第46話


 すかすかの翼に目がいく。銃弾が翼を貫通し、黒羽が舞った。


「そうだね。翼はもう役に立たない」


「行ってどうする気だ?」、しゃがんだまま、ライアンはこちらに顔を向ける。「相手と心中するつもりか? 飛べないなら、一緒に墜ちるしかない」


「……そうかもしれない」


「やめろコルロル。なにか手があるはずだ。今いけば、さすがの君も死ぬぞ」


 あたしたちは短く沈黙した。プロペラや銃弾、風の音に満たされたゴンドラの中で、死を思わせる緻密な沈黙だった。


 あたしの肩に添えられた怪物の手が、かすかに震えていることに気づく。口では強気なことを言っているけど、コルロルは怖いんだ。


 コルロルの首に下がる三角水晶へ目が行く。六つの色が閉じ込められた水晶。そうだ、コルロルには、恐怖があるんだ。


「……たしかに、他に手があるとは思えないし、時間もない」、ややあって、あたしは言った。


「レーニス、冷静になれ」、責めるようなライアンの呟き。


「ライアン、あたしは感情がないから冷静よ。コルロルなら、翼で飛ぶまでもなく、やつらのところまで一足でいける。今の窮地を突破するには、怪物の力が必要なのよ」


「力が必要? これは犠牲って言うんだ。今あそこに行けば、コルロルは間違いなく死ぬ。複葉機に向かえば飛行船が撃ってくるし、飛行船に向かえば複葉機が撃ってくる。飛べないコルロルは、敵と一緒に落ちるしかない。俺たちはその間に、うまくいけば逃げおおせるかもしれない。でもそんなことは」


「分かってる。でも助かる可能性があるとしたら、これしかない。コルロルの力があれば、あの兵士からライフルを奪えるし、飛行船を引き裂くこともできる。分かってる……。分かってるのよ」


 思わず俯く。言葉が詰まる。まったく整理が追いつかない歪な考えを、あたしはゆっくり紡いだ。


「でもそれは……ダメだ、って。思う……。なぜだか強く……そう思うの」


 言いながら混乱する。シンプルに考えて、コルロルが敵を止めてくれないと、あたしたちは全員ここで死ぬ。コルロルが敵の元へ向かえば、コルロルは死ぬだろうけど、あたしたちが助かる可能性はぐっと上がる。簡単な算数だ。4人死ぬより、3人助かって1人だけ死ぬ方がマシだ。


 命の価値がすべて等しいなら、そういう単純な計算が成り立つ。


「レーニス、僕は臆病だから、これから死ぬと思ったら、怖くてたまらないんだ。でも、君がそう言ってくれて、震えが止まったよ。僕、気づいたんだ」


 頬に手が添えられ、あたしは顔を上げた。


「君が生きるために犠牲がいるなら、僕はその役目を誰にも譲りたくない。大丈夫。もう怖くないから」


 黒羽が風にまたたく中、コルロルは金の目を細めた。そしてふっと、息を吹かれたろうそくの火みたいに、目の前から姿を消した。「コルロル!」、ライアンが叫ぶ。「うそ……本当に行っちゃったの……?」、リーススは強張った顔をあげる。


 あたしはコルロルの消えた昇降口から、目が離せなかった。

 暗い空には、分厚い雲。優しさを形にしたような笑顔だった。


 ライアンは「くそっ」と自分を奮い立たせるように言って上体を起こし、飛行船の操縦に努めた。


「ライアン危ない! 顔を上げないで!」


「危険でもやるしかない! こうなったら意地でも助かってやる!」


 リーススの顔が、コルロルを追うように動いていた。あたしはコルロルの姿を探さなかった。


 今あたしは飛行船のゴンドラにいて、たしかに足をつけているけど、中身はすっぽぬけてしまったみたい。途方もなくおちていく感覚だけが、全身にくまなく満ちている。


「犠牲になるなら、あたしだった」、小さく呟く。


「……レーニス」、リーススが複雑な表情であたしを見た。


「コルロルは怪物だけど、感情がある。やつの方が人間に近い。心のなくなったあたしの方がよっぽどバケモノなんだから、この場で犠牲が必要なら、あたしが犠牲になった方がいい。でもだからって、あたしの人間の体じゃ、あいつらを追い払えない」


 あたしとコルロルはちぐはぐだ。どっちもバケモノなんだけど、コルロルは見た目で、あたしは中身。


「……ガルパスおじさんは、あたしが今まで見た中で、一番バケモノに近い人だった。欲にまみれていて、その欲を満たすためなら、他者を痛めるつけることもいとわない。そんなおじさんでも、夜空に滲む星を、綺麗だと言った。この人は人間なんだって、その時思ったの」


 おじさんの瞳が思い浮かぶ。うるおった清廉な瞳だった。彼は、自然の美しさに揺らされる心を持っている。それはきっと、人に宿る自然とのつながりなんだ。


「あたし、ガラクタになっちゃったのね。もう何も感じないの。でも、それを悲しいとも思わない。きっと、感情は人の本体だったのよ。だって……ねえ、あたしと人形って、なにが違う?」


 リーススは何も言わず、ただあたしを抱きしめた。そうして抱きしめられていると、リーススの体温や、体の感触が伝わってきて、2人のあいだにある境界のようなものも感じることができた。


 他者との境界があるということは、あたしは一つの生き物として成立しているのだと、リーススは無意識に伝えようとしているのかもしれない。


「レーニス、俺は天涯孤独の身で生きてきた。コルロルには話したけど、幼い頃母親に捨てられたんだ」


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