仕事の才能

「はい。できたわ」


 私はフレデリックの机の前に立ち、作り上げた書類を手渡す。


「もうできたのか? ……まあどうせ適当に書いたものだろう。それでも少しは見れるといいが」

「いいから確認して」


 ムッとしながらも早く見るように促した。

 フレデリックはじっと私を見てから小さくため息をつくと、視線を書類に落としてしばし無言で目を通す。


「……お前、これは」

「あら、どこか間違っていた? だったらすぐに直してくるけど」

「いや…………完璧だ」


 そう呟きフレデリックは、信じられないと言った顔で私に視線を戻した。

 その瞬間、周りからどよめきが起こる。

 一体なんだろうと思い、ちらりと周りに視線を向けると、皆仕事の手を止め驚愕の表情でこちらを見ていたのだ。


「おい、俺は夢でも見てるのか? あの殿下が一発でOKを出すだなんて……」

「もしや今日、嵐がくるんじゃないか!?」

「オレここ長いけどさ、こんなの初めて見たぜ」

「あの令嬢一体何者なんだ?」


 そして一斉に私に視線が集中する。


(何者って……ただの普通の令嬢だよ)


 皆の反応に呆れていると、フレデリックが私に問いかけてきた。


「……お前の家は、娘にもこんな勉強を教えているのか?」

「私が勉強したいと頼んだのよ」

「お前から?」


 戸惑いながらもフレデリックは再び書類に目を落とす。


(実は悪役令嬢を全うしたことで、もし家を追い出される事態になったとしても、一人で生きていけるようにと思って、お父様にお願いして幼い頃から色々と勉強していたんだよね~。まあ結局追い出されることはなかったけど。それに前世でも書類仕事はよくしていたし、これぐらいは簡単にできるよ。でもまさか前世の経験が、こんなところで活かされるとは思ってもいなかったな~)


 心の中で苦笑しながらも、フレデリックが一番下の段に確認のサインをしているのを見ていた。


「フィン、すまないが至急これを届けてやってくれ」

「あ、はい。わかりました!」


 フィンは元気よく返事をすると書類を受け取り、キラキラした目でちらりと私を見てから急いで部屋から出ていった。

 その後ろ姿を見送りながら、やはり犬っぽいな~と思っていた。


「……テレジア」

「え?」


 さきほどまでずっとお前呼ばわりだけだったので、まさか名前で呼ばれるとは思わず、驚きの声を上げてフレデリックの方を向く。


「テレジア、まだ時間はあるか?」

「時間? ……ああ! お祖父様!」

「お祖父様? ああデイルのことか。デイルがどうかしたのか? そういえば一緒ではないようだが」

「私、先に馬車の方で待っているように言われていたのに、だいぶ時間が経ってしまって……きっとお祖父様、私の姿がなくて心配されているかも。急いで行かないと!」


 私はすぐに踵を返し部屋から出て行こうとした。

 しかしそんな私をフレデリックが呼び止めてきたのだ。


「待て」

「何? 私、急いでいるのだけれど」


 若干不機嫌そうにしながら振り返ると、フレデリックは周りに視線を送っていた。


「おい誰か、馬車乗り場で待っているデイルに伝言を頼めないか?」

「デイルって……まさか前宰相のデイル様のことですか!?」

「ああそうだ」

「で、ではこのご令嬢はデイル様の孫娘……ああなるほど。でしたらすごいのも納得です」


(お祖父様……どれだけ在籍中はすごかったの?)


 皆が私を見て何度も頷いてくるので、頬を引きつらせたのだ。


「それで行ける者はいるのか?」

「あ、僕丁度手が空いたので行けますよ?」

「なら頼む。デイルに孫娘のテレジアはしばらくフレデリックのもとにいるから、先に帰宅してくれて構わない。帰りはこちらが責任を持って、ランペール邸まで送り届けることを約束しよう。と伝えておいてくれ」

「わかりました! では行ってきます」

「ちょっ、何勝手なことを……」


 戸惑っているうちに、伝言を頼まれた一人男性が駆け足で出ていってしまった。

 私はすぐにフレデリックに抗議の声を上げる。


「一体なんなの!? もう私がここにいる必要ないじゃない! 私はお祖父様と一緒に帰るわ!」

「お前が必要だ」

「……っ!」


 フレデリックの突然の言葉に思わず言葉を詰まらせ、次第に顔が熱くなる。


「な、な、な、何をいきなり言い出すの!?」

「その言葉の通りだ。テレジアのその才能が必要だ」

「……ああそういうことね」


(ドキドキした私が馬鹿だった……)


