3 あんちゃん、何をたくらんどるか知らんが、よくよく案じないとあかんぜ
少々の
「いやはや
サンタクロースは、ばつが悪そうに帽子の横をかきながら、冬也に頭を下げた。
「なにせ人間の大人と話すのは、百年ぶりだったもんでな」
冬也も恐縮して頭を下げた。
「いや俺も、モノホンのサンタに会うのは生まれて初めてなもんで……」
酒場を出るときの、後味の悪さが脳裏に蘇り、
「……まあ、なんつーか、お互い腹ん中の黒いとこは、ちょこちょこ小出しにしといた方がいいですよね。あんまし溜めこむと、キレて仕事しくじったりするし」
「お前さんが言うと、妙に説得力があるなあ」
サンタクロースは、しみじみと言った。
「儂もこの仕事を十七世紀近くやっとるが、近頃、さすがにストレスが溜まるよ。とくに、こないだの大戦後はやりにくい。仕事中に子供が目を覚ましても、儂の姿にまったく気づかんのだ。儂らがこの世にいると信じている頑是ない子供さえ、どこか信じきれない疑いの根っ子を、この世に生やしちまっとる。まったく世知辛い時代になったもんじゃよ」
サンタは、橇に置いてあった大きな袋を担ぎ出し、中から古めかしいガラスの
「ほれ、頭を出せ。薬を塗ってやろう」
――へえ、サンタが担いでる袋は、傷薬まで出てくるのか。
他の中身も気になったが、袋の口がすぼまっているので、冬也には覗けなかった。
近くのベンチに、サンタクロースと並んで腰を下ろす。背板に乳製品メーカーのロゴがプリントされた、レトロ狙いの木製ベンチである。
「切れてはおらんが、けっこう腫れとるな」
「いえ、大したことないです」
本当は、触られるとけっこう痛い。しかし背後では、まだルドルフが警戒心に充ち満ちた目つきで冬也を睨んでいるし、他のトナカイは無表情で何を考えているんだかわからないものの、全頭がルドルフの手下らしいので弱味を見せたくない。
サンタクロースは、冬也のたんこぶあたりに、指でなにやら塗りつけた。
「――ま、こんなもんか。ひんやりして気持ちいいじゃろう」
確かにミント系の冷涼感があった。昔、祖父さん祖母さんが使っていた漢方薬のような匂いもする。北欧あたりの薬草だろうか。
「お詫びの印に、お前さんにも、何かプレゼントをやろう」
「マジですか?」
「おうよ。今年の日本は景気のいい家が多くて、儂らの出番が少なかった。儂らの仕事は、誰にもプレゼントをもらえない子供が相手じゃからな。プレゼントの
「プレゼントの素?」
冬也は意外に思って訊ねた。てっきり、サンタの袋はドラえもんの四次元ポケット的な仕組みだろうと思っていたのである。でなければ、世界中の子供のリクエストに即応できるはずがないからだ。
「儂らの業界では『
サンタクロースは袋の口を開いて、冬也に覗かせた。
なんだかよくわからないぶよぶよした塊が、袋の中でもぞもぞと蠢いている。色も形も、なんだかよくわからない。しかし、ちっとも不気味な感じではなく、ほのかな温もりが冬也の頬まで伝わってくる。
サンタは袋に手を入れると、塊の一部を、むち、とちぎって冬也にさしだした。
冬也は両の掌をお椀にして、その鶏卵ほどの塊を受け取り、
「……つきたての丸餅みたいですね」
餅より軽いが、感触は似ている。
「欲しい物を念じれば、それに変わるぞ。まあ正確には、想念を具現化するためのエネルギーに変わるわけじゃがな」
冬也は根性を入れて念じた。
「………………」
サンタクロースも真剣に見守っている。
「………………」
しかし一分ほど念じても、変わる気配がない。
「…………………………」
「…………………………」
三分たっても、依然としてつきたての餅である。
「……俺の根性が足りないんでしょうか」
「お前さん、何が欲しいと念じたんじゃ?」
「
「まさか札束とか念じておらんだろうな」
「だめですか?」
「あのなあ、そもそもお前さん、念じただけの札束、実物を見たことがあるのか?」
「ありません」
「まあ、たとえそれらしい札束をでっちあげても、どうせ使えまいよ」
サンタクロースは、子供に諭すように言った。
「たとえば万札百枚の束が十束あるとする。本物の日本銀行券なら、その千枚全部の番号が違う。新札じゃなければ記号だって違うかもしれん。そこいらがいいかげんな札を、お前さんが勝手に作って使ったらどうなる?」
紙幣番号の形式以前に、冬也は一万円札の表にいるのが福沢諭吉であることは知っていても、裏の鳥が何の鳥で何羽いるかさえ思い出せない。当然、半端な偽造犯として逮捕されるだろう。
「……五百円玉なら、かなり正確に作れそうな気が」
「あれを一万個も二万個も持ち歩いたら腰が抜けるぞ」
冬也は慄然とした。インディーズ時代に楽器屋でバイトしていたから、レジ用の棒金――銀行が両替する硬貨五十枚の包みは扱い慣れている。五百円玉だと一本で二万五千円。十本あっても二十五万。仮に一千万円あったら――腰にくるどころか、フォークリフトでもないと動かせない。
冬也は次善の策を口にした。
「じゃあ、いい女にします」
サンタクロースは絶望的な顔になって、
「だからなあ、好みの顔とか体格とか見てくれはともかく、お前さんは人間の女の脳味噌とか胃袋とか骨盤の構造とか指十本ぶんの指紋とか――」
「はいはいはいはい、わかりましたわかりました」
冬也は両手でサンタクロースの苦言を制した。
「子供銀行セットとか、リカちゃん人形くらいにしとけってことですね」
けしてサンタクロースに皮肉を言ったわけではない。自分の知的レベルを嘆いたのである。
そこに後ろから、ルドルフが口を挟んできた。
「親方」
「おう?」
「昔、アメリカの片田舎で、哀れな男ん子に、優しい両親をプレゼントしましたろう」
――なんだなんだ、俺を邪魔する気か。
そう思って冬也が見返ると、ルドルフは陰険な三白眼ではなく、むしろ冬也に同情的な目をしていた。
「おう、忘れもせんわ」
サンタクロースは懐かしげにうなずいて、
「まだ小学校にも上がっとらん、あのちっこい坊主な。ありゃあ、一世紀に一度の
――荒事?
