第38話


「確かにその通りだけど……君、そんなに冷静だったっけ」


「そういえばさっき、感情が減ったって言ってた……」、リーススは暗い声で呟いた。


「もう憎しみもないわ。怒りも、悔しさも」


 あれだけ膨大だった憎悪すら、今は懐かしい。完全無欠で、孤独な賢者になったみたい。感情は人を惑わす悪魔だ。なくした方が、物事を俯瞰できる。冷静な判断を下せる。


 それなのにリーススは、「……私のせいだ」、と、わっと泣き出して、手で顔を覆った。「私が魔女に願ったせいよ。レーニスとコルロルを会わせてあげてって。それがレーニスのためになると思ったの」


 なぜリーススが泣いたのか、あたしは理解できなかった。感情なんてものにとらわれずに済んで、あたしはせいせいしているのに。

 

「リースス、君は悪くない。あの怪物はレーニスに会えて、すごく嬉しそうだったよ。君のおかげさ」


「リースス、よく泣くようになったのね。まるで子供の頃に戻ったみたい」


 幼いリーススの泣き顔を思い出していると、ランタンの灯りと共に1頭の騎馬が追いついてきて、横に並んだ。ライアンは舌打ちをしたが、騎馬に乗っている人物を見て声を上げた。


「ガルパス!」


「おじさん!」


「やあ、君たちのせいで、街は大変な騒ぎだよ。家に火が燃え移るわ、街人が兵士に怒り狂うわで、てんてこまいさ」


 ガルパスおじさんの乗る馬には、いくつもの鞄や箱が括り付けられている。それを見て、ライアンはすぐに察したらしい。


「それで、あんたは財産の運び出しか?」


「うちにまで火が回ったらかなわん。多少めんどうだが、この先に停めてある飛行船まで、何度か往復して運び移すよ。まだまだあるんでね」


 おじさんは財産のありかを示すように、街の方向へ片腕を広げた。


「おい、コルロルは? コルロルはどうなった? ちゃんと生きてるんだろうな?」


「ああ、あのバケモノなら、君たちが走り去ってまもなく、倒れたよ」


「なに? 死んだっていうのか?」


「さあ、死んだんじゃないか? 燃えてただろう? まあ死んどらんにせよ、どのみち動ける状態ではないだろうな。それにしても、あの怪物は言葉を話すだけではなく、感情があるのか? 君たちを追うものから順番に襲いかかり、まるで君たちの逃げる時間を稼いでいるようだった」


 ライアンは驚いたように目を見開いたあとで、悲しそうに呟いた。「本当か? コルロルが……くそ、コルロルのやつめ」


「そう見えたってだけだ。偶然かもしれん。それじゃあ、失礼するよ。やることが山ほどある」


 話を切り上げ、おじさんはスピードを上げた。おじさんは軍とは無関係に、単独で動いているらしい。彼と距離が離れないうちに、ライアンは小声であたしに言った。


「レーニス、腰の剣を取れ。そして立ち上がるんだ。俺の肩につかまって……そう、ゆっくりでいい」


 指示の通り、ライアンの腰に刺さっている剣を抜き取り、立ち上がる。ライアンはおじさんへ馬を近づけ、次の指示を叫んだ。


「今だ! ガルパスの馬に飛び移れ!」


 短い距離を飛ぶ。馬の腰あたりに、箱が乗せてある。あたしはその上にすとんと座り、着地した。


「ひいっ」、おじさんの混乱が馬に伝わり、馬が暴れる。体を左右に振り、自分に乗るものを落とそうとする。「な、なんだレーニス! なにをする気だ!」


「よーしレーニス、そのままそのまま。いや、ガルパスの首に剣を当てるともっといい」


「こう?」


「ひっ」


 馬はその場に停止し、ちょうどそのころ追いついた兵の騎馬たちも、少し距離を置いて止まる。騎馬たちはこちらのやりとりに注目し、あたしはおじさんの首に剣を回したまま、ライアンを見た。


「ライアン、なにする気?」


「そうよ、おじさんになんてことするの? レーニス、はやく放して」


 リーススはライアンとあたしを咎める。彼女はテディになっていたから、未だにガルパスおじさんのことを、ただの声のでかいおじさんと思っているらしい。


「いや、放すなレーニス。ガルパスには人質になってもらう」


「人質? おじさんを? そんなのひどい、人のいいおじさんに剣を向けるなんて……!」


「ちっともいい人じゃないから安心しろ。リースス、君はぬいぐるみになってたから知らないだろうけど、ガルパスはアルスト山で、君たちを殺す算段をしていた。金のどんぐり欲しさにね」


「そんな……嘘よ……!」、それほど親しくはないにしても、これから一緒に暮らしていこうと考えていた相手が、実は自分を殺そうとしていたのだから、リーススはそれなりにショックを受けたようだった。


 でも、事実なのだから、しょうがない。


「リースス、あたしも殺されかけた。ライアンの言っていることは本当よ」


「そういうことだ。よし、それじゃあ始めようか」


 ライアンは馬から飛び降りると、騎馬達の前へ立ち、大きく手を叩いた。


「やあ、兵士諸君、たった俺たち3人を捕まえるために、わざわざこんなに大勢で集まってくれて、どうもありがとう」


「……こんなときに、ライアンったらお礼を言ってる……なぜ礼を言うの?」、リーススに尋ねる。


「礼を口にしているけど、あれは嫌味よ」


「さっそくだが、人質交換をしよう。こっちはガルパスを」、ライアンはおじさんを仰ぎ見てから、兵士たちを両手で示した。「君たちはコルロルを渡すんだ」


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