 目を据わらせてフレデリックを見ると、当たり前のように書類の束を私に差し出してきたのだ。


「……何?」

「仕事だ」

「いや、やるとは言ってないわよ?」

「それに必要な資料はこれだ。それが終わったら次はこれをやってくれ」

「ちょっ、私の話を聞い……」

「それらは今日までの期日のやつだからな」

「なっ!?」


 一通り書類を私に渡し終えると、フレデリックは自分の仕事に戻り集中しだしてしまった。

 そんなフレデリックに唖然とするが、持たされた大量の書類を見て小さくため息をつくと、さきほど借りた机に戻っていったのだった。


  ◆◆◆◆◆


「疲れた……」


 すっかり日も暮れたころ、ようやくランペール邸に帰ってきた私は、馬車を降り疲れた表情で呟いた。

 結局あの後、フレデリックに次々と仕事を渡されひたすら書類を作らされていたのだ。

 そうして全てを終わらせると、約束通りに私を送り届けてくれた。


「テレジア、明日の朝も迎えにくるからな。ちゃんと起きて待っていろ」

「……」


 馬車の窓から私にそう告げるフレデリックを、胡乱げな目で見返す。


「私、行かないから」

「必ずこい」

「いや……」

「出してくれ」


 さらに抗議の声を上げようとした私を無視して御者にそう告げると、そのまま馬車は走り出しあっという間に見えなくなってしまった。

 私はその場で呆然と立ち尽くし、そして頭を抱えて天を仰ぐ。


(なんでこうなった!!)


 心の中で大きな叫び声を上げた。

 しかしいつまでもここで嘆いているわけにもいかないので、玄関扉を開け中に入る。

 とそこにお祖父様が立っていたのだ。


「テレジア!」

「お祖父様、ただいま帰りました」

「うむ、お帰り。しかし殿下の馬車が見えたから急いで降りてきたのだが……一体何があったのだ? ワシに伝言を伝えに来た者の話では、殿下に気に入られたとか」

「気に入られた? いえそういうわけでは……とりあえずここではなんですので、場所を移してお話しいたします」

「ああそうだな。セバスにすぐ茶の準備をさせよう」


 私はお祖父様と共に応接室に移動したのだった。







「……と、いうわけなのです」

「ふむ……」


 応接室で事の経緯を説明し終えると、お祖父様は顎髭を撫でながら考え込んでしまう。


(やっぱりただの令嬢が、文官の仕事を手伝ったなんて信じられないよね)


 お祖父様の表情を見ながら、複雑な気持ちで次の言葉を待つ。

 するとお祖父様は視線を私に向け、口を開いてきた。


「テレジア」

「はい」

「すごいではないか!」

「…………はい?」


 突然顔を綻ばせ、誉めてきたお祖父様に私は困惑する。


「何がすごいのですか?」

「殿下に認められたことだ。そもそも殿下のおられる総務部は、誰でも入れるところではないのだよ。優秀な才能を持った者しか入ることができない部署で有名でな、さらにそこをまとめておられる殿下は、群を抜いて優秀な才能をお持ちなのだ。その殿下に外部の人間が直接仕事を頼まれることは、とてもすごいことなのだぞ」

「そう、なのですか」


 お祖父様の力説に若干引きながらも、あの部署で働いていた人々を思い浮かべる。


(あの人達、そんなにすごい人達なんだ。となるとフィンもか……人は見た目ではわからないものね)


