守護の力

「今日は一段と寒いな~」


 白い息を吐きながら外に面した廊下を歩いていた。


(それにしてもこの国の人って寒さに強いよね~。カルーラ王国より多少厚着だけど、ほとんど変わらない服を着て皆平気そうだし。私なんてコートを着てても寒いのに……やっぱり育った環境が違うからかな?)


 ちらりと行き交う人々の服装を見て疑問を浮かべるが、だからといって理由がわかるわけでもなく考えるのを止めて目的の場所に向かって足を進める。


「えっと、大聖堂は……ああ、あそこね」


 連なる樹木の上から覗く特徴的な屋根を見つけ、私はそこに繋がる廊下を目指す。

 実は出来上がった書類を大聖堂まで届けに来たのだ。

 一応心配したフィンが一緒に行きますと言ってくれたのだが、フィンの机に山積みになっている書類を見て丁重に断った。


(しかしあの鬼上司……私が入ったことをいいことに、次から次に仕事受けすぎなのよ! 全然仕事の量が減らないんだけど!)


 私の机にドンと書類を置いていったフレデリックを思い出し、目を据わらせる。


(だけど今回この大聖堂からの仕事があったお陰で、気晴らしに部屋から出られたのはよかったな~。それがなければ、今ごろずっと机にかじりついていただろうから。……まあでも考えてみれば、殿下の机に置かれている大量の書類に比べれば私のなんて可愛いものか)


 皆が作った書類を最終確認するのはフレデリックなのでどうしてもその分、人より仕事の量が多くなっているのだ。


(……あの人、ちゃんと休めているのかな?)


 ふとそんな疑問が沸く。

 なぜなら私達には定時で帰らせるのに、自分はそのまま部屋に残り、そして次の日にはフレデリックの机の上にあった大量の書類が綺麗に片付いているからだ。

 そのことを思い出し、ふと足を止めて手に持っている書類を見つめる。


「……うん。これ届けたらすぐに戻って、残りの仕事をちゃっちゃと終わらそう! そして余裕の表情で、殿下の仕事を奪ってやるんだから!」


 そう意気込み、再び歩き出したのだ。


  ◆◆◆◆◆


 周りに誰もいないその場所で私は一人、大きくそびえ立つ大聖堂を見上げしばし見入る。


「城からはよく見えなかったけど、ここすごく綺麗な建物なのね……」


 美しい彫刻とステンドグラスが白い神殿に映え、神秘的な雰囲気を醸し出していた。


(確かこの大聖堂には、類稀な力の持つ総大司教がいるんだよね。その力がなんなのかは聞かなかったけど、とても人々から敬われているとか。どんな人なんだろう?)


 私はふと真っ白な口髭を生やし、司祭の服を着たお祖父様が頭に浮かんだ。


「あ、駄目だ。もうお祖父様の姿しか想像できない。……まあいいや。用事があるのは総大司教じゃないし、まず会うこともないだろうから考えるのは止めよう」


 気を取り直し、私は扉を開けて大聖堂に入ろうとしたその時、視界の端に何か白いモノが横切る。

 不思議に思い視線を向けると、白くふわりと揺れる布が建物の影に消えて行くのが見えたのだ。


「なんだろう?」


 気になった私は扉から手を離し、廊下から雪の積もる外に出てその場所に向かうことにした。

 そして建物の角までくるとそっと顔を覗かせる。するとそこには温室があったのだ。


「こんな所に温室?」


 困惑しながらも地面を見ると、温室に向かって足跡が繋がっていることに気がつく。


「……あそこにさっき見えた人? が向かったんだ」


 私は好奇心を抑えることができず、温室に近づくとそっと扉を開いて中を覗き見る。

 その途端、暖かい空気が顔を撫でそして鳥のさえずり声が聞こえてきた。


(鳥?)


