3. 偶像
化粧と装束は充分に役割を果たしてくれた。
訪ねた家の者たちは、偶像のようなユエの問いかけに、涙を流しながら、時に祈るように、重い口から吐き出す後悔の中に、家族の死に様を語った。
何が悪かったのか、どのような因果でモノの怪に目をつけられたのか、なぜあのような惨たらしい死に方をしなければならなかったのか。憎い。黒犬を殺してくれ。でなければ家族が浮かばれない。
ユエは偶像を演じて、嘆きの中に散らばる乾いた情報のかけらを冷徹に拾い集めていく。
件のモノの怪を、彼らは「黒犬」と呼んだ。
曰わく、犬は家の中に突然現れたと言う。
追い払おうと鉈を振るったら、閉じた戸を破って逃げたと言う。
そして、下腹を喰われ、変わり果てた家族の姿を見たのだと言う。
家というのは、実はそれだけで強力な結界だ。窓や隙間のあるなしに関わらず、モノの怪が
西の
どこかに綻びがあるはずだ。
訪ねたのはどこも貧しい暮らしの農奴の家で、大して物があるわけでもない。
犠牲になった女たちにも、女であること以外に共通点は無いように思えた。隣の荘園から嫁いで来たばかりの新妻もいた。初孫を待つ母もいた。ここで育った女も、外から来た女もいた。
満月は明日。それまでに黒犬の正体を突き止められなければ、また誰かが死ぬ。
なまじ神性を装う分、モノの怪を止められなかった
ユエには逃げ切る自信があった。人の目が届かない一瞬さえ作れれば、どうとでもなる。
だがこれを逃せば捕食の機会は遠くなり、腹に宿った居候が本格的に飢え始めてしまう。
焦燥感が腹の底からじわじわとあがってくる。
おとなしくしてろ、と居候に苛立ちがわく。
乾季が始まったというのに蒸し暑く、着込んだ
(ユエ、一息ついたらどうかね。朝から働きづめだ)
「次で最後だから、そしたら休むよ」
リールーに答えたら、案内の男がぎょっとして振り向いた。独り言の多い娘だとでも思っているのだろう。
荘園の外れ、最後に訪れた家は他とは
何より、家の外に人がいない。
どの家でも、誰かしらが家の周りで日々の用事をこなしていたのに、ここだけはまるで人が住んでいないかのようだ。
だけれど、粗末な板壁の隙間から子供がこちらを見ている。
「ここが、始まりの家です」
ひそひそと告げた案内の男の顔は、この家がモノの怪そのものだとでも言いたげで、出迎えた家人の顔は、縛り首の順番を迎えた囚人のようだった。
黒犬が最初に現れた家。
住んでいるのは、先ほど覗いていた十歳ぐらいの少年。その父、母、祖母、曾祖母。少年の妹、弟、弟。
土を盛って固めただけの床に座る大人たちと、その後ろで妹たちを庇うように立つ少年。
子供たちは、怯えて見える。
大人たちは、観念したように見える。
やはり他とは違う。
さて、どう始めるか──
ユエが何かを言う前に、母親が声をふるわせた。
「おん
干からびた喉をこじ開けるような声だった。
夫がたしなめるように妻の名を呼んだが、母親は頭を振って続ける。
「あたしが、悪いんだ。あの子に
それきり、母親はおいおいと泣き崩れ、つられて下の子供たちが泣き出す。
「おっ
下の子の前で、少年が虚勢を張った。
(いったいこれは、なんの騒ぎか)
同感だった。何か誤解があるように思えるが、このままでは埒があかない。
ユエは左目に緑の紐が漂うのを捉えた。
他の者には見えていない。しかし、音が響く所には必ずいるもの。
こちらでは、これもモノの怪の一種なのだろう。ユエの故郷ではこれらを別の名で呼び慣わし、魔法の拠り所としていた。
意識を開く。体の境目を曖昧にして、遍在する魔力を感じる。呼吸と共に魔力を取り込み、緑の紐へ魔法の繋がりを求める。
「おいでませ、
遠い故郷の言葉であっても、彼らは応えてくれる。
魔力と引き換えに、魔法を引き出すことができる。
「だれも連れては行かぬ」
声とともに、ひゅん、と緑の紐が家族の耳を掠めるように回った。誰もがぎょっとして顔を上げ、あたりを見回す。
耳元で娘の声がした、そう聞こえているはずだ。
かまわず言葉を継ぐ。
「あなたがたの悲しみは何か。怒りは何か。怖れは何か。わたしのこの目に告げるがいい。異形のモノの怪へ異形の
笠から垂れる五色の布を両手で左右に開く。
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