第4話 依頼人探し
追いかけろと言われたって、数本道を往けばすぐに大通りで人通りも多くなる、そう簡単に見つけることなど出来ない。
ならば私に追わせた理由は?
追いつけると思ったから?
走って追いかけてはいるが、追いつける速さだとしても、背のあまり高くない彼女を見つけるのはなかなか骨が折れる。
店に入られればもう無理だ。
それとも、探偵の推理力頼みか?
全くもって馬鹿らしい、行動を推理するのは相手を知らなければ不可能。
性格、家にあるもの、鞄の中身、普段の行動を知るからこそわかるというもの。
けれど一応考えてはみるさ。
まずは彼女がどこから来たかだが、おそらくそう遠くではないだろう。
すぐ近くに大通りがあるとしてもここは住宅街。
私は確かに大通りのコンビニに行った帰りであったが、彼女が事務所に来た理由である黒猫と出会ったのは住宅街の小さな公園でだ。
であったばかりであることを知らず、それでいてその後を知っているのなら、彼女はおそらくこの住宅街のどこかに住んでいて出かけるところだったか帰りだったかに絞られる。
今日は八月五日金曜日、時間は昼過ぎ、社会人の夏休みにはまだ早く、殆どの社会人は今頃せっせと働いている。
ならば彼女は社会人ではなく、おそらく大学生。
この住宅街に一人で住んでいるのだろうから高校生以下ということはないだろう。
そしてなぜ出かけたかはわからないが、それほど重要な事柄でもないはず。
なにせ、確信の無い状態で、もしかしたらという可能性でしかないのに私と猫を追ってきたのだから、誰かとの約束のような時間を取られてはまずい内容ではない。
荷物の少なさから見ても、せいぜい近くで何か買い物をする程度。
事務所に来たとき買い物袋はもっていなかったが、あの小さなカバンに入るようなサイズのものなら買い物後だったとしても私には判別できそうにない。
買い物前なら行動は二択。
買い物をしに大通りの方へ行ったか、意気消沈して家に帰ったか。
買い物後なら行動は一択。
家に帰るだけだ。
大通りの方ならまだいいがもしも家に帰ったのなら、この住宅街で彼女の家を探し回るしか………。
「…………偽名ではない、はず」
住宅地図を手に入れれば家の場所はわかる、けれどあの黒猫が私に彼女を追わせた理由は?
家に向かっているのなら住宅地図を使って後で見つけられる。
つまり今追わなければならないのは大通り側だ。
何を根拠にあの黒猫がそう結論付けたかはわからないが、大通りへ行けば彼女はいるはず。
ただし、人が多い、店も多い、どうやって探す。
ってなる事くらいわかっているはず、それならもっとわかりやすい、見つけやすい何かがあるはずだ。
そう例えば。
「ひったくりだー‼」
男の声が思考の海から引き上げる。
帽子を深くかぶった者が大通りを駆けて来た。
走る速さと息の上がり具合から身体能力をある程度予測し、周囲の人の位置関係とひったくりの焦り具合からルートを予測し、ある程度人のいないスペースで待ち構えひったくりの腕を掴み足を掛け投げた。
…………このカバン。
「ありがとうござい、ってあなたは…………」
ああ、確かにこれはわかりやすい。
ひったくりを捕まえたら向こうからやってきた。
「先程振りですね。ちょうどよかった、あなたを探していたんです」
何故あの黒猫がこの結果を知っていたかはわからない。
ただ、予感がする。
このままでは私は引き返すことが出来なくなるという不確かな予感。
知りたくもなければ信じたくもない不確かなものから、人の言葉を話す黒猫が目を背けさせてくれない。
強風が深い思考から引き戻す。
「取り敢えずどこかでお茶でもしながら話をしませんか?」
鞄を手渡しながら努めて笑顔であの黒猫の事で話がしたいとお茶に誘ったその時、周りの人が騒ぎ出した。
振り返ると、車線を外れるトラックが一台。
動きから見て急ハンドルを切った後横滑りしている。
ブレーキを踏んでいるようだが止まらない。
周囲の人は逃げているがひったくり犯は地面で気絶したまま。
「きゃっ」
聞こえた女性の小さな悲鳴。
靴ひもが地面の隙間に挟まっていることに気付かないまま逃げようとして尻もちをついた杏の声だった。
焦りが加速する。
しかし加速したのは焦りだけでなく思考もであった。
トラックの進行方向、速度、タイヤ及び車体の向きに問題なし。
運んでいる荷物による動きの変化は進行方向を変えるほどの動きはない。
このままいけばひったくり犯は車体の下を潜り抜けて無傷ですむ。
思考を終えて引っかかっている杏の靴ひもを外しながら抱きかかえるように飛ぶ。
自身を下にして地面に着地すると、つま先を掠めてトラックが歩道に、建物に突っ込んだ。
目を開けると道の先でこちらを見つめるボールを持つ子供の姿が見えた。
先の風でボールを追って道路に飛び出て避けようとしたトラックが、ということか。
ひったくりから流れるようにトラックの事故、そして逃げようとして靴ひもが隙間に引っ掛かり逃げられない。
いくらなんでも不幸が重なり過ぎでは?