 戸惑いながら中に入ってみると、そこは多くの観葉植物が置かれ様々な鳥達が飛び交っていたのだ。

 その光景に呆然としていた私は、鳥達がある一カ所に集まっていることに気がつく。

 私はなんだか気になりその場所に向かってみることに。

 そして観葉植物の森を抜けた先で私は息を呑み固まる。


(なんて綺麗なの……)


 そこには椅子に座り鳥と戯れている人がいたのだが、そのあまりにも人間離れした美しさに驚く。

 その人は腰まで伸びた白くなめらかそうな髪と、宝石のような紫色の瞳で、指にとまっている鳥を見つめ微笑んでいる。

 おそらく二十代後半ぐらいだろう。しかし中性的な顔立ちをしているため、正直ここからでは性別は判断できない。

 ただわかるのは白い立派な司祭の服を着ているので、大聖堂の関係者であることだけだった。

 なんだか神秘的で近寄りがたい雰囲気に、しばしその場で見惚れていると、その人は私に気がつき視線をこちらに向けてきたのだ。


「っ!」


 目と目が合い思わず言葉を呑み込むと、体がビクッと反応する。

 そんな私の様子を不思議そうに見ながらも、ふわりと微笑んで手招きをしてきた。


「そんな所に立っていないでこちらにいらしてください」

「いや、えっと……あ! 勝手に入ってしまいすみません。すぐに出ていきます!」


 完全に不法侵入であることに気がついた私は、頭を下げ慌てて出ていくことにした。


「待ってください。せっかく来たのですから」

「ですけど……」

「私は気にしていませんよ。それにその子達も貴女を歓迎していますから」

「え?」


 誰のことかと思ったと同時に、私の肩に鳥が一羽とまった。

 さらに私の上空でも数羽旋回するように飛んでいたのだ。

 どうやらこの鳥のことを言っていたらしい。

 ここはおとなしく従った方がいい気がして、出ていくのを諦めた。


「わかりました。少しだけお邪魔させていただきます」

「ええ、どうぞ」


 その人は空いていた椅子を手で示してきたので、私は軽くお辞儀をしてからそこに座る。

 するとそれを待っていたかのように、他の鳥も私の周りに集まってきたのだ。


「ふふ、ちょっとくすぐったいわ」


 肩にとまっている鳥が頬にすり寄ってきたりするので、思わずクスクスと笑ってしまう。


「貴女はとても心の優しい方なのですね」

「え?」

「その子達は人の心がわかるのか、優しい人にしか懐かないのです。逆に悪意や下心のある人には、それなりの態度を示すのですよ。しかし……そこまで懐かれた人は初めて見ました」

「そうなのですか?」

「ええ。近づくことはあっても、肩に乗りすり寄ることまでされた人は私以外いません」


 そんなに珍しいことなのかと思いながらも、鳥の頭を撫でてあげると、とても嬉しそうに鳴いてくれたのだ。


「そういえば貴女のお名前をお聞きしていませんでしたね。私はノア・フランシアです」

「申し遅れました。私はテレジア・ディ・ロンフォルトと申します」

「テレジア……もしかして貴女が、アスラン王子が話されていた女性でしょうか」

「アスラン王子? ノア様はアスラン王子と仲がよろしいのですか?」

「ええ。たまにここに来てくださって、お話をすることがありますよ。実はここにある観葉植物は、全てアスラン王子に頂いた物なのです。ああちなみに私のことは、ノアと呼び捨てにしていただいて構いません」

「わかりました。ではノア、少し質問をしてもよろしいでしょうか?」

「どうぞ」

「えっと……大変失礼なことだと思いますが、ノアは……男性ですか? 女性ですか?」


 私の質問に一瞬驚くが、すぐに笑みを浮かべ答えてくれた。


「ふふ、男性ですよ。まさかそのような質問をされるとは思ってもいませんでした」

「ごめんなさい。ただ間違っていたらそれこそ大変ですし、それなら直接聞いた方が早いかなと思いましたので」

「べつに謝らなくていいですよ。むしろ疑われるよりも、聞いていただいた方がこちらも早いですから」

「ありがとうございます。それでもう一つお聞きしたいのが、ここはなんのための施設なのでしょう? ノア以外には誰も見えないようですし……」


 周りを見回すが、やはり他に人がいる様子はなかった。


「ここは私のために作っていただいた温室なのです」

「ノアのため?」

「ええ。私の心が休まるようにと」


 ノアは複雑そうな微笑みを浮かべ鳥達を見つめた。

 その姿に私はハッとして慌てて謝る。


「ごめんなさい。せっかくの安らぎタイムを、私が邪魔してしまいましたね」

「いえ、さきほども言いましたが気にしていませんよ。むしろアスラン王子からお聞きしていたテレジア嬢と、こうしてお話ができて嬉しく思っていますから。しかしお聞きしていた通り、他のご令嬢とはどこか違いますね」