 あの可愛らしいフィンの顔を思い出しながら、苦笑を浮かべた。


「テレジア、ワシの話を聞いているのか?」

「え? あ、はい。聞いています」

「……まあいい。それで明日も殿下のもとに行くのだろう?」

「そう言われていますが……やはり行かなくてはいけないのでしょうか?」

「殿下直々の要請だからな。逆らうことは難しい。まあせっかくだ、これもいい経験となるだろう。頑張ってきなさい」

「……はい」


 お祖父様はそう言うが、その表情からしてあわよくば殿下と上手くいって欲しいと思っているのがバレバレだった。

 まあそれは絶対ないけど……。


「テレジア姉さん、お帰りなさい!」

「あらヒース、ただいま」


 ノックの後、部屋に入ってきたヒースに笑いかけると、嬉しそうに私に駆け寄り抱きついてきた。


「ヒース!?」

「姉さんがなかなか帰ってこないから、心配していたんだよ」

「心配かけてごめんね」

「ううん、いいよ。それよりも明日は一日一緒にいられるよね? 僕、姉さんとしたいことが沢山あるんだ~」

「あ~ごめんね、ヒース。明日もお城に行かないといけなくなったの」

「え?」

「正直私だってヒースと過ごしていたいけど……フレデリック殿下の命に逆らうことはできないから」


 ヒースを体から引き剥がしながら、目を据わらせる。


「フレデリック殿下の命?」

「あ~う~ん。まあ色々あって、殿下の仕事を手伝うことになってしまったの」

「それはいつまで?」

「……わからないわ。あの様子だと、まだまだ仕事させられそうだったし……」

「……」


 私の言葉を聞き、ヒースは何か考え出す。


「ヒース?」


 しかし私の問いかけにも答えず、ヒースは扉の方に振り返った。

 そこにはヒースの父親で私の叔父である、ディラン・ロン・ランペールが立っていたのだ。


「父上、僕も明日から登城します」

「それは私の仕事を覚えるということか?」

「はい」

「そうか。ようやくお前も、跡継ぎとしての自覚を持ってくれたか」


 叔父様は目に涙を浮かべて喜んでいた。


「ですが父上、それでも僕の将来は自分で決めるつもりでいます。代々ランペール家で引き継いでいる宰相職も、言われるままなるつもりはありません。もちろん僕の結婚相手もです」

「ヒース……」


 真剣な表情のヒースに、叔父様は諦めたようにため息をつく。


「わかった。だがお前の才能であれば、宰相として十分にやっていけるのだがな」

「それは親の贔屓目ですよ。僕よりも宰相に相応しい人がいれば、その人を選んでください」

「……まあいい。それでも私の仕事を覚えようとしてくれただけマシだな。では明日、私と一緒に行こう」

「いえ、僕はテレジア姉さんと一緒に向かいます」

「え?」


 まさか私の名前が出るとは思ってもいなかったので、驚きの声を上げる。


「えっとヒース、私はフレデリック殿下が迎えに来てくださる馬車で行くことになってるから、一緒には……」

「その馬車に同乗させてもらうよ。どうせ同じお城に行くんだし、僕一人増えても問題ないと思うからさ。それに少しでもテレジア姉さんと一緒にいたいんだ。駄目かな?」

「うっ」


 潤んだ瞳で見てくるヒースに、私は言葉を詰まらせた。


「……わかったわ。明日殿下にお願いしてみる」

「ありがとう姉さん!」


 ヒースは再び嬉しそうに私に飛びついてきたのだった。




次の日の朝──。


「おはようございます。フレデリック殿下」

「……」


 私の隣でにこにこと笑みを浮かべているヒースを見て、フレデリックは戸惑いの表情を浮かべる。


「テレジア、なぜヒースがここにいる? 見送りか?」

「えっと……フレデリック殿下、ヒースも一緒に馬車に乗せてほしいのだけれど」

「ヒースも? ランペール家の馬車はどうした?」

「あるにはあるけれど、ヒースが私と一緒に行きたいと言い出したの。あ、だったら私はヒースと別の馬車で向かうわ」

「……いや、時間の無駄になる。いいだろう。ヒースも乗ることを許可する」

「「ありがとうございます」」


 私とヒースは揃ってお礼を言い、フレデリックの馬車に乗り込んだ。

 そうしてヒースとおしゃべりをしている間に城に到着すると、玄関ホールでヒースと別れ私とフレデリックは総務部の部屋に向かった。


(はぁ~今日もどれだけの仕事をさせられるんだろう……ん? よくよく考えたら、これってタダ働きじゃない? 他の人はお給料貰ってるのに、私だけ無給なんて納得できないんだけど! せめて働いた分の対価はもらわないと!)


 そのことに気がついた私は、自分の机についたフレデリックに抗議するため近づいた。


「殿下! ちょっと……」

「ああテレジア、丁度いい。これに目を通して問題ないならサインしろ」

「え? あ、はい」


 差し出された一枚の紙を思わず受け取り、戸惑いながらも目を通す。

 そして驚愕に目を見開いた。


「こ、これは……」

「雇用契約書だ。もちろん日付は昨日からにしてある。だから昨日働いた分もちゃんと給料に計算されているから安心しろ」

「……」


 私は書かれている文章を隅々まで読み、提示されている金額も適切であることを確かめてから顔を上げる。


「何か問題はあったか?」

「……いえ」

「ではサインを」


 フレデリックにペンを渡されたが、なかなかサインをすることができなかった。


(本当にサインしていいの? 確かに将来のことを考えて、自分で稼ぎたいとは思ってはいたけど……)


 どうするか迷っていると、そんな私にフレデリックが話しかけてきた。


「まあサインするかは最終的にテレジアが決めることだが、そもそも俺はお前に仕事をさせないという選択肢はない。もしサインをしないのであれば、ボランティア(無給)で働いてもらうだけだ。まあ俺としてはそっちの方が支払う給料が増えないから助かるが」

「……サインする」


 私はすぐさまペンを走らせサインすると、フレデリックに突き返す。

 フレデリックはそれを受け取り確認すると、ニヤリと口角を上げて笑った。


「これから頼むぞ。テレジア」

「くっ、よろしくお願いします!」


 もう自棄糞気味に、大きな声で言い放ったのだった。

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