夜が明けてもそばにいて

竜胆

プロローグ 暗くて寒い夜の話

彼は、俺が焦がれて止まない陽の光

 俺には、たった一人だけ友人がいた。


 その友人の名前は、東山太陽ひがしやまたいよう

 彼は、俺が高校2年生にして、人生で初めて出来た友人だった。


 名は体を表すと言うが、彼は本当に、眩しい日輪のような男だったのだ。


 思い浮かべたのは、夏のとある日のこと。

 俺が待ち合わせ場所である公園の木陰にあるベンチに座っていて、彼が俺の元へ片手を振りながら駆け足でやって来た日のことーーー


『ごめん。お待たせ』


 約束の時間より20分早く来たにも関わらず、彼は自分より先に来ていた俺に気を遣って謝罪する。俺は気にしていないと答えてベンチから立ち上がった。すると、172センチの俺と大して背丈が変わらない彼と視線の高さが合う。

彼は俺の顔を伺い、不思議そうに首を傾げた。


『もしかして、初めて友達と一緒に外に遊びに出かけるからって緊張してる?いつも通りの無表情ではあるんだけど、なんか、固くなってる気がするんだよね』


『東山、凄い。正解』


 幼少期から表情筋がストライキを起こし続けている俺の顔を見て些細な変化に気付いた東山に、素直な称賛を送る。彼には俺の表情検定一級を与えるべきだ。それぐらい凄いと思う。だって、顔の表現力が死んでいる俺の表情を読み取った訳なのだから。


『ははっ。やっぱり緊張してたんだ。でも、オレん家に遊びに来た時みたいに気楽でいいのに。緊張し過ぎて東山呼びに戻ってるよ?太陽って呼んでよ、ユウ』


 暖かい陽だまりのような柔らかい声音でお願いされて、俺が断れる筈が無い。妙な気恥ずかしさを感じながらも、俺は彼を最近言い慣れてきた下の名で呼ぶ。


『太陽、今日は何処に行くの?』


『そうだなぁ...すっごい迫力のある処かな』


 オレについて来てと告げ、彼は木陰から陽の当たる場所へと歩き出る。俺がその後ろを続くように歩き出すと、彼は一度振り返ってみせた。

 ふわりと風が舞う。巨木に茂る緑が左右に揺れて騒めき、白雲の流れる青空は何処までも澄んでいる。

 金に染められた短髪は傷みが無くさらりとそよ風に流れ、切れ長のブラウン系の眼が此方を見やってゆるりと甘く笑っていた。


ーーあぁ、目が眩みそうになる。


 頭上から降り注ぐ陽の光を浴びて俺に笑顔を向ける彼は、何故こんなにも眩しいのだろう。


『ユウ、確か水族館に行ったこと無いって言ってたよね。だから今日は水族館に行こうよ。オレが小さい頃に家族みんなで行ったとこに連れてったげる』


『っ!、驚いた。行ったこと無いって言ってたの覚えててくれたんだ...嬉しい』


『嬉しい?ユウが喜んでくれるとオレも嬉しいよ!でも驚くのは早いかな。ジンベエザメとか、アーチ型の水槽とか見たら絶対ユウの目ん玉がビヨーンて飛び出るから。目ん玉はまだ仕舞っておいてね』


 脳内で再生される思い出の中の彼は、夏の日差しに負けないくらいの輝かしさを放っている。

 彼は、俺には無いものを持っていた。だから俺は、東山太陽という人間に惹かれていたんだ。その『俺には無いもの』は、きっと、この目が眩むような心地良い光の全て。


「...もう、寝る時間か」


 秒針の規則通りに動く音だけが小さな部屋に響く。時刻は11時6分を指しており、閉め切ったカーテンの向こう側には黒い夜が広がっている。

 俺は消灯した自室のベットで横になり、スマホの無料通話アプリMIME(マイム)のトーク画面を開いた。


『じゃあ、今週の土曜10時ににいつもの公園に集合ってことで!』


『了解。楽しみにしてる』


『オレも!土曜まであと3日もあるのに既にフワフワしてる!初めてユウの家に遊びに行くからドキがムネムネ!知ってる?友達の家に遊びに行く時の鉄板はエロ本探しなんだぞ!』


『へぇー、それは知らなかった。今度太陽の家にお邪魔した時はエロ本探しをしよう。いやー、良いことを聞いたなー』


『やめて!ベットの下は探さないで!』


『白状が早すぎる』


 交互に送り合っていたメッセージを画面の一番上から黙読する。改めて読んでみても下らないと感じるレスポンス。けれど、やり取りをしていた当時の楽しい気持ちが僅かに思い起こされて、くすりと笑った。


『あ、そろそろ11時だからユウの就寝時間だね。明日は放課後会える?』


『会える。から、また明日。おやすみ』


『また明日!おやすみ』


 最後の一文まで読み終えて、トーク画面を閉じる。スマホをサイドテーブルに伏せて置き、掛け布団と毛布を肩辺りまで引き上げて身体を胎児のように丸くした。


「...よるは、きらいだ。はやく...はやく、あさになって」


 鼻の奥がツンと痛んだ。夜は寒い。人工の発光体ばかりが辺りに散っていて、俺が焦がれて止まない陽の光が何処にも見当たらないから。


「たいよう...たいよう......」


 意味も無く彼の名を呼ぶ。堪えていた悲しみが、胸の奥から込み上げた熱と共に、冷たい涙となってこめかみと枕を濡らした。

 明日は約束していた土曜日。でも彼は明日、公園には決して現れないのだ。何分、何時間、何日経とうが、彼は彼を待つ俺の前に姿を現さない。

 初めは受け入れられなかった。けれど、2日目が終わろうとしている今ではとっくに理解していて、受け入れなければならないと分かっていた。そう、俺は認めなければならないのだ。もう、この世界の何処にも、彼が存在していないことを。


「さむすぎて...しんでしまいそうだ」


 水気を帯びた両眼を無理矢理閉じる。今は眠れなくとも、暫く経てば自然と寝れている筈だ。昨日の夜だって、散々泣いた後は気付いたら朝だった。

 暗闇だけが見える目蓋の裏で、カーテンを開けた窓から暗い室内へと射し込む柔らかな光を想像し、小さく息を吐く。


 目を瞑れば朝が来る。

 東山太陽が死んで3日目の、朝が来るのだ。

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