「そうでしょうか? まあ……ようやく解放されたことで、少し好きなようにはしていますが……」


 悪役令嬢時代のことを思い出し苦笑いを浮かべる。


「解放?」


 私の言葉に、ノアは不思議そうな顔を向けてきた。


「あ、いえ、こちらのことです。それよりも、ノアってお話ししてみると意外と普通なのですね」


 なんとか誤魔化そうとにっこりと笑い、別の話をすることにした。

 しかしなぜかノアは、私を見ながら目を大きく見開いたのだ。


「私が……普通?」

「あ、いえ、あの~普通と言っても悪い意味ではないですからね! 最初に見た時になんだか神秘的な雰囲気を感じていたから、普通にお話ができてホッとしたという意味で……」


 慌てて言い繕うがノアは全然私の話を聞いていない様子で、呆然としたまま動かなくなってしまった。


(そんなにショックだったんだ。しまったな~。確かに人によっては、普通と言われて気分を害する人もいるってこと考えてなかった。悪いこと言っちゃったな……)


 今更言ってしまったことを消すことはできないので、どうしようかと困っていると、ノアが険しい表情で視線を下げ、口元に手を当てながらぶつぶつと何かを言い出した。


「普通、普通、普通……私が普通……」


(うわぁ~相当気にしている)


 ここまで気にされるとは思っていなかったので、私は何かいい言葉はないか必死に考えを巡らせ始める。

 だけど突然ノアがバッと顔を上げ、満面の笑みを向けてきたのだ。


「ありがとう、テレジア嬢! そのようなことを私に言ってくれたのは貴女だけです! そう、私は普通なのですよね?」

「え、ええ」


 予想に反してすごく喜ばれていることに驚き、若干引きながらも頷いてあげる。

 するとさらに表情を和らげて喜ばれてしまった。


(……一体なんなんだろうこの反応)


