第3話 最初の依頼

ガチャリと音がした。

恐る恐る入ってきたのは丸い眼鏡をした地味な女性。

一度外に出てもう一度中に入ると見渡して首を傾げた。


「探偵に依頼があるのならここで間違いありませんよ。事務所兼家なのでそう見えないのも無理はありませんが」


女性はどうにも落ち着かない様子で視線を部屋の中に彷徨わせる。


「どうかされましたか?」


「いえ、何でもありません」


落ち着かない様子でありながら、その声はとても静かで落ち着いていた。

一目見た時から感じていた違和。

角度を変えて顔を見てようやくその正体に気付いた。


「伊達メガネですか」


第一印象は地味な女性だった。

人見知りで、いつも独りで居るような、そんな雰囲気であった。

視線を泳がせていたのも、他人と話す上に他人が生活している空間に入ったことによるものと思い、その印象は強まった。

しかし何でもないと答えたその静かで落ち着いた声は印象とは違う。

突然の問いかけに、あれほどまで落ち着いて答えるのは、人見知りらしからぬ言動に感じた。


「とても似合っていますよ。おしゃれですね」


合わない。

彼女の印象に、伊達メガネが合わない。

何か理由があるのならまだしも、ただのおしゃれだというのなら、彼女は想像とは、第一印象とは、全く違う女性になる。


「…………、…………ありがとうございます」


柄に触れ、口を開き何を言おうか迷った末、お礼だけを口にした。

視線が合わない。

警戒されているようなそんな雰囲気。


「どうぞ、座ってください。飲み物はコーヒーでいいですか?」


ナンパを警戒されたのならまだいい。

けれどもしこの予想が当たっているのなら、面倒くさいことこの上ない。


「あの、いえ、飲み物は…………大丈夫です」


これが彼女の第一印象そのままの姿。

話すのが苦手なこの姿こそ、彼女の素に思える。


「…………わかりました、では依頼について話していただけますか?」


女性の正面に机を挟んで座り、目を逸らす相手の目を見つめて話を聞く。


「猫を、探しているんです」


ぽつぽつと話し始める。

一つ一つ丁寧に。


「飼っていた猫が、突然いなくなってしまって」


非常に落ち着いている。

目を合わせようとはしないが、その視線は時折下がりながらも一点を見つめ続けて。

焦りもなければ慌てることもない。


「そういうことは警察や保健所に任せた方が」


「もう行きました。それでも見つからなくて」


「探すことに特化した業者もいます」


一瞬だけ視線がぶつかりすぐに逸らす。


「あなたに、頼みたい」


正直受けたくない。

明らかに何か言えない事情がある。

探偵という職業を選んだのは、職場を家と合わせれば経費で多少安く済ませられると考えたからであり、多少の頭脳労働も肉体労働も覚悟の上ではあったが、明らかな面倒事には出来ることなら関わりたくない。

何を思ったか既に人の言葉を話す黒猫という特大の面倒事を抱えているが、だからこそこれ以上の面倒事は御免だ。


「その理由は?」


「…………猫を連れていたから」


猫を飼っているから頑張って探してくれそうと?

だったら業者だってやる気に満ちてるだろう。

それでもわざわざ私に猫探しを頼む理由があるとすれば、それは紛れもなく彼女が見たという私と共にいた黒猫に関わる事なのだろう。


「見つけられなかったと結果が出てしまうほど時間が経っている状況で見つけられる自信はありませんが、一応写真を見せていただけますか?」


「……それは、その…………」


「無いのなら無いで構いません。特徴などあれば教えていただけますか?」


無いなら無いで構わないなんてわけがない。

愛猫の写真が無いと言うのならそもそも猫を飼っていたかどうかを疑ってしまう。

無論写真が無かったから警察も保健所も猫を見つけることが出来なかったのかもしれないが、もしも本当にただ飼っている猫を探しているだけなのだとしたら、私では見つけることは出来ないだろう。

何でも出来るわけではないのだから、出来ないと断ることも出来るはずだ。

今ならまだ退くことが出来る。

特徴もわからないと言うのなら。


「黒猫です。黒猫を探しているんです」


「…………他に、その猫にしかないような特徴はありませんか?」


「他の特徴、そうですね…………」


このままでは、あの猫を渡すことになる。

決して嫌なわけではない。

ただ、彼女に渡してはいけないようなそんな気がしていた。

明確な理由がなく、説明することなど出来ない。

けれどそれが、彼女にとって決して得になる事ではないように感じたから。


「わかりました。依頼を受けましょう」


詳細を聞き、渡すしかなくなるよりも先に依頼を受けてしまった。

自分でも何を言っているのかがわからない。

断るべきだったのかもしれない。

けれどそれ以前に、あの時点で依頼を受けるなど間違っている。

そこから先の記憶は曖昧だった。

ただ茫然と自分の行動の理由を探しながら連絡用に電話番号とメールアドレスを控える。

独楽こまあんず、と名乗るが、その珍しい苗字には一切意識が向いておらず反応は出来ない。

呆然としたまま、理解できない自分の行動を考えながら帰る彼女を見送った。


わからない。

何が私にそう行動させたのかが。

ただ、今は一つ確認しなければならない。


扉は無いが分けられた部屋に待機している黒猫に話しかける。


「君は彼女に飼われていたのか?」


彼女は写真を持っていた。

ただしそれは私の後を付いて来るこの黒猫と同じ姿をしている猫だったのだろう。

そしてその猫は自分が飼っていた猫だと彼女は言い出せなかった。

楽しそうに私の後を追ってくる猫を見て、彼女は猫がいなくなったのではなく、猫に捨てられたのだとそう思えてしまったから。


「その質問には答えたくない」


彼女はその猫の特徴に悩んでいたが、それは他の猫とはまるで違う特徴はあるもののそれが目立って他の特徴が思い浮かばなかったからに他ならないのだろう。

その黒猫が持つ唯一無二の特徴は、どうしても気軽に口にすることは出来ない程の特徴であった。

その特徴はきっと、人の言葉を話せるというものだろう。


「では他の質問だ。彼女のメガネは君が用意したものか?」


「ああ。あれは本来であれば見る必要のないものを見ることの出来るメガネだ」


「何が見えるかは」


「……………………」


言えないか、答えたくないか。

少なくとも、彼にはまだまだ隠し事があるようだ。


「それで、何故君は家出をしたんだ?」


「…………それより、あの娘を追いかけた方がいい」


隠し事をしているにもかかわらず、黒猫は視線を一切逸らさない。

その真剣な眼差しに負けて了承した。


「わかった。けど、依頼が片付いたらちゃんと話してくれ」


冷蔵庫から水を一本取り出し、先ほど出て行った杏を追いかけ駆けて行った。

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