暗かった室内を、東の空より降り注ぐ日光が確かな温度を持って俺ごと照らした。その暖かさと眩しさに、不思議と安らぎを感じる。


ーー...よし、二度寝しよう。


 自分で言うのもなんだが、清々しい決断だった。

 決心したら即行動すべし。

 これは、俺の座右の銘である。ということで、直ぐに掛け布団と毛布の中へと潜り込んだ。枕に横顔を沈め、横になった身体ごと壁側を向いて脱力する。

 実は、今日は一日中自室から極力出ないと、昨日の内から決めていた。食事も取りたく無いし、ベットからもトイレや風呂以外には出たく無い。


 別に、死にたいとか、心が疲れたから何もしたくないとか、そういう訳ではない。たかが1日の絶食で人間は死なないし、何もしないからといって親友を失って感じた痛みが減る訳でも無い。

 精神に負った傷はいつしか風化する、と昔読んだ小説に綴られていた。精神的なものは、時間が解決してくれるのだと。だからこの痛みも、いつかは自分の中で何らかの形をとって落ち着くのだろうと思う。思うのだがーーー俺は、この痛みが風化するまで耐え切れるのか不安だった。


 俺が一日中部屋に篭って何もしたくない理由は、この不安によるものなのだ。

 外の世界は、彼との思い出で溢れている。学校や通学路の他にも、コンビニ、バス停、海、この家の玄関など。それらを背景に彼が被写体となって映り込む記憶の数々は、その背景である場所に訪れるだけで鮮明に思い出されてしまう。思い出した後に残るのは寂しさや悲しさばかり。負の感情は心の傷を抉りはすれど、癒やしてはくれない。その為、思い出してしまうことが少しだけ怖いのだ。

 かと言って、何一つ思い出したくない訳ではない。彼との思い出は、楽しいものや綺麗なものがほとんど。思い出すのも嫌な記憶なんて一つも無い。寂しい時に彼との思い出を脳内で再生すると、一時的ではあるが、俺は当時のような幸せな気持ちになれた。同時に、彼との思い出を、幸せな記憶を、一つたりとも忘れたくないと思った。


 思い出してこれ以上傷つきたくない。けれど、彼との思い出を忘れたくはない。


 矛盾する願いを抱えた俺は、中途半端な策に出た。平日は外の世界に触れ回って彼との思い出を忘れないようになぞっていき、休日は自室に篭って彼のことを一切考えないようにしよう、と。

 外に出れば嫌でも彼のことを思い出す。自室で眠り続ければ彼のことを考えずに済む。夜中もひっそりと泣き続けた寝不足の頭では、これが良策に思えたのだった。


ーー本当はそこまで眠たくはないけど...陽の光に当たりながらだったら、眠れそうな気がする。


 窓から注がれる日光が、ベットとその周りを照らしていた。10月も下旬となれば、室内は閉め切っているとはいえそれなりに冷える。だが、暖かい光に包まれた温いベットの上は、春の陽だまりのように心地良い。

 これなら、直ぐにでも熟睡出来そうだーーーそう思っていた時、


「ちょっとちょっとっ。起きて直ぐに二度寝しようとしないでよ!オレに放置プレイする気?!ユウはゲームで床ペロしまくってたオレを何度も放置してたけど、リアルでの放置は結構傷つくから!」


 あまりにもーーーそう、あまりにも、焦がれて止まなかったあの高くもないが低くもない綺麗な声音に似ていたから。

 その声を耳にした途端、俺の身体は理解するよりも先に動いていた。寝ぼけていた脳が覚醒し、瞬時に上体を起こして部屋の中央へと視線を走らせる。

辿り着いた視線の先、そこに居たのは...1メートルほど離れたの距離に立って、俺を見つめていたのはーーー


「ははっ。目は覚めた?おはよう、ユウ。...っ、...えっと、...困ったなぁ。ユウの泣き顔なんて初めて見たよ。いつもの無表情は何処に行ったの?感動の再会だから、行方不明になっちゃった?」


 高校の制服姿をしている彼のブラウンの眼が、俺を視界に収めたまま甘く緩む。窓から射し込む白い光は、眉を八の字にして困り顔をする彼をも照らしていて、指通りの良さそうな金色の髪が艶めいていた。

 滲む視界に映る彼は、どこからどう見ても東山太陽その人で。しかしその人は三日前に亡くなったんだと鈍る思考から暫くして思い至った刹那に、今眼で捉えている世界が非常に希薄なものに感じた。


「...えっ.........夢?」


 信じられなさ過ぎて、夢かと疑った。ポッキリと折れそうな俺の心が願望を幻覚として見せた、防衛反応説が急浮上する。


「夢じゃないよ。自分の頬を抓ってみて。絶対痛いから」


 幻覚に言われて、自身の片頬を思いっきり抓る。そして、分かったことが一つ。


「...いひゃい」


 彼は幻覚なんかじゃなかった。


「っ、あははっ。今のユウ、右頬はモチみたいに伸びてるし両眼からはボロボロ涙が出てるし寝癖はついてるしで、めっちゃレアな顔してる。きっと、オレ以外誰も見たことないんだろうなぁー。ユウのこんな、間抜けなカオ」


 あははと彼は笑う。白い歯がチラリと見えるぐらいに口を開けて大胆に、けれども穏やかに目元を緩ませ笑っている。

 以前は当たり前のように目にしていたその笑顔には懐かしさすら感じられ、俺はスッと目を細めて彼を見つめた。


ーーああ、やっぱり...彼は眩し過ぎる。


「...まぬけ、とか...ゆーな...よ...」


 自分でも驚くほどに声は震えていた。それでも、彼は正確に聞き取れていたらしい。ごめんごめん、とおちゃらけた調子で謝られた。俺がらしくもなくボロボロと泣いていることに対して『どうして泣いているの?』と突っ込んだりしない辺りが、なんとも彼らしい。

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