第2話 キオクノート

ピンポーン

細い指先で押した玄関のチャイムが鳴る。

「はーい。」

家の中から応える声が聞こえた。

「あのぅ、昨日隣の303に引っ越してきた佐々木と申しますが…」

女は丁寧な口調で、失礼の無いように最大限のいい声を出すように努める。

「あっ、はいはい。佐々木さんね。ちょっと待ってね。」

表札を見ると「八木」と書かれている。

ドタドタと少し足音が聞こえたかと思うと、

ドアが開き、中の住人が顔を出した。

改めて、佐々木は

「あっ、すいません。昨日隣の303に引っ越してきた佐々木と言います。」

と挨拶をし、手にしていた小包を差し出すと、

「つまらないものですが、どうぞ。

 ご迷惑をお掛けすることもあるかもしれませんが、

 よろしくお願いします。」

と言った。

すると八木は少し「あれ?」という顔をして

「えーっと、昨日もいただきましたよ。ご挨拶とあと、ご挨拶の品も。」

と言って笑顔をつくった。


また、やってしまった!


と佐々木は思った。

「あっ!と、そうですよねー。

 あの…昨日はその…失礼があったのではないかなと思いまして。

 改めてご挨拶を、と…」

佐々木がはぐらかすように言うと、

「んーん。全然!かわいいの貰って、娘も喜んでたのよ。わたしのーって。」


ん?かわいい?…。


彼女にとってそれはノートに文字を書いたり、

書いた文字を消しゴムで消していくようなものだった。

対象の頭やこめかみに手を添えて集中をすると、

頭のなかに文章が浮かんでくるので、

その文章に新たな内容を追加したり、消したりする。

つまり佐々木には人の記憶を書き換える能力があった。


八木が家の奥に向かって

「美香、ちょっとこっちに来てー!」

と手招きと合わせて呼び声を上げた。

中からドタドタと歩幅の小さい足音がせわしなく聞こえたかと思うと、

3歳ぐらいの女の子が現れた。

「美香、ごあいさつして。佐々木さんよ。」

美香という女の子は少し恥ずかしそうに、八木の後ろにやや隠れた姿勢をとっている。

佐々木が膝に手をついて少しかがんだ姿勢になり、

「こんにちは。」

と声をかけるとやはり恥ずかしそうにして、

「こん にち は。」

と答えた。

「ほら、美香。昨日もらったでしょ。ぬいぐるみ。ぬいぐるみくれたの佐々木さんなのよ。」

と八木が言うと、美香は少しニヤッと笑みをつくった。

よほど昨日のご挨拶の品を気に入ってくれているようだ。

「ちょっと恥ずかしがりやさんなのよねー。」

と言って美香の頭をなでると、

「奥で遊んできていいよ。」

と言った。

お母さんに促され、美香はまたドタドタと家の中へ戻っていった。


記憶を書き換えるのはとても危険なことだ。

と佐々木は知っている。

ひとつ書き換えればそれで済むものでもなくて、

時には、依り集まった別の記憶をノックして一緒に消えてしまうこともある。

だから、佐々木は能力を誰かに使うことはしない。

そんなひどいこと出来るもんですか!

と思っている。

でも、自分に対しては別だった。

小さい頃から、嫌なコトや、困ったことがあった時には、

こめかみに手を添えて、浮かんだ文字を消してしまう。


「ま、何かわからないことや困ったことがあったら、

 いつでも声かけてくれたらいいから。」

と八木が言うと、

「ありがとうございます!また、よろしくお願いします!

 これ、2個目ですが、どうぞ!」

と佐々木は小包を差し出した。

「ありがとう。じゃぁ、2個目だけどいただいておくね。」

と八木は小包を受け取った。

「じゃぁ、失礼します。」

「ありがとうね。」

と言ったところでまた、家の奥からドタドタと足音が聞こえたかと思うと、

美香が両手でぬいぐるみを持って、佐々木の方へと突き出し、

「ありがとう!また来てね!」

と言った。


これか…。

ぬいぐるみを見てなぜ記憶を消したのか理由がわかった。

美香が大事そうに持っていたヤギのぬいぐるみ。

八木さんにヤギか…。

きっと恥ずかしかったんだな私…。


「大事にしてね。じゃぁ、失礼します。」

と笑顔で言って、佐々木は八木宅を後に、

マンションの廊下を自宅へと向かった。


やってしまっていた…。

確かに恥ずかしい。

八木にヤギ。

なぜに、インターホンを押す前に気が付かなかった、昨日の私。


ぬいぐるみをプレゼントした記憶を消していたことで、

紐付いた昨日のご挨拶の記憶が消えてしまっていた。


なぜに、ヤギのぬいぐるみをチョイスしたんだ、昨日の私。

他のご近所様には一体何を持って行ってたんだろうか…。


でも美香ちゃん、喜んでくれてたな。

この記憶は消さないぞ。

と佐々木は思った。


おしまい。

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