冬也は、サンタクロースの言葉に少々違和感を覚えたが、子供に親をプレゼントするというのは、確かに尋常ではない。孤児に里親でも世話したのだろうか。
「儂も、あそこまでの無茶は滅多にやらんのだが、なにせ煙突から忍びこんでベッドの坊主を見たら、血を吐いて真っ青になっとったからなあ。あわてて容態診たら、肋骨が折れとるわ肺がつぶれとるわ、あっちこっち傷だらけだわ――かわいそうに、もう息もしとらんで、すっかり冷たくなって……」
死んでたんかい――。
いよいよ話がおかしくなってきたので、冬也は思わず身構えた。
ルドルフは沈痛な面持ちで、
「そうでしたなあ……そんで靴下の中の手紙読んだら、
「『サンタさん、おねがいですから、ぼくに、あたらしいおとうさんとおかあさんをください。』――あれには泣いたわなあ」
「おいらも千年ぶりに泣きましたで。生活が苦しゅうて喧嘩ばっかりしてる両親を、昔の優しい両親に戻してくれとか、似たような願いは前にも聞いとりましたけど、あんなちっこい子が、実の両親をまるまる別のに取っ替えたいなんぞ、よくよくのことですわ。おまけにその親ども、瀕死の息子をベッドに突っこんで、悪仲間のトリップ・パーティーに出かけとった。ありゃ人間やおまへん。畜生ですわ」
「そりゃ畜生に気の毒じゃ」
「まったくでんなあ。――で、親方が下界の時間軸を曲げて、橇ごと前の晩に戻って、そんで俺らがストリート・ギャングに化けて、遊び帰りの親どもを夜道で襲って、
「うんうんうん。それから儂が州の役人に化けて、あの子を良さげな家に養子縁組させてやってな」
「世話してやった子なし夫婦、ほんまいい人たちで、よろしゅおましたなあ」
「あれこそが天の配剤、天のお方の御加護なんじゃよ」
冬也はふたりの話を――もとい、ひとりと一頭の話を聞きながら、聖者が優しさを全うすることの厳しさに、思わず身震いしていた。ラストだけ聞けばハッピーエンドだが、細かい経緯は聞きたくなかったような気がする。とくにトナカイたちの担当部分はドス黒い。
ルドルフは冬也を一瞥し、それからサンタクロースに言った。
「あのでんで、こいつに女、都合できるんちゃいまっか? たちの悪いヒモに食いもんにされとる哀れな女、このあたりにゃ、ようけおりまっせ。そのヒモ、俺らがヤーさんに化けてボコボコにして池に沈めて、親方が区役所の戸籍係に化けて――」
冬也はあわてて遮った。
「いやいや、やっぱり女はやめときます」
沈められるヒモを憐れんだわけではない。他に確かめたいことが、頭に浮かんでいたのである。
「なんでやねん」
話の腰を折られて不機嫌そうなルドルフに、冬也は訊ねた。
「『下界の時間軸を曲げて前の晩に戻って』――そう聞こえたんですが」
「おうよ。
「去年の今夜――去年のクリスマス・イブにも戻れますか?」
「昨日も去年も、千年前も一緒や」
ルドルフの言に、サンタクロースが補足した。
「もともと時間なんてものは、人間が環境変化に対応するための
言われてみれば、もっともである。
「じゃあ、俺も戻れるわけですね、これの力で」
冬也が、掌のなんだかよくわからないものを掲げてみせると、
「それだけあれば、いっぺん往復するくらい楽勝じゃが……」
サンタクロースの顔と声は、明らかに難色を示していた。
ルドルフも、冬也の肩を蹄で軽く叩き、
「あんちゃん、何をたくらんどるか知らんが、よくよく案じないとあかんぜ。とくに他人の生き死にに関わるのは危ない。親方や俺らと違って、あんたは下界のしがらみに縛られとる。下手あ打つと、変わった未来の責任、あんちゃん自身がとらにゃあならん」
「責任とるって……」
「そりゃ変わり方しだいやがな」
サンタクロースも、そのとおり、とうなずき、
「最悪、今のお前さんが消えちまうこともあるぞ」
冬也は、先ほど大雑把に思いついたことを、改めてじっくり反芻してみた。
「――やっぱり、ちょっと行ってきます」
サンタクロースとルドルフは、当人がそう決めたのなら仕方がない、そんな表情で顔を見合わせた。
ルドルフが冬也に言った。
「それ、落とさんように懐にでも入れとけや。あんちゃん、そそっかしそうやからな」
続いてサンタクロースが言った。
「あと、あんまり長居するんじゃないぞ。行きっぱなしも御法度じゃ。あっちには、当然あっちのお前さんがいる。同じ世界に同じお前さんを何日も飼っとくほど、この世界は鷹揚にできとらん。せいぜい一日くらいにしとけ」
「はい」
もともと朝までには済むはずの用事である。
冬也は、なんだかよくわからないものを胸の内ポケットにしまいこみ、ベンチの背もたれから背筋を離してちゃんと伸ばし、じっくり息を整えた。
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