ってまずい、運転手が。
起き上がった時にはもう運転手は車から降りていた。
大した怪我もなくぴんぴんしている。
ひったくり犯も予想通りタイヤの間、トラックの下を丁度通って無傷で気絶していた。
問題なし、けれどこれは少し時間が掛かりそうですね。
ゆっくりと話をするだけの時間があるかどうか。
ともかくどこか店に入るよりは事務所の方が安全そうですし夜遅くまで捕まるようなことが無ければ事務所で話を聞くことにしますか。
「この後警察に話を聞かれるだろうから、依頼についての話はまた後で」
「それなら多分大丈夫だと思います」
自信満々に杏は言うが、警察相手に融通をきかせるよりはこの場で済ませた方が面倒が少ないようにとそう思っていたが驚くほど早く解放された。
杏はそれはもう何度も何度も事件、事故に遭遇し幾度となく事情聴取を受け、毎度の如く可哀想にまた巻き込まれたのかという扱いを受け続け、今はもう姿を見られるとまた君かという顔をされて軽く話を聞かれる程度で済む間柄になっていた。
むしろ彼女以上に探偵の方がそれはもう嫌な視線を送られた。
「この人は私を助けてくれた探偵の
「初めまして。彼女に猫探しを依頼されている探偵の時津識です」
頭を下げて誠心誠意面倒事から離れようと良い印象を付けようとする。
それがどうにも胡散臭く映ってしまうのが悲しいところだが。
「この人凄かったんです。ひったくり犯を投げて捕まえてちゃうし、トラックに轢かれそうになっているところを、抱きかかえて助けてくれて、ともかく良い人です」
まくしたてるようにして弁護している杏に、警察もあまり強く言えずにいる。
「杏さん。そこまで頑張らずとも今回は事故ですし、紛れもない悪意の元罪を犯したのはそのひったくりだけ。すぐに解放されますよ」
「それなら、いいですけど」
しゅんとする杏を他所にさっさと状況の説明をしていく。
ひったくりが出たという声を聴いて走ってくる犯人を投げたら気絶したという話。
周りが騒がしいので振り返ったらトラックがこちらに突っ込んできてたこと。
あくまで予想でしかないという前置きをしから、動きから見て急ハンドルによって制御できなくなりブレーキを踏んだが荷物のせいで止まることが出来なかったのだろうという話をした。
当然予想でしかない情報をつらつらと並べたので嫌な視線は向けられたが、それでも運転手に悪意があったようには感じなかったから、負う必要のない罪まで負わせる訳にもいかないので被害者の視点から彼はよく頑張って被害を抑えようとしていたとそう口にした。
ただし、あくまで予想でしかないと釘を刺しておいたが。
話を終えるとすぐに解放され、存外時間を取られずに済んだ。
識よりもさらに早く終わっていた杏の元へ行き、事務所で話をする旨を伝え二人で事務所へと帰っていく。
あの件の黒猫がいる事務所へと。
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