 訳がわからないが、とりあえず怒ってはいないようでホッとする。

 色んな意味でうっすら汗をか始めてきたので、書類を近くの机に置きコートを脱ぐことにした。


「ふ~涼しくなった」

「……テレジア嬢、貴女は守りの加護を受けていないのですか?」


 ようやく冷静さを戻したノアが、私を見ながら不思議そうに声をかけてきた。


「守りの加護?」

「ああそういえば、アスラン王子が言っていましたね。テレジア嬢は他国からこの国に来たのだと」

「それが守りの加護というモノとなんの関係があるのですか?」


 全く話が見えず戸惑っていると、ノアが席を立ち私の前までやってきた。

 そしてスッと跪くと、私の右手を取ってきた。


「ノア?」

「テレジア嬢、貴女に守りの加護を」


 そう囁くとそっと手の甲に口づけを落としてきたのだ。


「っ!」


 思わぬ行動に私の顔が一気に熱くなるが、次の瞬間、体全体が何かに包み込まれた。


「何、これ?」


 とても心地よい感覚に困惑していると、ノアが私の手から唇を離し立ち上がった。


「問題なく加護を受けられましたね」

「えっと……ノア、これは一体なんなのですか?」

「守りの加護です。それは体を包み込むような結界が張られているので、この国の厳しい気候でも快適な温度で過ごすことができるのですよ。もちろん暑さにも対応しています」

「そのような魔法、初めて聞きました!」

「この魔法は、代々私の家系……それも男子にのみしか使えない希少な魔法なのです。だから他国にまでは知られていないのでしょう」


 改めて自分の両手を見つめてみるが、なんの変哲もない。

 だけどさきほどまで感じていた暑苦しさは全く感じられなくなっていたので、本当に守りの加護を受けているようだ。


「あ、そうか。だからこの国の人々は、皆厚着をされていないのですね」

「この国に生まれた者は、守りの加護を受けていますからね」

「なるほど」


 ずっと疑問に思っていたことが解決し、スッキリした気持ちになる。


「ノア、私にも守りの加護をしてくださってありがとうございます」

「いえいえ。実は貴女には、特別強い守りの加護をかけておきました」

「そうなのですか!」

「きっと貴女の身を守ってくれることでしょう」

「ありがとうございます」


 優しく微笑まれ、私は立ち上がってもう一度お礼を言う。


「総大司教様! こちらにお見えですか!?」


 突然そんな声が聞こえ驚いて入り口の方を見ると、そこには司祭の服を着た一人の男性が立っていた。

 そしてキョロキョロと辺りを見回し私達に気がつくと、こちらに向かって駆けてきたのだ。

 その途端、鳥達は上空に飛び立ってしまった。

 しかしその司祭服の男性はそのことに気にも止めず、ノアの前で足を止める。


「総大司教様! そろそろ謁見の時間です。お戻りください」

「もうそんな時間ですか。わかりました。テレジア嬢、すみませんが私はこれで……テレジア嬢?」


 ノアが私に声をかけようとしたが、私の顔を見て困惑していた。

 それもそのはず、なぜなら私は唖然とした顔でノアを見ていたからだ。


「えっと……私の聞き間違いでなければ、ノアが総大司教様?」

「ええそうです。言っていませんでしたか?」

「聞いていません!!」


 思わず大きな声を上げてしまう。

 そんな私を、呼びに来た司祭の男性が眉間に皺を寄せて睨んできた。


「お前! 総大司教様に対して無礼だぞ! この方は特別な方なのだからな!」


 その瞬間、ノアの表情が一瞬曇ったように見えた。

 しかしすぐに表情が戻り、男性を落ち着かせる。


「いえいいのです。それよりもこの女性に失礼な態度を取ってはいけませんよ」

「ですが総大司教様!」

「私がいいと言っているのです。それでは駄目ですか?」

「うっ、わかりました」


 男性は渋々頷くが、目はまだ納得していない感じだった。

 どうやら相当ノアに心酔しているようだ。


(それにしてもノアが総大司教だったなんて……ああでも、あの守りの加護が類稀な力ってことか。うん、納得。そりゃ人々に敬われるよ)


 心の中で何度も頷いていた私の目に、机に置いたままの書類が映った。


「あ!」


 私の声に二人は驚くがそんな場合ではない。

 さすがに時間がかかり過ぎてしまったと焦り、慌てて脱いだコートと書類を手に取る。


(これは絶対戻ったら殿下に怒られる!!)


 内心焦りながらもノアにぺこりと頭を下げた。


「ノア、ごめんなさい! 急いで行かないといけないから私、先に失礼させていただきますね! お話しできて楽しかったです」


 そう言ってノアのそばを横切ろうとした。

 しかし突然私の手首を誰かに掴まれたのだ。


「へっ?」


 驚いて振り向くと、ノアが私の手首を掴んでいる。


「ノア? どうかしたのですか?」

「え?」


 私の問いかけにノアも、驚いた様子で掴んでいる自分の手に視線を向けた。


「私はどうしたのでしょう?」

「いや、私に聞かれましても……それよりも離していただけませんか?」

「……なぜか離したいとは思えないのです」


 戸惑った表情を向けられるが、私も困ってしまう。

 すると黙って私達のやり取りを見ていた男性が、不機嫌そうに間に割って入ってきた。


「総大司教様、お時間です! さあ行きましょう!」


 そう言ってノアの手を私から離すと、その背中を押して歩かせ始めた。

 しかし数歩いった所でノアはこちらを振り向き口を開く。


「テレジア嬢、またここに来てくださいね」

「あ、はい」


 思わずそう返事を返してしまい、男性にキッと睨まれてしまった。

 そうして二人が出ていくまで立ち尽くしていた私は、ハッと思い出し慌てて書類を届けに大聖堂まで走ったのだ。

 その後、案の定総務部に戻った私に、フレデリックの雷が落ちたのは言うまでもない。

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